表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

 残波岬までの道のりは長かった。同じ様な景観の道が延々と続くのだ。そろそろ着く頃かなと思うと、まだ半分も来ていなかったりする。あの辺が昨晩泊まったホテルだろうと思うと、全然違っていたりする。景色だけではなく建物も道路も皆似ているのだ。大城さんなどはよく道が覚えられるものだと私は憮然とした表情のまま感心したりした。

 しかし観光名所だけあって立派なホテルが何軒も櫛比していた。海沿いは特にそうだった。それらの外壁は純白で大変清潔感があり、高層マンションのように皆背が高かった。入口付近にはドアマンが控え、彼らに開かれた扉の向こうから外国人観光客が幾人も出てくるのが見えた。実は私が前に書いた小説でも主人公やその他の登場人物がこの辺のホテルに泊まったのだが、実際にはこんな所に泊まるというのは如何にも成金趣味が過ぎて少しも風雅でない事が分かった。一方で私はそのとき少しばかりの世間心を起して、一度こんな所に泊まってみたいなどと考えもしたが、妻子もいない、友人もいない、家族とも疎遠な、何よりも金が無い私の様な見窄らしい孤独者には余りにも似つかわしくないと考えた。こんな思いつきの旅行をするのだって本当は贅沢過ぎるくらいなのだ。一人で家に引きこもっているのが一番性にあっている。それを思うと少しだけここに来た意義が薄れた様な気がして、私は溜め息をついた。今更ながら、私は何故ここにいるのだろうというような気になっていた。金と時間と労力を濫費して…。

 サトウキビの波をかき分けるようにして海岸に出ると、そこが残波岬だった。車を降りるとすぐにごつごつした岩場が見えて、海沿いの断崖も危険な程高かった。そこに荒々しい波が高々と打ち寄せてしぶきを上げていた。曇天も相俟ってか、それは非常に厳しい印象があった。白い大きな灯台が水平線の円弧の中央に佇み、それが不気味なくらい無表情に見えた。先ほど見た水族館でのきらびやかな水色の幻影と比べると、それは誠にはっきりと沈鬱な面影をあらわした。

 大城さんも一緒に車を降りていたので、私と一緒にそこらを歩いていた。彼は高みに乗っかっている自動車程もある巨大な岩を指差して言った。

「あの大きな岩は、ここにかつて大津波が来た時にここまで運ばれてきたんです。それが転がされてきたのではなくて、波に乗って流されてきたんですね。でなきゃあんな高台の上にまで登っていきませんから。自然の恐ろしさを感じますね」

潮風に白髪が揺られていた。何となくその言葉は本当らしく響いた。

「あの灯台には登れるんですか?」と私は大城さんに訊いた。

「ええ、登れますとも。二百円かかりますけどね。私ここで待ってますから、登ってみたらどうですか?かなりきついので私は遠慮しておきますが」

なるほどあの巨大な灯台のてっぺんまで階段で登らなければならないとすると、余程骨が折れるだろう。老人には無理という事か。私は大城さんをそこに待たせて灯台に登る事にした。私は苔蒸した岩を飛び越えながら灯台の麓に向かった。

 入口で入場料を払って、狭い灯台の中に入っていった。中には一階部分に「灯台の役割」みたいな資料が展示してあったが、後はもう螺旋階段でぐるぐる登っていくしかなく、他に見るべき所は無かった。階段を勢いに任せて上っていると、所々で張り紙がしてあって、変な動物のキャラクターが「まだ半分も来てないよ。ちばりよ〜!」等と叱咤激励していた。「ちばりよ〜!」に思わず吹き出した。確かに螺旋階段は延々と続いていて息が切れたが、覚悟して挑んだ私は思ったよりは楽に展望台に着いた。最後のはしごを上りきったところの展望台には既に三人の元気そうな老婆がいて、景色を見て騒いでいた。よくぞここまで登ったものだと思ったが、帰りはいよいよ大変だろう。

 展望台から見る景色は、また格別だった。海が線から面に生まれ変わって眼下に広がっていた。それは灰色よりも少し青みがかった金属的な色で、如何にも冷たそうだった。すぐそこに空と海は目線の高さで等しく分たれていた。手すりも何も無い剣呑な断崖の先端すれすれに立って釣りをしている人たちが何人もいた。命知らずだと思ったが、あれくらい命を粗末にして生きていたって良いのだと思うと少し気が晴れた。裏手に回って眼下を見下ろすと、岩に生えた苔やシダ類の間を濁った水脈が細々と流れていて、まるでジャングルの航空写真を見ているようだった。しかしあまり真下を見すぎると高すぎて目眩がした。しかし強い風に顔面をあおられていると、それもすぐに飛散していった。私は暫くそこにいて何枚か写真を撮った後、来た道を引き返し、下まで降りた。下に降りるとすぐに、大城さんの待つベンチにかけていった。吹く風はもう夕刻だった。

 大城さんはベンチに座って私を待っていた。

「登ってきましたか?なかなか疲れたでしょう?」

大城さんは微笑を振り向けながら私に問いかけた。

「まあ少しは。でも思った程じゃありませんでした」と私は妙に若ぶって答えた。それは実際嘘ではなかった。それほど疲れてはいない。むしろ少し体を動かした事で頭がすっきりしたくらいである。

 ベンチの前には色々食べ物を売っている赤いトレーラーがあって、私はそこで紅芋のソフトクリームを買って食べた。甘いものはそれほど得意では無いのだが、折角だから食っておこうという魂胆だった。紅芋がどのようなものであるのか私は知らなかったが、沖縄名産であるという事だけは心得ていた。私は相当久しぶりにソフトクリームなんていうものを食ったと思う。薄紫色のそれは確かにサツマイモの様な甘い香りで、美味かったと思う。だがそうは言ってもそれは何らかの感動を私の心に刻印するものではなかった。その点でやはり駄菓子に違いなかった。

 大城さんは何も食わず煙草も吸わず私と対座し、遠くを見ていた。そうして私の方には一瞥もくれずに、突拍子も無く、

「行きましょうか」と言った。私は急いでソフトクリームを平らげ、紙包みをくずかごに放り込んで、車に向かう大城さんの後を追いかけた。

 車に乗った私に残されているのは、もはや空港へ向かう行程だけだった。私にはもう来た道を戻って帰ることしか許されていなかった。もうこれで旅行は終わったのだと思った。サトウキビ畑を抜けて国道に出ると、もう後は見慣れた景色しか私の目には映らないだろう。そのうち那覇の中心部に近づくにつれて、取り立てて珍しくない街の景観がまるで再び私が身をおこうとしている現実を象徴するかのように次第に色濃く眼前に聳えるだろう。そんな事が私の脳裡に瞬時に想像された。私は淋しい気分に晒された。その瞬間に極度に気が滅入って、まるで脳が酢酸に浸されたように収縮するのが分かった。こんなに淋しい思いをするのなら、最初から来なければ良かったとか、出来る事なら今誰かが私を気絶させて、東京の自宅まで運んでくれ、そうして私が目を覚ますとそれまでの事が何事も無かったように私はベッドの上で目を覚ます、という事になればどれほどいいだろう、とすら思った。私は明日から何事も無かったかのように会社に行き、仕事に従事し、たまにサボっては上司に怒られて、そんな事は一向に気にしない様な顔つきで煙草を吸いついでにコーヒーを飲み、夜はコンビニで飯を買い、部屋でそれを食いながら猥褻なビデオを見て…もううんざりする程阿呆らしかった。

 とは言えそれをしないと生きられない。阿呆らしいけれどもとりあえず生きている。何の為に?生きる為に。

 私は後部座席で次第にうとうとし始めた。

 脈絡の無い物語とか、思いつきの旅とか、そんなものは一過性のものでしかない。まるで眠って見る夢のようだ。同じ所に戻ってきて、結局後には何も残らない。目覚めた後に残るのは、うんざりするくらい何も変わらない自分だけだ。逃げ場などどこにも無い。

 経験は人を救わない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ