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とっくに飯は食い終わっていた。大変美味かったが、食事を終えるとすぐに眠気が襲ってきた。あろう事か私は殆ど大城さんの話を聞いていなかった。元来私は人の話を聞くというのが苦手なのだ。相槌を打ちながら頭では全く別の事を考えているというのは珍しくない。この時も私は大城さんの話している側で、美しい景色を目の前にした今の気持ちをどうしたら言葉にできるかという事について考えていた。話し手に対して申し訳ないというのもあるのだが、一方で妄想癖というのはものを書く人間にとってある種の能力だという気持ちもある。私の場合それは単なる怠慢かもしれないが。
しかしそれでも話の概要は掴めていた。私がそこで思ったのは、沖縄人だからとて沖縄文化に何の疑問も抱かずどっぷりと浸かりきっている人ばかりではないのだろう、ということだった。軍鶏を戦わせる事に対しては一抹の疾しさを感じる事もあるのだろう。しかしそうは言っても結局私だって鶏肉を食っている。その際それがかつて生き物であったと認識する事は少ない。最近ではブロイラーを脳死させてチューブで栄養を送り込み、効率よく食肉を生産する方法を開発した国もあるらしい(本当に効率がいいのかは分からないが)。それを思えば沖縄人が特別に野蛮だとは決して思わなかったし、それどころか食肉になる前の鳥達と生き物として接している事について幾ばくかの暖かみすら感じた。
私達は食事代を払って店を出た。店の脇の階段を下りる途中、外の風が昼食後の寝ぼけた頭の中を通り抜け、清々しかった。遠くから海鳥の声や潮騒の音が微かに聞こえた。どうしてだろうか、それは無音よりも静寂で、心の中に素直に染み通ってきた。私の心とは頭の中に煙っている靄の奥にあり、普段そこに触れるものは何一つ無いのだった。何が近づこうとも鼻で笑って押し返してしまう。それがここにきてそういう力が一向に働かなくなったのは不思議な事だった。
それからは今帰仁村近辺を車で巡る事にした。ワルミ大橋や屋我地島も見た方がいいと大城さんは言った。私の行きたい所リストには入っていなかったが、そこは折角近くに来たのだし、時間もたっぷりあるのだからという事で行く事にした。
ワルミ大橋は、本島の一部である本部半島と屋我地島を結ぶ橋であり、平成二十二年に開通したばかりの橋であるらしい。羽地内海のワルミ海峡にかかる大掛かりな橋である。古宇利大橋よりも高さがあるのは橋の下を連絡船が通るからだそうだ。ワルミ海峡は、古宇利島近辺の海よりも深さがあるらしく、また海底の砂も真っ白ではないようで、色が濃く、透き通ってもいなかった。また爆発的な広大さも無く、むしろどちらかと言うと幅の広い河川に近かった。だが青と緑を混ぜた様な鮮やかな色は周辺の島の豊かな緑とよく似合っていて、それはそれで味わい深かった。古宇利島が三島由紀夫なら、ワルミ海峡は川端康成だと思った(適切な比喩かどうかは分からないが)。要するにどちらも美しいが、美しさの質においては全く異なるものであったということだ。ワルミ大橋から見る海峡は敢えてつや消しをして華美な輝きを抑えた骨董のように慎ましやかな印象があった。砂金のように輝く白浜はないが、その代わり鬱蒼と繁茂する樹木が黒い鉄柵の向こうにあった。
ふと見ると、橋の付け根辺りで若い美しい娘がアイスキャンディーを売っていた。こんな人気の無い場所で美しい娘が一人で商売をしている事を一体何人が知っているだろう?私は娘の売っているものを買いはしなかったが、何回か娘の方を見やった。そうしたら娘と目が合った。まだ十代だろう。その表情は幼かった。胸は痩せていて、色が浅黒かった。しかし彼女が美しい女である限りはいずれ誰かがその花を摘んでいくのだろう。
頭の中にはピアノの音色が流れ出した。サティの『ジムノペディ』だった。それは繊細な指先が鍵盤を撫でる様なタッチだった。微かなピアノの音は風にさらわれて空高く舞い上がる。こうしている今このときこの瞬間に、意味はあるのだろうか?と私は胸に問いかける。意味はある。私が今ここにいるということだ。そういう意味がある。それ以外の意味は無いかもしれない。そういう絶望的な当たり前がここでは存在の確かな証明になるのだ。経験に寄りかかった緩慢な存在証明よりも、私自らが問う存在証明。外見ではなく、思考でもなく、私という存在そのものにより私を認識する為の行為だ。だが私は結局私であり、私が存在している事を私に対して示す事は不可能だった。ではその私とは一体どこにいるのかということになってしまう。
私は橋の案内板の前で写真を撮った。私が写っている写真も大城さんに撮ってもらった。途中通りがかった中年の女性が、一緒に撮りましょうかと言ってきた。確かに大城さんと私は父子に見えなくもない。それくらい年が離れている。その勘違いに私は少し気恥ずかしくなった。それでそそくさと車に乗り込んだ。
残す所、行き先リストに載せていたのは残波岬だけだった。これは空港に帰る道すがら寄っていける位置にあって、行くのにそう大した時間はかからないだろうとの事だった。しかしまだ昼の一時を過ぎたばかりであったので、時間があまりすぎていた。そこで大城さんは美ら海水族館に行ってはどうかと提案してきた。私はその提案には内心辟易した。というのも、私はそういう如何にも観光施設といった匂いのする所が嫌いだったからだ。人が多そうで何ともやりきれなくなった。だが他に何処か行きたい所があるわけでもなし、折角来たのだからそういう定番な所にも足を運んでみるかという気持ちで提案を承諾した。それに私は人が集まる所が嫌いでも水族館は好きだったのだ。子供の頃から水族館が大好きで、大人になってからはあまり行かなくなったが、それでも何故か今になっても心の何処かで機会があれば行きたい気持ちがひっそりとあった。人の多くない、出来れば貸切の水族館があったらどんなに良かった事だろう。そんな次第でともかくも私は美ら海水族館に向かった。
今帰仁村は寂れた村落だったが、大城さんの話によると、数年前にここから甲子園球児が出て、それが今はプロに行って活躍しているらしい。私はスポーツに疎いので名前を聞いてもピンと来なかったが、ともかくそんな人材も輩出しているとの事だった。私にはそれが如何にも田舎らしい自慢話だと思われた。
延々と続くサトウキビ畑をかき分けかき分け、進んだ先にもまだサトウキビ畑があり、殆どそれが空や地面と同じ普遍性を帯びてきた頃、急に視界が開けて海が見えた。多分東シナ海だ。遠くに霞んで見える平坦な島は城山だろう(中央が尖っているのが特徴的で、すぐに分かった)。
やはり水族館の駐車場は混雑していた。家族連れも多くいた。修学旅行生のような集団もあった。私はこの穏やかな行楽の渦中に一人不埒な思いを抱きながら紛れ込んでいる事を疾しく思った。こうしてこの疾しさを引きずりながら私は車を降り、屋外の広場の芝生の上を歩いた。場違いにスーツに身を包んだこの見窄らしい男は無理に作った笑顔で人混みに紛れようとしていた。しかしそれはやはり浮き立っていた。それは自分でも分かった。私は一人暗さと怯えを纏っていたからだ。
この美ら海水族館は世界最大級の水族館というフレーズで多くの人に知られているようだった。「最大級」というのがみそで、厳密に最大ではないらしい。何とも惜しい事だと思った。まあそれはどうでもいい。私は看板の前や海の見渡せる芝生の上で写真を撮った(なお後日その写真を見てみると、そこには無理な作り笑いを浮かべた背の低い、小太りの、醜くどう見ても二十七には見えない男が一人で立っていて、吐き気を催したものだ)。
大城さんはそこで引き返した。車で待っているから、ゆっくり見てきてください、とのことだった。私は一人水族館の入口に向かった。予想通り入口に向かう見晴らしの良い下りエスカレーターの辺りから、人が多かった。私はエスカレーターを降りると、雑踏の中、高欄にもたれて遥か向こうに広がる海を見渡した。水底に大陸棚があるのが分かった。そこは透明度が一際高く、珊瑚礁も見えた。またそのずっと向こうの城山が平たく横に広がっているのが幻想的だった。ここでは海も空も島も全てが横長に平たく押しつぶされているのだ。横長というのは何と人間の視界にぴったりと落ち着く事だろう。
しかし私の心は次第にひび割れていた。それは何故だか乾きかけの紙粘土のように脆く、一度亀裂が入ったら殆ど修復不可能なのだ。第一それだけの風光明媚な所に立ちながら何故心が崩れていくのか、自分でも全く理解できなかった。一人になって幾分心細くなったのだろうか。いや、そんな事は無い筈だ。私はいつ如何なる時でも一人になりたい欲求を堅持し続けているのだ。気紛れ?まあ気紛れと言えば気紛れだろうが…。結局そんな自問自答をポケットに押し込むようにして、崩れかけたぼろの気持ちを引きずりながら館内に入った。
館内には入ってすぐに巨大な水槽があった。容積は私の部屋の何倍も大きいだろう。天井から自然の光を取り入れていて真っすぐな陽光が槍のように鋭く差し込んでいた、中には色とりどりの魚が身を光に染めながら泳いでいた。優雅だった。かと思えば獰猛な顔つきの鮫もいた。たらこ唇の様なグロテスクなやつもいた。沖縄の海にはこんな魚が普通に泳いでいるのだろうかと思うと少し恐ろしくなった。私は少しだけそれらを見て心を落ち着けた。しかし水槽には常にあらゆる角度からカメラが向けられ、ひっきりなしにフラッシュが焚かれていた。魚達もこんなに一日中フラッシュの光ばかり浴びていたらやりきれないだろうなと思った。その考えはあながち間違ってはいないらしく、昼寝をしている魚は皆何処かの岩陰に隠れて寝ていた。
その後は沢山の水槽の前を通り過ぎた。ミノカサゴとか、セミエビとか、ウツボとか、それから名前は忘れたが蜘蛛のように手足の長いエビとか、見た事の無い生き物を色々と見て回った。出来れば一つ一つを良く見てそれらを覚えていきたかったが、とてもそんな事をしていられる数ではなかった。それくらいに膨大な数の水槽だった。また海星やナマコに手を触れる事の出来るコーナーもあった。私は色々と触った。海星は案外硬かった。ナマコは毛皮を水に浸した様なふにゃふにゃした感触だった。周りには気持ち悪がって触らない人もかなりいたが、そう言えば私は案外平気だった。
私は深海の生物コーナーのあるほんの小さな水槽の前でふと足を止めた。私の頭の大きさくらいしか無い、壁に埋め込まれた水槽だった。一見中には何もいなかった。しかし顔を近づけて良く見てみると、何か透明な輪っかみたいなものが絶えず動き回っていた。指輪くらいの大きさだ。それがとりあえず生き物らしかった。水槽にはそれがただゆらゆら動き回っているだけで、海藻も砂利も流木も何も無い。解説によれば、それは自分の排泄した物を食って生きられるので、生命維持に必要な栄養を外部から摂取する必要が無く、そのサイクルを完全に自己完結させているとのことだった。私はこいつが一体何の為に生まれてきたのかと考えた。外部との交渉も無く、与えられる喜びも奪われる苦しみも知らず、ただこの小さな水槽の中を漂って、そのうち死ぬ。こいつにはこんな小さな世界しかなく、ここがこいつの全てなのだ。そしてそんな事すら意識のうちに上らせる事も無く何も知らずに、何も感じずに、ただこの瞬間に生きているという事実があるだけ。そしてそれも気付けば終わる。しかし一方で自分が望む世界とは正にこんな風ではないかとも考えた。途端に身震いする程の絶対的孤独とでもいうべきものを感じた。
それから館内で一番大きな水槽に辿り着いて、ジンベイザメをみた。体長八メートルとか言っていたが、確かに大きかった。だがその大きさについて感嘆しあったり賞賛しあったりする仲間が私にはいなかったので、私にとってそれは余りに静かな一瞬の驚きに過ぎなかった。私はすぐにそこを立ち去って、鮫についての解説をひたすら読んだ。
帰りに土産物屋に寄った。行きつけの酒場の女に土産を買っていってやろうと思った。暫く店内を物色して、水色とピンクと黄色のまだら模様をしたイルカのぬいぐるみを手に取った。もこもことした手触りが良かった。女の子受けしそうだなどとも少し考えた。私はここまで来てそんな不埒な事を考えていたわけであった。それから自分用にクリスタルの置物とそれ専用の回転台を買った。回転台にクリスタルを乗せスイッチを入れると、下から虹色の光がクリスタルを貫きつつ回転し、大変美しいのだ。
外に出ると、入口付近で見た海が今度は目の前に広がった。急に明るくなったせいで目が順応できなかったのか、全てのものが穏やかな輪郭を幾重にも持って見えた。私はぼんやりしながらさっき降りてきたエスカレーターを今度は上った。相変わらず周りは人が多く、とにかくしゃべりまくっていて、私は却って孤独を感じた。そして沈鬱な表情のまま、広場に向かった。
広場で缶コーヒーを買って、それを飲み干してから灰皿代わりにして煙草を吸った。今日の朝吸ったきりだったので、大分久しぶりに吸ったのだったが、それでも特段美味くはなかった。天気がやたらいいせいか、修学旅行生が奇声を発しながら私の周りをはしゃぎ回っていた。私もあれくらい元気になれれば良いなと思った。私にも確かにあんな時代があった筈なのだが。
駐車場に戻って乗ってきた車を見つけ、それに乗った。大城さんは運転席で昼寝をしていた。それが私が後部座席のドアを開けた途端に飛び起きた。
「ゆっくり見られましたか?」大城さんは姿勢を正しながら微笑を浮かべていった。
「ええ、おかげさまで」
「大分大きかったでしょう?」
「ええ、大きかったです」
私は気の利かない返事をし続けた。それで特段不親切とも思わなかった。大城さんとの会話が私にとってそれだけ寛いだものとなっていたのかも知れない。
「次は空港に戻りつつ残波岬に寄っていきますね」
車は駐車場を出て走り出した。私はとても疲れていたので、すぐに眠ってしまおうと考えたが、それでもうまく眠る事が出来なかった。仕方なく私は窓の外を流れる景色を見ていたが、やがては空模様が怪しくなり、どんよりと曇ってきた。空も海も薄い灰色になってきた。私の気持ちも天気にあわせて次第に薄暗くなっていった。私は放心したように遠くを見つめながら、車のシートに身を委ねていた。その間一言も口をきく気になれなかった。車のフロントミラーで見た自分の顔は力が抜けて、今にも泣き出しそうだった。大城さんもあまり話しかけてこなかった。




