第一回 傍観者
第一回創作五枚会概要
・禁則事項…主人公の「」による台詞の禁止
・テーマ…人形
オリジナルの縛り
・原稿用紙の五枚目の最後の行で作品を終わらせる。
暗くなった子供部屋。襖が三十センチほど開いていて、そこからリビングの明かりが入ってきている。私はそこから、リビングを見ている。
「ただいま」お父さんの声が、子供部屋まで届いた。どうやら、帰ってきたようだ。お父さんが襖の前を横切る。恐らく、鞄を置きに行ったのだろう。
途端、早く刻まれる足音。
襖から、一瞬その姿が見える。
桃色のエプロン、風に靡く長い黒髪。――お母さんだ。
そのお母さんの右手には、銀色に光るナイフが力強く握られていた。
お母さんの姿が見えなくなる。腰まである、長い黒髪を残して。
鈍い音、命の灯火が消える音がした。艶の出ているフローリングに、深紅の液体が飛び散る。
「お帰りなさい、あなた」その言葉を聞いて、あのお母さんにぴったりの言葉が思いつく。――悪魔。狂気と悦びに満ち溢れたその声に、私は恐怖を抱いた。
子供部屋から一瞬、血を纏ったナイフが見えた。恐らく、お母さんがナイフを引き抜いたのだろう。
灯火が消えかけている肉片が、倒れる音。
「何でこうなったか、わかってるよね?」澄んだ声で、荒く息を吐いているお父さんに向かって問うのが見える。
「浮気してたのがばれてないとでも思ったの?」悪魔の横顔が見えた。人を見下した嫌な笑顔。悪魔は、それをお父さんに向けていた。
「まあ、ばれてなかったら、こんな風にはなっていないと思うけどね」
悪魔は、狂ったように笑い出した。そして、本能の命じるままに動かないお父さんだった物を蹴り始める。
「無様に死んだなあ、お前よお」蹴りは弱められる事無く、むしろ強くなっていく。目を背けたくなる衝動に駆られる。だが、私は背けられなかった。
悪魔が唐突に蹴りを止めた。おもむろに、エプロンの下に履いている細身のベージュ色のパンツのポケットから携帯を取り出した。もぞもぞと、それはさながら小動物のように動いていた。
慣れた手つきで、通話に出る。
「え? ああ。終わったよ、うん」
いつものお母さんに、戻っている。
さっきの、狂ったような笑顔ではなく、普通の笑みに戻っている。
電話に出た途端、悪魔は消え去ってお母さんが戻ってきた。――まるで二重人格者の人格が戻ったように。
「うん、わかった。今から行くね」恋する少女のように、微笑んでいる。「愛してるよ。ダーリン」
お母さんは、電話を切った。まだ、あの少女のような微笑みだ。
お母さんは、突然振り返った。
視線が、合う。
一瞬だった。冷たく、何も感じていない顔。悪魔が、戻ってきた。
「何を見ているのよ」右手に持っているナイフを弄んでいる。
「気味が悪いから、あんたも死んじゃえ」
紅い水溜りを踏みながらこっちへやってくる。狂った笑みを、浮かべながら。
やめて。
やめて。
やめて。
幾度も叫ぶが、その声は届かない。
刹那、貫かれる腹。
まず、鼻を突いたのは腐臭だった。思わず、口と鼻の前に手を当てる。
土足のまま、家に上がる。失礼しますは言わない。もう、この家には誰もいないと言うことがわかっているからだ。
「こりゃ、酷えな」
廊下に広がる血。それが、この事件の残酷さを物語っている。
俺は足を止めた。声が、聞こえる。俺は咄嗟に走り出した。
「大丈夫ですか?」叫びながら、リビングへ行く。
倒れている男。声の主は、この男じゃない。もっと、幼い子だ。
襖が閉まっているのに気がつく。声は、その奥から聞こえる。
襖を、開ける。
ナイフが腹部に刺さっている人形。それが、声の主だった。
やめて。
やめて。
やめて。
ただ空しく、幾度も叫んでいた。
-「The doll only shouts.」end-