本編 ~『牢屋に閉じ込められたレオン』~
できる限り一日に2話更新を目指します!!
セレフィーナが伯爵邸から逃げ出して、既に数日が過ぎた。
王都では聖女の噂で持ちきりとなっていた。
『あのセレフィーナ様が辺境伯を襲ったそうよ……』
『正気の沙汰じゃないわね』
『もともと悪い噂の絶えない人だったもの……驚きは少ないわね……』
悪評はセレフィーナが指名手配されたことでさらなる広がりをみせた。聖女の権威性は落ちるところまで落ちようとしていた。
そんな、ある日のこと。
ローズはセレフィーナの手掛かりを求めて、王都の片隅にある石造りの建物を訪れていた。
そこは王家の運営する特別牢で、一般の罪人とは別に、貴族を収容するための施設である。その外観は屋敷のように整っているが、中に入れば冷たい石壁に包まれていた。
「ご案内いたします、ローズ様」
衛兵が敬礼で歓迎してくれるのは、ユリウスが事前に話を通してくれていたおかげだ。
「では、お願いします」
衛兵の案内に従い、ローズはその背中を追いかける。冷たい石畳を踏み鳴らしながら進むと、その先には、ローズの元婚約者であるレオンがいた。
その姿は以前のような気品を失っている。
ベッドの縁に腰掛け、手首にかけられた魔力封じの枷が鈍い光を帯びている。髪も乱れており、瞳には疲労の色が濃い。牢屋での生活に苦労しているのだと伝わってくる。
「……どうしてローズがここに?」
鉄柵の向こうから驚きの声を漏らすレオン。そんな彼の目を、ローズは沈黙しながら見据える。
「まさか僕と会いたくなった……わけではないよね?」
「ありえませんね」
「だよね。ならどうしてこんな牢屋に?」
「その質問に答える前に教えてください。セレフィーナが逃亡したのはご存知ですか?」
「話には聞いているよ……ああ、なるほど。彼女の行き先を探っているんだね」
レオンなら何か知っているかもしれない。そう期待しての訪問だったが、彼は首を横に振る。
「どこに行ったかなんて知るはずがないさ。なにせ僕は彼女のことを何も分かっていなかったんだからね」
レオンの声は震えていたが、そこに怒りや憎しみは含まれていない。失望に近しい感情が、その言葉には滲んでいた。
「結局、真実の愛なんて、どこにもなかったんだ……セレフィーナが僕に愛を囁いたのは、貴族としての地位があってこそだからね……」
彼の指が無意識に服の裾を握る。
「僕はもう終わりだ……本当は公爵家に送り返されるはずだったのに、父が受け入れを拒否したそうだからね……父曰く、僕はもう公爵家の一員ではないそうだ……」
能力を失い、大きな損失を出した。その上、頼みの綱の聖女との繋がりまで失われてしまった彼に利用価値はない。
父親が切り捨てたのも無理はないと、レオンは苦笑する。
「君と婚約破棄さえしなければ……少なくとも公爵家から追い出されることはなかっただろうにね……」
「私を恨んでいますか?」
「最初はね。君のせいだって何度も思った……でも冷静になった今だから分かる。あれは僕の不誠実さが招いたことだ。君は悪くない」
沈んだ声で伝えると、レオンは立ち上がって、鉄格子の前に進み出る。手枷がかすかに音を立てて動きを制限するが、それでも彼は背筋を伸ばした。
「謝罪するよ、ローズ。本当に申し訳ないことをした」
額が膝につくほど深い礼は、心からの懺悔だ。だがローズの表情に笑みが浮かぶことはない。
「許しはしません」
「だろうね。簡単に許されるはずもないと自覚しているからね」
「ただ一言だけ伝えるならば……少しだけ、あなたを見直しました」
自らの非を認め、真摯に謝罪できたこと。それだけでも逃げ隠れしているセレフィーナよりは、ずっと立派だ。
「ローズ!」
威厳ある声が響く。振り向くと、そこには第一王子ユリウスの姿があった。傍には衛兵が控えている。
「殿下!」
レオンは驚きに目を見開いたあと、慌てて跪く。床に手をつき、頭を垂れた。
「なぜ殿下がこちらに?」
「君をここから出すように話を付けるためさ」
「え?」
「公爵の命で君は幽閉されていたが、王族である僕の命令なら、それを上書きできる。今日から君は自由の身だ」
ユリウスは一歩、牢の前へと進みながら、穏やかに告げる。
「これからの道は、君自身で選ぶといい」
「で、ですが、私は罪を……」
「いいや、君は法に触れるようなことをしたわけじゃない。ただ男として最低なことをしただけだ。それで牢に閉じ込めるのは筋違いだし、それに何より閉じ込めておくのもタダじゃない。税金の無駄遣いは避けたいからね」
「…………」
レオンは言葉を失い、ただその場にひれ伏す。口元から、震える声が漏れる。
「ありがとうございます……殿下……」
「感謝なら、ローズに言うといい。君を助ける提案をしたのは、彼女だ」
「えっ」
レオンはゆっくりと顔を上げる。ローズはわずかに視線を外し、口を結んでいた。
「ありがとう。君の優しさは忘れない。決して、忘れないから……」
その声は次第にかすれ、最後には嗚咽に変わる。レオンの頬を涙が濡らす中、ローズたちは彼に背中を向けて歩き出す。
石造りの廊下を進む二人の背に、なおも嗚咽が小さく届く。その声が、どこか痛ましく響いている。
「君を捨てた男に、温情をかけてよかったのかい?」
「公爵家を勘当されただけでも十分な罰になったはずです……それに恩を着せておけば、セレフィーナの情報が手に入るかもしれませんから」
「……君も素直じゃないね、まったく」
ユリウスは喉を鳴らして笑う。その声には彼女の優しさを称えるような響きが込められていたのだった。