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 昼飯に、神楽坂で鰻を食った。会社の重役達と色々あって同席したのである。下っ端は私と他二人だけだ。金粉のまぶされた重箱の鰻は、良く蒸されていて美味かった。肝吸いも絶品だ。だが幾人ものお偉いさん方と一緒だとさすがに気詰まりだ。舌の上の美味さは喜びに変わらない。緊張していたせいか、気づかぬうちに山椒をかけすぎたらしい。舌がえらくしびれる。しかし私はそれをおくびにも出さず、籐椅子の背もたれに背中も落ち着けず、背筋を伸ばしたまま両手を膝の上に置いている。足の裏にはカーペットの柔らかさを感じる。靴の中は蒸れている。顔は始終笑っているが、腹の中には別の何かがある。

 食後の抹茶を頂くと、我々はぎこちなく談笑しつつ店の外に出た。神楽坂は雨降りだった。行き交う人々の開いた傘が水玉模様に坂を登っていく。歩道の敷石は濡れて、白が灰色に染まっている。私の中の風情もすっかり雨に濡れ、ただうら寂れた路地を卑屈に身をかがめて歩くのだった。午後の会議は四時間も続く。退屈の空気に締め付けられて窒息死してしまわないかが心配である。

 しかし時間は必ず流れ去るもので、気づけば会議は終わっていた。終わってみればなんということもない。もう外は真っ暗だ。夜は夜で懇親会と称した宴席がある。入り組んだ路地の奥にある料亭で行われるらしい。私はそれに内心うんざりしながらも、付き合わなければならなかった。雨は相も変わらず降りしきっていた。夜闇の中に車道の路面が無機質な白い光を放つ。そこを車が通りすぎる度にじめじめという音がする。私はもはや傘をさすのも億劫になって、雨に打たれながら料亭に向かった。

 私は大いに酒を飲み、名前の分からぬ料理を食った。時々窓から中庭を見やった。白い小石が敷き詰められ、笹の葉が慎ましく茂っている。橙色のほの明かりがぼんやりと灯ってそれらに陰影を与えている。それらは美しいのかも知れない。だが何となく嘘っぱちの様な気もした。私のおしゃべりも、張り付いたような笑顔も、どこからかわき上がる哄笑も、私を取り巻く全てが嘘に違いなかったからだ。世の中を構成する殆どのものは嘘である。それらを取り除けば本当が残るかも知れない。だがそれは全く美しくないだろう。美しさとは嘘のことである。それが良いか悪いかは私には分からぬ。

 八時を過ぎてから、薄暗い路端で、我々は解散した。雨は上がる気配もない。分厚い灰色の雲のむこうには月の光も透けて見えない。ただ肌寒い。

 私は飯田橋駅に向かおうとした。だが途中で突然足が動かなくなり、立ちすくんでしまった。私と一緒に帰途につくはずだった仲間達はそれに気づかず私を置き去り、人混みに紛れて見えなくなった。何かはっきりしたきっかけがあったわけではない。が、私は不意に全てが闇の底に沈倫したようにどうでも良くなった。虚脱感とか言うよりも、何をすべきか分からない状態だった。確かなことと言えば、雨滴が私の首筋に吹き込んで、かなり冷たいということだけだ。

 私は飯田橋駅から見当違いの電車に乗った。行く当てはなかったが、その日は幸い金曜日で、土日は休みだから、どこへ行こうとも何とかなるだろうという安心も手伝った。

 日本橋から京急に乗り換えてしばらく揺られていると、この電車が羽田空港に向かっていることが分かった。この時間に空港に行っても何もなかろうと思ったので、空港より何駅か手前の穴守稲荷駅で降りた。何とも地価の安そうな、けれどもどことなく古めかしい情緒のある町だった。所謂下町の商店街のイメージそのままだ。古びた居酒屋ののれんやチェーンの飲食店が立ち並ぶ街道を青白い西洋風の街灯が照らし、頭上には何故だか世界各国の国旗が色とりどりに垂れ下がっているのである。私はその一角にある安ホテルを見つけ、そこに泊まることにした。その日は疲れていたので、風呂にも入らずすぐに寝た。

 翌日は寝覚めが悪かった。九時頃まで二度寝三度寝を繰り返した。それからやっとの事でベッドから這い出ると、一階に下りて喫茶室でコーヒーを飲み、チェックアウトした。ホテルを出る際、受付の老嬢が案内をしてくれた。

「羽田空港へ行かれますか?それならすぐそこにバス停がありますから、そこからバスで行くと良いですよ」

私は実のところ、何も行き先を空港に決めていたわけではなかったのだが、言われてみると空港に行くべき様な、行かなければ勿体ないような気がした。

「地下鉄は外が真っ暗で何も見えないけど、バスなら色々見て回れますからね」

なるほどそう言われてみればバスに乗らなければならない様な気もした。ちょうどバスがすぐそこに見えていたので、私は受付に礼を言ってバスに乗った。バスが走り出すと間もなく、東京湾だか何だか、とにかく広々とした海原が視界に開けた。海岸には真っ赤な鳥居が聳えていた。穴守稲荷という地名と何か関連があるのかどうか、それは定かではない。

 しかし程なく、そのバスが国際線ターミナル行きであることが車内放送で知れた。確かに私も行き先を明確に言ったわけではないが、無条件に国際線に乗ると決めつける事もなかろう。私はあの受付にだまされたような気持ちになった。しかし今更宿に電話して文句を言う気にもならない。仕方なく国際線ターミナルで降り、ターミナル間を循環しているバスに乗り換え、第1ターミナルに行く。第2ではなく第1でなければならなかった理由は特にない。私に限らず多くの人は何の意味も知らずに第1と第2の選択を迫られたら、第1を選ぶような気がする。何となくである。

 空港内の券売機で、沖縄行きの航空券を買った。私は以前沖縄を舞台にした小説を書いたのだが、実のところ私は未だ一度も沖縄に行ったことがなかったのである。そこで一度行って見てきても良かろうという気になったわけである。まあ本当のところ、それすらも後付けの理由に過ぎないのであって、真の理由らしき理由は存在しないも同然だった。

 搭乗までの間、ラウンジに入ってトマトジュースを飲んだ。雰囲気は悪くないが、すぐに飽きた。本を読むのも煙草を吸うのも面倒になって、隅にあるテレビを見やった。朝のワイドショーである。

「サービス盛りだくさん!マンガ喫茶特集!」

私はほとほと嫌気がさして、ラウンジを後にした。

 空港は大混雑だった。土曜なので致し方ないが、それにしても私は早くこの騒音の渦と人混み地獄から逃れたかった。まるで灰燼のよう暗く蠢く人だかりに、眩暈がした。明らかに私の居場所は、そこにはなかった。

 搭乗口に並ぶと、館内アナウンスが響いた。

「お客様にご案内します。ただいま10番ゲート改札機が故障しました関係で、お客様をご案内できない状態となっております。ただいま係員が順番にご案内しておりますので、少々お待ちください」

私はこの繰り返し流れるアナウンスに、次第に苛立ってきた。何だって偶然に偶然を重ねて乗ることになった私がこんな目に!怒りを抑えつつ、搭乗口の前に並び、およそ二十分後にやっとのことで機内に入ることができた。席は窓際でも通路側でもない真ん中あたりの席だった。それとなぜか私の周りには赤ん坊連れが多く、泣き声が耳朶を打つようにうるさかった。

 私は浮いていた。当然のことながら私以外の乗客はTシャツにハーフパンツといったラフないでたちであり、そんな中スーツに革靴の私は何となく場違いな気がした。居心地が悪いので、私はすぐに寝た。そのまま眠りに落ちている間に、旅客機は離陸したらしかった。

 機内販売が来て、私は目を覚ました。起こされついでにオリオンビールを買って飲んだ。隣の赤ん坊は相変わらず泣き喚き続けている。高ぶる苛立ちを抑えて、私は赤ん坊に笑いかけてやった。赤ん坊は一瞬私を見たが、ぷいと目を逸らしてまた泣いた。無視された。赤ん坊の両親は快眠している。私はやりきれない思いがした。

 分厚い雲を突抜け、やがて沖縄に到着し、那覇空港に降り立つと、私は頭の中に分厚い靄がかかっていることに気がついた。喫煙所で煙草をすうと、それがさらにひどくなった。沖縄に降り立ったのだという実感は悉くそれにかき消された。空港内の沖縄そば屋に入って、ソーキそばを食った。東京の沖縄料理屋で食うよりも美味い。島唐辛子をかけすぎて少し辛いが、まあ山椒をかけすぎるよりはよかろう。いくらか気分も晴れた。私は空港から長距離タクシーに乗った。

 11月の沖縄は良く晴れていて、暑くも寒くもなく、快適だった。私はかねてより行きたいと思っていた恩納村まで行ってもらうように運転手に告げた。以前書いた小説の舞台が恩納村だったのだ。恩納村までは高速道路を使っていってもらうように頼んだ。

 途中、真っ白な頭の運転手は、沖縄の風土や文化について解説を施してくれた。日本の米軍基地の75%は沖縄にあって、こんな小さな島にそれほどの割合を押し付けているのだから、反対論も出て当然だとか、しかし基地で働いている島民もいるから、雇用を守る意味ではただなくせばいいというものでもないとか、サトウキビの花は白くてまるでススキの穂のようだとか、沖縄の天気予報はあってないようなものだとか。

 ふと見ると、窓の外のずっと遠くに小さな家の集まりのようなものが見えた。屋根がついているが石造りであるようだ。

「あれは沖縄人のお墓です。本島のとは少し違うかもしれませんね」

私は心なしか少し悲しくなった。こんな楽園にも、死が存在するのだと思った。それに運転手が「本島」という言葉を使ったのも悲しかった。沖縄だって日本じゃないか。

 一時間ほどで恩納村に着いた。運転手に礼を言って料金を精算しタクシーを降りると、ぐるりと辺りを見回した。群生する植物はいかにも南国風だったが、それを除けば単なる田舎町という印象だった。とはいえ元々私は無意味な旅をしている訳だから、物珍しい風景がないからと言って落胆する必要もなかった。

 私はさんぴん茶を飲みながら傍の空き地にあった木製のテーブルで暫く書き物をしていた。が、手首を蚊に刺された。まだ蚊がいるとは予想外だった。刺されたところがひどく痒く書き物に集中できなくなったため、私はそこを立ち、宿を探すことにした。宿はすぐに見つかった。若いサーファーやダイバーが利用するのであろう、小さなホテルだった。私はその一室に荷物を置いて、すぐにまた外に出た。

 恩納村は漁村のようなところで、建物は皆茶色く煤けて、年寄りがちらほらいるだけの寂しいところだった。私はそんな海辺を暫く歩いた。港には海ぶどうの直売所があり、漁師と思しき年老いた集団が船べりで談笑している。何の変哲もない漁村と思っていたが、さすがに沖縄だけあって海水の透明度は高く、エメラルドグリーンの奥に海底が見通せた。

海を眺めながら、岬の先端まで歩いて行った。足場が岩でごつごつしているために剣呑で、ゆっくり歩かざるを得なかった。私はどうにか岬の先端までたどり着くと岩の上に寝そべり、海風に身を任せ、そっと潮騒の音に耳を澄まし、放心した。静かだった。水平線は地球の球面のなだらかなカーブを描いて横に広く広がり、幾重にも層をなした雲の腹を夕日が染めて、夕暮れの空との間に虹色の境目を織りなしていた。白い鉄塔が対岸の岬に立っている。夜はもうすぐだ。海は夜闇に溶けて黒ずむ。私は強く吹き始めた潮風に目を細めた。すると不思議と頭の中の靄が大分吹き飛んだ。疲れてはいたが、気持ちは爽やかだ。どうしてここに来たか、その時なんとなくわかったような気がした。私は目尻に少しだけ涙を浮かべた。景色は潤んで視界の中で溶けた。


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