前略、乙女ゲームに転生してきた者です
「実は俺、転生者なんだ」
「……え?」
彼が言うには、私たちが生きている『世界』は、乙女ゲームの世界である、らしい。
しかし、今までの短い人生の中でも、私が認識している『世界』とは、アメリカとかイギリスとか日本とか、地球上に存在している国の集合体、そういう可視化できるくくりであって、彼の言っている『世界』という概念とは、少しずれている気がする。つまり、正確にはパラレルワールド、もしくは時空、次元などと表現されるべきものである、と私は考える。
「俺の話、聞いてるか?」
「うん、なるべく正確に理解できるように、努力してます」
彼は安心して、それじゃ、と話を続ける。私は己の思考に浸り過ぎぬよう、彼の目を意識して見つめることにする。ファミリーレストランのテーブルの距離は、遠いようで、近い。
その気迫が伝わったのだろう。怯んだように、彼は少し上体を反らしてしまった。
「あ、ちょっと待って。提案があります。ノートにとって、話をまとめるべきではないですか、議長」
彼は多少の抵抗を見せた。しかし、他人の耳に入れるには危険なキーワードがあるかもしれない、と説得して、以降は筆談をメインに状況の説明をしてくれた。
(この『世界』は、乙女ゲームと同じ。俺は、その乙女ゲームのプレイヤーだった)
(乙女ゲームってどんなことするの?)
(小さい頃から、既視感を感じることが多かった)
(既視感ってどんな感覚?ぞわっとする?)
(高校受験の進路相談の時に、はっきりと思いだした)
(そういえば、貧血で倒れてたね。大丈夫?)
(ゲームの舞台は高校だから、まだその時はきてない)
(時……なんかかっこいいね!時は来た!いいね!)
「一行ずつコメント書かなくてもいいから」
「はい」
止められてしまった。彼の左手が、私のペンを持つ手を抑える。そして改めて、ノートに向き合う。授業中みたいで楽しいなあ。それにしても、触れた右手が熱い。
仕切り直して、ノート上で説明を続けてもらった。結果、わかった事は。
この世界は乙女ゲームの世界である。それは恋愛を主題にしたものだ。そして、私たちが来年入学する予定の高校が、その舞台。入学と共に、彼はヒロインの攻略対象になる。
この事実は、私にとんでもない衝撃を与えた。
私の世界は、無数の可能性の集合体であり、無意識の意志や、他人の意志、世界を構成する人々の数多の選択によって紡がれる物語であると信じていたからだ。それが、私たちより上位の存在によってプログラミングされた、与えられた選択肢によって組み立てられた出来合いのものだったなんて。
「おい、大丈夫か?」
私は顔面蒼白になっていたのだろう。彼は心配そう、または不安そうに顔を歪めている。いけない、私がしっかりしなくては。記憶がある分、きっと彼の方が今の世界に対する猜疑心は強いはずなのだ。
「やっぱり、頭おかしいと思うか?」
なんと、彼はそれ以前の問題で不安になっていたのだ。ここはきちんと、私たちの信頼関係を揺るぎないものにしなくては。
「なんで?当然、信じてるよ」
彼は、驚きのあまり、目も口も開ききっていた。その表情は普段に比べてひどくあどけないもので、思わず笑みが浮かんでしまう。
「我が家の家訓は、見えるものだけが真実ではない!信じる者は救われる!ですから!」
自信満々に言い切った。さぞや感動しているだろうと思ったら、彼は相変わらず驚いてるというか、むしろ呆けているかのような表情だった。だがしばし間をおいて、いきなり吹き出した。そして結構長い間、下を向いて震えている。どうやら笑っているようだ。
こちらは真剣に言っているというのに、少々失礼ではないか。だが、彼の不安が取り除けたなら幸いだ。
「ありがとな」
へへ。真っ直ぐに感謝の意を述べられると、存外照れくさいものである。思わず目をそらしてしまった。頬が熱い。
私はふと思い立ち、素朴な疑問をノートに書こうと思った。
(男の子が乙女ゲームやるのって珍しくない?)
「……」
彼は固まってしまった。失礼だったろうか?
(どうしたの?)
彼は躊躇いがちにペンを取った。
(俺、女だったから)
今度は私が固まってしまった。まさか、そんな。目の前の、彼が。同級生の中でも、群を抜いて男らしいと言われていた、彼が。その逞しい身体の中に、乙女ゲームをするほど純情可憐な少女の心を住まわせていたなんて。確かに、目の前の彼が男性であるからといって、前世もそうであると考えるのは早計だった。
「私に打ち明けたのは、協力して、欲しかった、から?」
彼は、真剣な顔で頷いた。
そうか。前世の女性としての人生を抱えて生きていくには、彼一人では辛いだろう。公私ともに、支えていく人間に私が選ばれたのは、非常に光栄なことである。彼、いや彼女と言った方が正しいのだろうか?この先、女性として男性を愛するのだろうか?
その事実は、私の思考を曇らせる。男としての体を持ったままの彼に、無事に恋愛を成就させることができるのだろうか。私は、私心なく彼に貢献できるのだろうか。正直、あまり自信がない。だが、やり遂げて見せよう。私は俯いていた顔を上げた。その瞳は、青白い決意の炎が揺らめいていることだろう。
「え、何で泣いてるんだ?」
彼は大層狼狽している。泣いている?そんな馬鹿な。彼は置いてあった大量の紙ナプキンの束を、慌てて私の目元に押し付けてくる。つるつるとした固い感触の紙が、水分を吸いこんでいくのがわかった。うん、私は確かに涙を流している。
「ちょっと、混乱、して」
ごめん、彼はそう言って私の隣に座った。優しく背中をさすってくれる。その温もりを感じて、無条件に安らぎを感じてしまった私は、なんて現金なんだろう。
「もう大丈夫」
泣き過ぎたせいなのか、顔の熱さが凄いことになっている。異常なまでに、血管の拡張が起きていると思われる。隣の彼もまた、顔が赤い。なるほど、フロア内の空調が高めになっているらしい。
彼は私の向かいに座り直した。彼の真剣な瞳に見つめられると、身体ごと囚われてしまいそうだ。
「それで」
「うん」
中々、その後の言葉が出てこない。以前空調は効いたままだ。首の後ろにじわりと汗が滲んでくる。何故か彼は私のカバンに目を向け、また改めて決意に満ちた瞳で、真っ直ぐに見つめてくる。
「こんな俺だけど、付き合って下さい!」
その言葉は、中々頭の中まで浸透しなかった。
「だめか?」
声変わり終わりかけのハスキーな声が、切なげに震えている。背筋に電流が通ったような気がした。
「私で、いいの?」
私まで声が震えてしまった。弱々しい私の言葉に、彼は力強く頷いてくれる。テーブルの上で力いっぱい握っている私の手は、緊張のあまり血が通わなくなってしまっている。
「俺、絶対大切にするから。これから高校に入学して、多分色んな事あると思う。でも、俺の気持ちは絶対変わらないから」
「私も、負けない!決められた運命だって覆してみせるから!」
斜め向かいの席に座る女子高生の群れが、私たちの方を胡乱な顔で見ている。少し、興奮して声が大きくなっていたかもしれない。だが、笑うなら笑うがいい。今、私にとって大事なのは、目の前のこの人だけだ。
「それで、さ」
「うん」
「今日って、バレンタインデー…だよな」
私はさらに耳の方まで赤くなった。ばれていたのか。
鞄の中には、失敗してしまった、それでも諦めきれなくて持ってきてしまった私の未練が入っているのだった。
「失敗したやつだよ」
「かまわない。むしろ、俺の為に頑張ってくれたと思うと、もっと嬉しい」
「何でわかったの?」
「女の勘…かな。俺にも昔、経験あったから」
今日一日の私の不穏な動きは、彼に把握されていたらしい。全くもって恥ずかしい。何とも言い難い、据わりの悪い心地である。これから先、またこんな風に微妙な女心を言い当てられてしまうのだろうか。
そしてその後、チョコレートは二人で美味しく頂きました。
とあるファミレスで熱のこもったお芝居ごっこをした恥ずかしい中学生カップルが出たという噂が流れたが、受験シーズンに紛れて早々に消えてしまった。




