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 やはり大城さんの話は行き当たりばったりで無計画な感じが否めなかった。前置きの割には結論があっけない。尤も話の落ちを劈頭に持ってきてしまっているのだから、それで良いのかも知れない。何よりこれがもし実話なら、そんな事を思うのも甚だ不謹慎だ。なお不謹慎ついでに言ってしまえば、その女の死が果たして自殺だったのかどうか大いに疑わしい。不倫相手には彼女を殺すだけの充分な動機があるからだ。尤もそんな事は誰でも思う事であろうし、大城さんも全く考えなかったわけではないだろう。それでも口にする事を憚ったのだから、少なくとも法的にはその可能性は否定されたのだろう。それを私が敢えて蒸し返すのも配慮に欠けるというものだ。だから黙っていた。

 古宇利島に着く少し前に、車を停めてもらって、マングローブの群生した岸辺を見た。背の低いマングローブは濁った水の上に密生していた。それは子供の頃見た松島の風景を髣髴とさせた。海面は殆ど波立っておらず、鏡のように水上の風景を潤ませていた。その質朴で、静かな感じが良かった。私は穏やかな心持ちになった。遠くの海は澄んだ緑色で、汽船の音が遥か向こうから響いてきた。聞こえる音と言えばそれくらいで、後は耳をかすめる風の微かな音すら感じ取れるくらいに静かだった。

 密生した辺りから少し離れて、マングローブの小さな幼木が点々と水面に散らばっていた。母親の膝下を離れて、子供同士で無邪気に遊んでいるようにも見えた。海に身を投げた女もきっとどこかで子供を産んで、今は幸せに暮らしているのだろうと、そんな想像をした。

 私は再び車に乗り込むと、古宇利島に向かった。もう間もなく着きますと大城さんは言った。

 連綿と続くサトウキビ畑の間を縫って暫く進んでいくと、正面に古宇利大橋と思しき橋がずっと奥まで伸びているのが見えた。両端の海の輝く様な青さですぐにそれと知れた。私は大城さんの肩越しに、フロントガラスの向こうのそれを見晴るかした。ただ綺麗だと、その一言に尽きた。ああ自分は本当に沖縄に来たのだとも実感した。来て良かったとも少し思った。空は気付けばこの上なく晴れ渡り雲一つなかった。

 橋は想像していたよりも大きく、長かった。それを渡る前に車を降りて、橋の付け根辺りの土地を歩いて回った。頭に細長い葉を沢山付けたヤシの木が風に揺れていた。階段を下りた先に白砂の浜辺があって、そこに透明な水が打ち寄せていた。私はそこに一人で降りていった。家族連れや女同士の旅行者など、数人の人がいたが、それでも至って静かだった。浜辺は殆ど白に近い茶色のきめ細かい砂が敷き詰められていて、綿のように柔らかだった。だが案外木屑や小石やゴミが多く、それほど綺麗ではないところもあった。すぐ右には古宇利大橋が対岸まで伸びている。その脇に大きな三角形の岩が見えて、それが緑葉に包まれていてまるでワニが布団から起き上がっている様な形に見えた。足元の透明な海水は遠くに行くに従って緑になりまた青になり、しかしそれはどこまで行っても透明さを失わないのだった。

 私が以前沖縄を舞台にした小説を書いた事は前にも述べたが、その主人公がこの海に入水しようとして失敗するという場面を物語の終盤に書いた。海水があまりにも澄んでいたから、沈んだところで容易に陸から見つけられてしまったのだろうという様な事を書いた記憶がある。果たして大体においてその記述は辻褄が通っていた。行った事も無い土地について想像だけに頼って述懐するのは正直に言えば不安だったが、私はそれほど大きな間違いを犯していなかった事が分かって胸を撫で下ろした。

 橋のたもとは影になっていて、白砂が湿っていた。腰を下ろして触ってみると大層冷たかった。それをすくうと、その冷たさが火照った掌に少し心地よかった。ただし砂が手にくっつくのは嫌なので、払い落とした。私は煙草が吸いたいと思ったが、吸い殻が出るのでやめた。

 ふと私は気が付いた。私が小説に書いたのはここではなくて対岸の古宇利島に着いてからの浜辺だった。だが海が澄んでいるのは別に対岸だって変わりはなかろうから、もう安心したって差し支えなかろう、と考えた。そう思うとそれを確かめる為に却って早く対岸に行ってみたくなった。大城さんは車の中で待っていたので、私はそこに戻り、行きましょうと言った。けれども立ち去るのが名残惜しい気もした。

 古宇利大橋は、思ったよりも幅が広かった。対向二車線分の車道とそれに片側にはゆったりとした歩道もあった。大変景色のいい場所だから、こうして贅沢な作りにしているのだろう。それなのに人も車も全く見当たらず、いるのは我々だけなのだった。私は車を降りて橋の欄干からカメラを構え、何枚か風景の写真を撮った。しかしどの写真もこの視界を閉める本物の風景を表現しきっているとは言い難かった。やはり実物を見て肌で感じるものなのだと思った。大城さんも携帯電話のカメラで写真を撮っていた。ツイッターに投稿すると反響が大きいのだそうだ。それがこの老人の唯一の自慢なのかも知れない。そう思うと確かにこの風景を自分のものとして所有する事が出来たらどんなにかよかろうという馬鹿げた妄想に駆られた。しかしもしそんな事が可能でも、結局私は私であり、老人は老人なのだ。所有物は所有主の価値を決めない。片時も銭勘定を忘れる事の出来ない塵界の連中は自分が所有物の付属品に成り下がっていることに気付かぬ本末転倒の愚を演じている。その証拠に大抵そう言う種類の人間は晩年が孤独である。人間自体に価値など無いと言って良い。私もまたこの大海原の中央では一個の人間として身の処し方も分からない程無力である。そう思うと気分が和らいだ。

 横を見れば橋の向こう岸が遠近法的に視界の中央で小さく結ばれている。その周りには水彩絵の具を塗った様な青さの海が押し寄せる。下を見れば海には信じられない程の鮮やかなエメラルドグリーンの水が湧いている。大城さんの解説によれば、海底の砂が白いからこのような明るい色に見えるのだと言う。さすがの私もこれには見飽きる事が無かった。私の汗ばんだ体を、そこはかとない涼感が通り抜けていった。しかしながらいつまでも見ているわけにもいかず、そこを立ち去った。次はいよいよ古宇利島だ。車は嬋娟たる青の中に突き刺さっていった。

 やがて古宇利島に着くと、私は思った。こうして美しい環境に身を浸し歩くのは一瞬である。そして間もなく私は東京に帰ってまたあの灰色の世間に身を沈めなければならぬ。それを思うと美しいものとは甚だ希少で、それも一瞬で視界から消え失せてしまうものだと思った。希少だから、一瞬だから美しいなどという事ではなかろう。美しいのに希少なのだ。美しいのに一瞬なのだ。ああどうしても不都合だ。私は事実とてもそれが不満だった。

 古宇利島の橋のたもとは、先ほど見た浜辺と幾分似ていたが、より広々していて、より美しかった。浜の白砂は乾いており、歩くときゅっと心地よい感触があった。海は先ほどよりも更に澄んでいて、時折遠くの緑が淡すぎて灰色に見える事さえあった。足元の海底の岩や白砂や珊瑚礁までがはっきりと見通せた。橋の麓の岩の積まれている高台に登ってその海を見晴るかすと、太陽の光で海面が燦爛と輝き、光暈の彼方には平たい山の稜線が曖昧に霞んで見え、何とも言えない感慨に襲われた。無上の景色、美の絶頂、そう言ってもなお足りないくらいだったし、何よりそういう大げさな文句があまり似つかわしくもなかった。そういう奇を衒わない美しさだった。空気までが澄んで見えた。私のいる浜はどこまでも横に長く続いて、いつの間にか景色の一部となっている。自然の慰藉は偉大だと感じた。人はやはり少なかった。少なくていいと思った。こんなに美しい風景が人混みに紛れてたまるかと思った。浜辺には植物の蔦が這っていて、それが所々桃色の小さな花をつけていた。私の視線は暫くそれを慈しんだ。

 もう正午を過ぎていたので、古宇利島で昼食をとることにした。ウニ丼がありますよ、と大城さんが言うので、じゃあそこで、と言った。ウニ丼が古宇利島の名物なのかどうかは分からなかったが、どちらにしても私としては腹にたまれば何でもよかった。車に乗ってそこに向かった。途中、窓の外に出店が建ち並んでいた。ソフトクリームだとかホットドックだとかジャンクフードを売っていたに過ぎなかったが、やはりこの辺に店を出せばそこそこ儲かるのだろう。島の人間だって美しさを食っていく訳にはいかぬ。生活がある。それは忌むべき事ではない。だがどうして人間は飯を食わねばならないのであろうといつもながらの諦めの混じった怨恨に襲われた。排泄物は決して食えないように出来ている。そこで飯を求めて狩りに出る。狩りに出れば競争が起こる。競争に勝てば私利私欲に働く。負ければそれに奉じる。不正を正と言い、醜を美と言い、面白くもないものを面白いと言い、嘘ばかりがはびこる。私は炳乎として輝きを放つ海を車外に見ながら、ほとほと悲しくなった。しかしこれはいつもの私の癖であり、今に始まった事ではなかった。

 急な坂道を上っていくと、屋敷がこいに囲まれた民家が見えた。赤煉瓦の屋根の上からシーサーが見下ろしていたり、ヒンプン(正面から建物の内部が見えないように拵えたついたての様なもので、魔除けの意味もあるらしい)が見えたり、風通しが良くなるように四角い網目状の外壁だったり、随所に土地柄が垣間見えた。そこで私は、生活というのも案外文化的なものかも知れないと少し思い直しもした。いやむしろ生活なしには文化は産まれないだろうという気すらした。生活と文化が相反するものではないとすると、生活を愛したからとて文化を捨てた事にはならないだろう。にも拘らず私が生活を心から愛する気になれないのは何故なのか、それがどうしても分からなかった。

 すると目の前に小学校が見えた。小さな白い校舎と割合に広々とした校庭。この小さな島にも小学校があり、子供達はこの自然に育まれて美しい人格を形成していくのだろうと思われた。こんな所で育っていれば、私も無用な懊悩を無闇に持ち出して頭の片隅を絶えず曇らせる必要も無かったかも知れない、等とも思った。だが勿論、必ずしもそうとも言えない事も分かった。狭苦しい人間関係だ。煩わしい事も多かろう。景色がいくら美しかろうが、それが何だ、何の役にも立たんじゃないかという気になってもくるだろう。

 車は坂道をぐんぐん登っていった。私はただシートの背もたれに身を任せて、リクライニングシートに座っている様な姿勢になっていた。

 大分登った所に飯屋があった。大城さんは近くに車を停めると、着きましたよ、と言った。降りてみると、山の中腹にできた平地の様な所に店が建っているのだった。店と言っても小さな建物で、表にウニ丼とか沖縄そばとか書いてある黒板が無ければ普通のしもた屋と見紛うくらいだった。しかし店先の庭が美しかった。庭には短く刈られた芝が一面に生え揃っていて、その周りを南国らしい観葉植物が青々と取り囲んでいた。名前は分からないが、小さな花も咲いていた。赤や橙や黄色など、暖色の花弁が多かった。何よりそこからは今まで来た道が一段下方に一望できた。ずっと向こうに大橋が細く伸びているのが見え、海と山並みは蒼穹の下、的皪として同じ青さでやはり広大に視界に広がった。

 屋外の階段を登って二階の入口から店に入ると、やはりその景色に向かってテーブルが並べられていた。この眺望を眼下にしながら飯が食えるわけだ。まるで雲の上の生活だ。店の奥から出てきた四十歳くらいの女主人に、私はウニ丼を頼んだ。大城さんもここで昼食にするらしく、沖縄そばを頼んでいた。

 座って飯が来るのを待つ間、私は焦点の定まらない眼で遠くを見ていた。静寂の中、溜め息をついた。するとどこからか甲高い鶏の鳴き声がした。それが平和の象徴の如く長閑に響いた。

「あれは軍鶏(シャモ)の鳴き声ですね」と、私の背後にあるカウンターに座った大城さんは言った。軍鶏といえば軍鶏鍋の軍鶏か、と私は連想した。

「沖縄ではタウチーと言うんですがね、もの凄く戦闘的なんですよ。特に雄はね。闘鶏という競技があるくらいですからね」

 多分闘鶏とは、軍鶏同士を戦わせる事を言うのだろう、と私は想像した。私には何となくそれが野蛮な気がして、あまり良い心持ちはしなかった。

 そこへ料理が運ばれてきた。はいお待たせしました、と女主人は明朗だった。ウニ丼とは言ったが、それ以外にも様々な名産が盆の上に所狭しと並べられていた。ウニ丼とソーキそばがメインディッシュで、他に小鉢で刺身やらもずくの酢の物やら海ぶどうのサラダやらが添えられている。緑色の液体は恐らくゴーヤジュースかなにかだろう。私はここに来てあまり食欲の無いのを感じていた。景色が美しすぎて憂鬱を感じていたのだ。憂鬱は人間からあらゆる欲望を奪いさるものだ。だが手をつけずにいては失礼だし、勿体ないので箸を持って、ゆっくりと口に運び始めた。食ってみれば意外と食えた。大城さんはまた私が退屈しないように、私の背後から小咄を添えた。


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