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英雄の俺、オーガの姫と出会い、共存のために英雄をやめることを決めた

作者: こはくさ
掲載日:2026/04/10

 俺の名はアベル。

 魔物を斬り、人々を救う者。

 いつしかそう呼ばれるようになった――英雄だ。

 もっとも、その名に相応しい人間かどうかは分からない。


 ただ一つ言えるのは。

 俺が剣を振るう理由は、昔から変わっていないということだ。


 ――誰かに笑っていてほしかった。


 泣いている人間がいるなら、救いたかった。

 それが、子供の頃に憧れた“英雄”だったからだ。

 だから俺は、魔物を斬る。

 人を襲う存在を、この手で討つ。

 それが正しいと、そう教えられてきた。


 ……仲間を、魔物に殺されてからは、なおさら。


 迷いはなかった。

 あの日までは。

 今日も、いつも通りの依頼を受けた。

 オーガの群れの討伐。

 特別なことは何もない。

 魔物を斬り、報酬を得る。


 ――それが、俺の日常だ。


 この日も、同じように終わるはずだった。

 だが。


「どうして襲うのですか! 私は平和に生きたいだけなのに!」


 目の前にいたのは、言葉を叫ぶオーガだった。


 ――いや。


 オーガの、姫だった。


 他の個体とは明らかに違う。

 細身の体躯に、纏う魔力の濃さ。

 そして何より、その瞳。

 理性を宿したそれが、真っ直ぐに俺を睨みつけていた。


「答えてください、人間……! どうして、襲ってくるのですか……!」


 震えている。

 怒りか、それとも――別の感情か。


 理解が追いつかない。


 魔物は、人の言葉を話さない。

 理性も、感情も持たない。

 それが、この世界の常識だ。

 だが、目の前の存在は違う。


「……魔物が、喋るはずがない」


 思わず、そう呟いていた。


 次の瞬間。

 地を蹴る音が響く。


「――ッ!」


 振り下ろされた一撃を、咄嗟に剣で受け止める。


 重い。

 だが、速い。


 ただ力任せに振るうだけの他のオーガとは違う。

 明確な意思と技がある。

 弾き、距離を取る。


「……なのに、なんでお前は言葉を喋るんだ」


 口をついて出たのは、問いだった。


「こちらの問いに答えてください!」


 即座に返ってくる声。

 怒りに満ちているはずなのに、その奥に別の色が混じっている。

 再び、踏み込んでくる。


 速い。


 剣筋は鋭く、無駄がない。

 受け流し、いなし、距離を取る。


 ――強い。


 これまでのオーガとは、明らかに違う。

 その視線が、わずかに逸れる。


 ――地面へ。


 そこに転がるのは、先ほどまで動いていたオーガたちの亡骸。

 沈黙が落ちる。

 ぎり、と。

 小さく、歯を食いしばる音が聞こえた。


「……あなたが、やったのですか」


 低く、押し殺した声。

 問いかけというより、確認。

 その指先が、わずかに震えている。


「……ああ」


 否定はしなかった。

 する意味も、ない。


 依頼だった。

 討伐対象だった。


 ――それだけのはずだった。


「そう、ですか」


 ぽつりと、零れる。

 その唇が、強く噛み締められる。

 血が滲むほどに。


「なら、やはり――あなたは敵ですね」


 顔を上げた瞳には、先ほどまでとは違う色が宿っていた。


 怒り。

 悲しみ。

 そして――覚悟。


「来なさい、人間」


 静かに、しかし確かに告げる。


「ここで、終わらせます」


 踏み込みと同時に、刃が迫る。


 速い。


 だが――見える。


 これまで斬ってきたどの魔物よりも鋭い。

 それでも、俺にとっては対処できる範囲だった。

 受け流し、懐へ潜り込む。

 剣を振り上げる。

 首筋は、がら空きだった。


 ――斬れる。


 そう判断した瞬間。

 止まった。


「……っ」


 自分でも、理由が分からない。

 ただ。

 ほんの一瞬前に見た表情が、脳裏に焼き付いて離れなかった。


 倒れたオーガたちを見たときの、あの顔。

 怒りだけじゃない。


 ――あれは、悲しみだった。


 剣が、振り下ろせない。

 ほんの一瞬の停滞。

 その隙を、見逃す相手じゃなかった。


「――甘い!」


 鋭い踏み込み。


「ッ!」


 咄嗟に引いた刃の代わりに、肩口を掠められる。

 浅い。だが、確かに届いた一撃。


 距離を取る。

 血が、じわりと滲む。


「どうしたのですか!」


 追撃。


「先ほどまでの勢いは!」


 振るわれる刃は、止まらない。

 迷いなど一切ない、殺すための連撃。


 ――いや。


 違う。

 その奥にあるのは、怒りだけじゃない。

 押し殺した何かを、振り払うような動き。


「……っ」


 受け流し、いなし、間合いをずらす。

 強い。

 確実に、こちらを仕留めに来ている。


 ――なのに。


 あの表情が、離れない。

 倒れたオーガたちを見たときの、あの顔が。

 踏み込みが来る。

 今度は、深い。

 狙いも正確だ。


 ――これ以上、長引かせるべきじゃない。


 判断が、切り替わる。

 刃を滑らせ、軌道を逸らす。

 そのまま懐へ。

 距離は、十分。

 振り上げる。


 ――だが。


 振り下ろしたのは、刃ではなかった。

 柄だ。

 鈍い音が響く。


「……ぁ」


 小さく声が漏れ、オーガの姫の身体が崩れる。

 そのまま、地面へと倒れ込んだ。


 どれくらい時間が経ったのか。

 小さく、息を吸う音がした。


「……っ」


 瞼が、ゆっくりと開く。

 視線が揺れ、焦点を探すように彷徨う。

 そして――俺を捉えた瞬間。


「――っ!」


 反射的に身体を起こそうとする。

 だが、力が入らないのか、すぐに崩れた。


「動くな」


 短く告げる。


「……殺さない」


 自分でも、少し妙な言い方だと思った。

 だが、それ以外にどう言えばいいのか分からなかった。


 オーガの姫は、しばらく黙って俺を見ていた。

 警戒は解いていない。

 だが、先ほどのような殺気はない。


「……なぜ」


 ぽつりと、零れる。


「なぜ、止めたのですか」


 その問いに、すぐには答えられなかった。


「……分からない」


 結局、出てきたのはそれだけだった。

 嘘ではない。

 本当に、分からなかった。


「……そう、ですか」


 それ以上は追及してこなかった。

 ただ、小さく視線を落とす。

 その先にあるのは、倒れたオーガたち。

 沈黙が落ちる。


「……一つ、聞かせてくれ」


 静かに口を開く。


「どうして、お前は言葉を話せる」


 視線が、戻る。

 まっすぐに、俺を見る。


「……私が話せるのは」


 わずかに、言葉を区切る。


「オーガの中でも、特に知能を持って生まれたからです」


 淡々とした声音。

 だが、その奥にはどこか張り詰めたものがあった。


「……稀に、いるのです」


「魔物の中にも、人のように考え、理解できる個体が」


 ぽつり、ぽつりと続く。


「多くはありません」


「ほとんどは、本能のままに動くだけです」


 その言葉は、自分の種を切り分けるようでもあった。


「ですが……確かに、存在します」


 小さく、息を吐く。


「私は、その一人だった」


 視線が、ゆっくりと下がる。

 倒れたオーガたちへと。


「だから」


「せめて、この子たちだけでもと思ったんです」


「人間に見つからない場所で」


「争わずに、生きていけるように」


 唇が、わずかに震える。


「……それだけだったのに」


「……ですが」


 わずかに、言葉を区切る。


「人間は、そんなの関係ないのでしょうね」


 静かな声だった。

 責めるでもなく、怒るでもなく。

 ただ、事実をなぞるように。


「何度も、襲われました」


「見つかれば、すぐに」


「話をしようとしても、聞いてもらえませんでした」


 視線は落ちたまま。

 その先にあるのは、動かなくなった同胞たち。


「それでも、逃げて」


「隠れて」


「どうにか、生き延びてきました」


 ぽつり、ぽつりと。

 途切れながら紡がれる言葉。


「……ですが」


 小さく、息を吐く。


「あなたに見つかった」


 そこで初めて、顔を上げる。

 その瞳には、もう怒りはなかった。


「……皆、討たれました」


 事実を告げるだけの声音。


「私は」


「ただ――平和に、生きていたかっただけなのに」


 最後の言葉だけが、わずかに揺れた。

 沈黙が落ちる。

 何も、言えなかった。


 目の前にいるのは、魔物のはずだ。

 人を襲い、命を奪う存在。

 だから、斬る。

 それが正しいと、そう教えられてきた。


 ――実際に、見てきた。


 仲間が、魔物に殺されるところを。

 血を流し、倒れていく姿を。

 忘れたことなど、一度もない。


 だからこそ。

 迷いは、なかったはずだった。


 ――なのに。


 目の前にいる存在は、なんだ。

 悲しみ、言葉を持ち、仲間を想う。

 それは――本当に、俺が斬ってきた“魔物”と同じなのか。


「……俺は」


 言葉が、続かない。

 正しさが、分からなくなる。

 ただ一つ、分かるのは。


 このまま剣を振るうことに、もう迷いがないとは言えないということだけだった。


「……あなたは、優しいのですね」


 ぽつりと、彼女が言った。


「私が言葉を話すと知って、迷っている」


「だから、殺せない」


 静かな声だった。


 決めつけるでもなく、ただそう見えた事実を口にしただけのような。


「違う」


 即座に、否定していた。


「そんなんじゃない」


 自分でも驚くほど、強い言葉だった。


「……喋ったから殺さないんじゃない」


「俺が――」


 一度、言葉が詰まる。


 それでも、吐き出す。


「……もし、お前が人間だったらどうしようって、そう思っただけだ」


 沈黙。

 彼女は、何も言わなかった。

 ただ、少しだけ目を細める。


「……そう、ですか」


 小さく、息を吐く。


「なら、なおさら」


 ゆっくりと、言葉を続ける。


「私を殺しなさい」


 迷いのない声音だった。


「そして、何もなかったように過ごせばいい」


「それが、あなたにとって一番楽なはずです」


 顔を上げる。

 まっすぐに、俺を見る。


「……あなたは、英雄なのでしょう?」


 その一言が、胸に刺さった。


 ――英雄。


 憧れた存在。

 誰かを救い、誰かを笑わせる者。

 泣いている人間がいれば、手を差し伸べる。

 それが、俺の思い描いていた“英雄”だった。


 じゃあ――


 目の前にいるこいつは、なんだ。

 仲間を失い、悲しみ、それでも誰かのために言葉を選ぶ存在。


 それは、本当に――斬るべきものなのか。


 剣を、見る。

 何度も振るってきたそれを。


 そして。


 ――ゆっくりと。


 冒険者証を取り出した。


「……俺は」


 小さく、呟く。


「そんな英雄には、なりたくない」


 手に力を込める。


 ぱきり、と。


 乾いた音が、静寂の中に響いた。

 折れたそれが、地面に落ちる。

 もう、戻れない。


「……なあ」


 顔を上げる。

 呆然とする彼女へと。


「お前が言ってた、その――」


「魔物が、静かに暮らせる世界」


 少しだけ、息を吐く。


「俺にも、手伝わせてくれないか」


 言葉が、森の中に落ちる。

 しばらく、返事はなかった。

 ただ、彼女はじっとこちらを見つめている。

 信じられないものを見るように。


「……あなたは」


 かすれた声が、ようやく零れる。


「本気で、言っているのですか」


「ああ」


 迷いはなかった。

 もう、決めたことだ。

 彼女は、しばらく何かを言おうとして――

 やがて、諦めたように小さく息を吐いた。


「……変な人間ですね」


 ほんのわずか。

 先ほどまでとは違う、柔らかい響きだった。


「そうかもな」


 苦笑が漏れる。

 沈黙。

 だが、それはもう先ほどまでの重いものではなかった。


「……名前を」


 彼女が言う。


「教えてください」


「アベルだ」


 短く答える。


「――アベル」


 確かめるように、その名を口にする。

 そして。


「私は、ツヨクミ」


 静かに、名乗った。

 風が、森を抜ける。


 血の匂いはまだ残っている。

 失われたものも、消えはしない。

 それでも。


 ――ここから、始まるのだと思った。


 英雄と呼ばれた男と、オーガの姫。

 相容れないはずの二人が。


 同じ目的のために歩み出した、その瞬間だった。

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