第六回 黒猫、烏、暗雲
ドアを開けて外へ出る。雲が少しあるが、太陽は出ている。
やはり、陽が出てても外は寒い。僕は首を竦めた。
両手をポケットに入れてマンションを出る。
季節は冬の真っ只中。まだ雪こそは降っていないが、土に白くて綺麗な霜柱は立っている。
今日は遅く出てきたはずなのに、まだ残っているのか。
心の中で、微笑んだ。
それとなく、霜柱の方へと寄る。高校生にもなって、霜柱を独りで楽しそうに踏んでいるのは少し恥ずかしい。なので、よろけてたまたま踏んでしまったという感じを出したい。
歩いている最中に、わざと右足の甲で左足の踵を蹴る。僕の思い通りにバランスが崩れて、霜柱の方に足が向かっていく。
心地よい感触。それを足の裏で感じる。かき氷を食べたときの音が、足下で鳴った。
自然と笑みが顔に浮かぶ。これこそ、至福の一時。
途端、自分が微笑んでいることに気づき、僕は垂れ流していた笑みを元に戻す。何で僕は、たまたま踏んだのに微笑んでいるんだ。これじゃまるで、自分から望んで霜柱を踏んだようじゃないか。
誰かに見られていないか、と周囲を見渡す。――誰もいない。僕はほっとする。
突如、感じる視線。
咄嗟に振り返った。
闇のように黒い毛、小柄な体躯。
黒猫が、そこにはいた。
金色の瞳がこちらをじっと見つめている。僕は息を呑んでそれを見つめ返す。
まるで、時が止まったような感覚。風の音だけが聞こえる。
瞬き。それをした途端、黒猫は僕に興味が無くなったのか来た道を戻り始めた。
一体なんだったのだろうか、と思いながら歩き始める。
――黒猫。僕ははっとする。
脳裏に浮かぶその言葉。『不吉の象徴』
後ろを、振り返る。
だがそこにはもう『不吉の象徴』は、いなかった。
嫌な予感。
それが、さっきから僕の胸を満たしていた。
脳裏に浮かび続ける、僕を見つめる黒猫。他のことを考えようと思っても、それだけしか考えられない。
特に暑くも無いのに手に浮かぶ汗。普通に歩いているだけなのに逸る鼓動。
僕は今、怯えていた。
これからやってくると思われる何かに、怯えていた。
甲高い、まるで嘲笑うかのような声が空から聞こえた。
僕は声の主を見る。
漆黒の翼を広げ空を飛んでいるそれが、僕を上から見つめている。
――烏。それは旋回を始める。僕を、中心にして。
僕のことを餌だと思っているのだろうか。そう考えるがすぐに否定する。
だとすると、何故僕を中心にして旋回を始めたのか。
じっと、虚空に円を描く烏を見る。
そして、それに気づいた。
烏も、『不吉の象徴』じゃないか。
嘲笑うような声。
この後、何か起きるんじゃないか。
竦む足に鞭を打って、烏から逃げるようにして学校へ向かった。
農道を抜けると、少し広い道に当たる。そこを渡ると、僕の中学校に着く。そこは朝でも車の通りが多い、少し危険な道だ。
烏から逃げてきた僕は、横断歩道の信号が青になるのを待つ。車の通りはやはり多い。信号無視をして渡るのは自殺行為だ。
背後で、何かが落ちる音がした。音の方を見ると、白い液体がコンクリートにぶつかっていた。鳥の糞だった。
僕は反射的にそれを避ける。
車道に、出る。
聞こえた、クラクション。
照らされる、僕。
ブレーキ音、向かうそれ。
轟音。
見えるのは空。家から出てきた時よりも、暗い。暗雲が立ち込めている。
プールで浮かんでいるような感覚。
長い。瞬間を、永遠に感じる。
そして、訪れる恐れ。
これから、何かが起きるんじゃないか。
静寂。
その中で、まるで僕を嘲笑うような声と、死を告げる声が聞こえた。
-「Black cat that calls death,Crow that ridicules it,Dark clouds that uneasiness is felt.」end-
-不安-
気がかりなこと。心配なこと。これから起こる事態に対する恐れから、気持ちが落ち着かない状態。
原因や対象のはっきりしない恐れの感情。動悸・発汗などの身体的徴候を伴うことが多い。
「はてなキーワード」より
2011/02/06
前書きにて表紙掲載。