〈10〉トリニタリオ
トリニタリオ領――。
王都アルマンディンを含む王家の管轄する領地で、わかりやすく言うならば、ペルシ王国を縦三つに分断した状態の真ん中部分である。
王都にスラムはなく、一見するなら豊かに見える。けれど、それは表向きの姿だ。王都を出てすぐ、徒歩で行けるような近隣に貧民窟も確かに存在するのである。
こればかりは、国というものが存在する以上、切り離すことのできない闇なのだとリィアはどこかで思っていた。
同じ人でありながらも、貧しい暮らしを強いられる人々。生まれを蔑むわけではないけれど、どこかでこの現状を容認していたのかも知れない。
王子と側近の二人に同行することとなったリィアは、まず城下町の古着屋にてアルバが購入して来た服に着替えさせられた。もちろん、彼らの目の前でではない。隠し通路の内部に隠れて、だ。
脱いだ軍服はアルバが服を入れて来た袋に入れて隠す。腰のスモールレイピアも袋にしまった。短い剣で幸いした。ただ――。
「……」
「ぷ」
真っ先に笑ったのは、デュークだった。リィアはキッとそちらを睨む。
ルナスはその場で取り成すように言う。
「ええと、すまないが、目立ちたくないんだ。我慢してほしい」
「わ、わかってます」
アルバが用意した服は、少年のものだった。念入りに、帽子と靴まで用意された。髪をまとめて帽子にしまい、ぺたんこの木靴に履き替える。半端丈のぶかぶかしたズボンに馴染めない。
そんなリィアを観察していたアルバは、ふむ、と短く言った。
「ものすごい違和感ですね」
用意したのは自分なのに、ひどい言い草だ。
「大きめの服にしてみたんですけどねぇ。体型が隠し切れてませんね」
そして、軍服等の入った袋をリィアの胸元に押し付ける。
「それをずっと抱えているように」
「え?」
ルナスは困惑したように笑い、デュークはケッと吐き捨てる。
返事をすると、リィアは言われるがままに袋を抱えた。
「顔くらい女顔でも、ルナス様がいれば説得力ないですからね」
あはは、とアルバは主にも失礼なことを言う。ルナスは少しだけ傷付いたようだ。笑っているけれど、どこか硬い。もしかすると、顔のことはあまり言われたくないのかも知れない。
けれど、女性よりも美人な方が悪いのだ。リィアは面白くないので同情する気にもなれなかった。
ルナスたちは他愛のない雑談を交えながら城下を歩いた。
思えば、リィアもフォラステロ領からこのトリニタリオ領にやって来たけれど、すぐに城に詰めたので、城下などに目を向けることがなかった。
城下の商店通りを歩くと、そこは活気にあふれていた。黒々とした人の群れである。
売買する商人の活きのいい声。情報交換しているのか、世間話に必死な人々も多い。
明らかに異質なルナスたちも、この人ごみの中では浮かなかった。これでは、個人を認識するのは難しい。
ひしめき合う人をすり抜けながら進む。
リィアはここまで道行く他人に密着したことなどなかったため、最初は抵抗を感じた。けれど、それを言っていては置いていかれるだけなので、その時は必死だった。
ようやく少し息がつける場所に出た。それは、一軒の店の軒先だった。ただ、その店先の商品は品薄だった。広い台の上の木箱に、数個の果物が転がっているだけである。
「ん? 随分品薄だな。こんなにも売れたのなら大もうけか」
デュークが何気に言うと、店主はたるんだ頬を震わせてかぶりを振った。
「馬鹿言っちゃいけないよ。何が大もうけなもんか!」
唾棄する勢いで吐き捨てる。それから、憎々しげに言った。
「これはね、商品が仕入れられなかっただけだよ」
「それはまた、どうして?」
アルバが問うと、店主は少しだけ落ち着きを取り戻して嘆息した。
「運送途中で商品が強奪されたんだ」
「え!」
リィアが思わず声を上げると、その声の高さにデュークが顔をしかめたので慌てて黙る。ルナスも極力口を開かないようにしている風だった。
「……時々、そうしたことがある。貧しいやつらは食い繋ぐために必死だからな。そりゃあ恐ろしいもんだ」
デュークとアルバは顔を見合わせた。そうして、デュークは言う。
「盗賊が出たのなら、軍に報告したのか? 奪われた商品は戻らないが、再犯は防げる。まだなら早く届け出るといい」
すると、店主の目がすわった。その目は、明らかな諦観の色だった。
「軍、ね。届け出て、動いてくれるのはいつのことやら」
リィアは、ルナスの表情が微かに強張るのを見た。
「そんなの、あてにしてられないよ。大体ね、盗賊が増えたのは国がしっかりしてくれないからだ。不干渉条約を破って、挙句にアリュルージに敗戦して、賠償金と来たもんだ! その金は私たちの血税だ。そういう意味では、貧困から盗賊になったやつらでさえ被害者なんだよ」
直截な店主の物言いに、リィアはハラハラするばかりだった。この、黙って突っ立っている人物が王太子なのだと、店主に教えてやりたくなる。王子に向かってこの暴言――この店は、一体どうなってしまうのだろうか。
「ああ、本当にその通りですね」
と、驚くべきことを口にしたのはアルバだった。何故か、デュークも表情は険しいけれどそれを咎めない。
そうして、その店主とデューク、アルバの二人はしばらく話していたけれど、リィアの耳にはもう入って来なかった。ただ、ルナスの反応が恐ろしくて、ちらりちらりとそちらを盗み見るばかりになる。
そんなリィアに気付いたルナスは、苦笑すると小さな声で言った。
「アルバはね、私の声を代弁してくれたのだよ」
悲しい響きの声に、リィアは呆然としてしまった。




