4
そのとき車が人の多い駐車場に入っていった。
「着きましたよ。ここが万座毛です」
私は何とも間の悪い終わり方をした大城さんの話を放って、車窓の外を見た。それにしても観光客が多かった。いつかここを写真で見た時はむしろ閑散とした印象を与えられていたので、これは私にとって意外であり、また詰まらなくもあった。それでもこれほど有名な景勝地ともなれば人だかりが出来て当然とも思った。
私と大城さんは車から降り、歩いてすぐそこの断崖まで行った。大城さんは立ってみると非常に背が高かった。そのせいで余計に痩せて、年とって見えた。
空は薄ぼんやりと曇っていた。だが風が生暖かく少しも寒くはなかった。崖の上の草花は涼しい風に吹かれてそよいでいた。小さな花は黄色く点々としていた。そこに人は入れなくなっており、混雑した周りに比べてそこだけが穏やかで長閑な印象だった。
私は柵の向こうに広がる遠くの景色を見ながら深呼吸をした。視界を占領する程に、それは広大ではある。けれどもその手前の柵の脇には他の観光客が列を作っており、それが如何な角度で景色を見ようとも視界から外れてくれなかった。正に「一翳目に在って空花乱墜する」とはこのことだと思った。しかも注意して歩かないと他の観光客の写真撮影の間に割り込んでしまうので、そう悠然とも歩けなかった。
私は先ほどの大城さんの話を思い出した。人だかりの奥に見える海も遠くに青く浮かぶなだらかな山並みも、確かに絶望的だった。観光客ならそれを美しいとか、雄大だと思うだろう。だがこの景色に倦み、嫌気がさしてしまった人にとってこの海は却って理想と現実の懸隔を象徴した絶望的な隔たりだろうという気がした。どこまで行っても終わりの無い、絶望的な奥行きを、その海は持っていた。
大城さんは説明に徹していた。この万座毛というのは古代琉球王朝の王様が、一万人が座れる程広い原っぱだ、と評したことが名前の由来だと言っていた。王様の名前も言っていたがそれは忘れた。
私はその断崖絶壁の先端あたりから、左側に見える別の断崖を見た。よく象の鼻に例えられる断崖である。群生している白いすすきの穂の向こうに、写真で見たのと同じ象の鼻が見えた。鼻の先端は荒波に洗われていた。そして象は遥かに広がる水平線の向こうを静かに見据えていた。どっしりとしたいい風貌だった。象の頭の上に人が一人もいないのもよかった。
少し順路を進むと、崖の縁に表面のごつごつした如何にも擦りむいたら痛そうな岩があった。
「そこに登ってみてくださいよ」と大城さんが言った。しかし岩には「立ち入り禁止」という札がかかっていた。だが大城さんが言うなら大丈夫だろうということで、私は恐る恐る岩を登攀した。自分の身長程も無い低い岩に両手両足に力を込めながら四つん這いで登る私は無様だったろう。
私が丁度上まで登ったところで、大城さんが言った。
「そこから下を覗いてみてください」
私は岩の縁に手をかけ、顔を出してその真下を覗いてみた。すると目も眩む様な高さに項の辺りが一瞬ひやりとした。私の目の遥か下方では、黒い海が荒波を上げて猛り狂っている。
「ははは」と大城さんは笑った。振り向いた私もつられて笑った。その後「立ち入り禁止」の札の前で一枚写真を撮ってもらった。
その後我々は車に戻った。車のドアを閉めた瞬間に、潮騒はぴたりと遮断され、私は無音の世界に引き戻された。こういう時程、車が嫌いになる事は無い。私が未だ車を持たないのも何となくこういう閉塞的な淋しさがあるからだ。
「次は古宇利島に向かいますね」
そうだ、行き先リストには古宇利島が入っていたのだった。するとここからかなり遠いだろう。その間に色々な景色が在るだろう。そしてそれを見ながら静かに休息していられる筈だ。私はここに来てもう少し疲れてしまっていた。何せ私はスーツ姿なのだ。神楽坂で鰻を食った日からまだ家に帰っていないのだ。今更ながら、全く無謀な旅をしたものだ。
外の景色はまた流れ出した。私は腕を組んで、無言でそれを見つめていた。そしてまたすぐにそれに飽きてしまった。確かにこれ以上無く開放的な海と空だ。しかし行けども行けども変わり映えがしないのだ。一時間もそれを見ていたら誰だって飽きるだろう。しかし一方でそういう自分の懶惰な気持ちを戒めもした。こんなにありがたい景色を前にして心を微動だにもさせない自分が罰当たりな唐変木に思えた。しかしやはり退屈なものは退屈だった。そう思うと余計に疲れを感じて、私は溜め息をついた。頭の中が灰燼に帰した様な倦怠を感じて、そこから逃れる為に眠ってしまおうとした。だがさすがにこの非日常の世界で簡単に入眠する事は叶わなかった。元々車の中で眠れる質ではないのもあるのだが。
私のそういう気持ちが表情や態度に表れていたのであろう。大城さんはそれまで周りの建物や地名や、それに海の向こうの小島が熊の形に見えるとかいうことを言ってガイドをしていたのだが、それがまたいつの間にか饒舌な口調の物語になっていた。
「さっき見た万座毛なんですけどね」
咄嗟に私の感覚は、また何か落としどころの無い、中途半端な話を聞かされるのかという嫌な予感に包まれた。果たして予感は的中した。私は適当な相槌を入れつつそれを聞き流すより他無かった。




