本編 ~『破滅する公爵子息』~
レオンは伯爵家の屋敷に足を踏み入れると、荒々しい足取りで廊下を進む。床に響く靴音は、使用人たちの視線を無言で遠ざけるに十分な怒気を孕んでいた。
(どうして僕が、こんな目に!)
苛立ちが胸を焦がす。
彼のアイデンティティとも言える才能、『成長促進魔術』が急に使えなくなったのだ。
つい先日までは将来を約束されていたのに、今では無能な跡取りとして後ろ指をさされるようになっていた。
(ドルーン辺境領を渡したのも失敗だった)
自らの意志で手放したはずの辺境領だが、譲渡して間もなく、その土地から魔力草が取れたと報告が入った。
希少で高価なその植物は、瞬く間に王都でも話題になった。莫大な富を手に入れたローズは新興貴族の星として持ち上げられている。
(対する僕はどうだ……魔術が発動できないと既に周囲に気取られつつある)
魔術が使えない者を後継者に指名するはずもない。きっと次男を新たな領主として育てなおすだろう。
(冗談じゃない! 僕は公爵になる男なんだ!)
怒りを噛み殺しながら、レオンはある部屋の前で足を止める。扉の向こうには、セレフィーナがいる。
誰よりも優しく、自分を愛してくれた少女。そのまっすぐな瞳に映る自分が、今や力を失ったと知れたらと思うと、不安が胸を締めつけた。
(きっと僕の魔術は復活するはずだ。それまで彼女と一緒に逃げ延びればいい)
意を決し、扉の前で拳を握る。控えめなノックが、屋敷に響いた。
「どうぞ」
中から聞こえてきたのは、落ち着いたセレフィーナの声。レオンは深く息を吸い、扉を開けて部屋へと足を踏み入れる。
白を基調とした室内で、彼女は机に向かい、読書をしていた。だがレオンの姿を見た瞬間、視線を上げた。
「お久しぶりですわね、レオン様」
「セレフィーナ、時間がないから結論だけ伝える――僕と一緒にここから逃げて欲しい」
「……逃げる?」
「慰謝料として辺境の領地をローズに譲っただろう。それが問題になってね。ほとぼりが冷めるまで、僕は王国を離れることにしたんだ」
魔術が使えないことは口にしない。だが、話の大筋は嘘ではないため説得力はあった。
「僕には君がいる。二人の愛があれば、きっとどこでだって生きていけるはずだ」
「……貴族の地位を失っても?」
「質素な暮らしでも耐えられる。君だってきっと愛があれば……」
「いいえ、私には無理です。ですので、その提案はお断りさせていただきますわ」
表情は微笑を湛えていたが、そこに温かみはない。冷たい瞳がレオンを映し出していた。
「なぜだ、セレフィーナ。僕たちは愛し合っていたはずだろう!」
「私は聖女ですもの。結婚相手には困りませんわ……なのに、どうして、落ち目の貴族であるあなたを、わざわざ選ぶ理由があるのでしょう?」
その言葉は、まるで刃だ。
セレフィーナの目が細くなり、凍てつくような冷笑が口元に浮かぶ。かつて見せていた優しさは欠片も感じられない。
だが、それでも、レオンは一歩踏み出す。
「君の方から僕を誘惑したくせに無責任じゃないか!」
かつて、レオンはローズに一途だった。だがセレフィーナからの激しいアプローチを受け、心が揺らぎ、そして彼女を選ぶ決断を下したのだ。
「たしかにそうかもしれませんわね」
「だったら!」
「ですが、最終的に浮気をすると決めたのは、あなた自身ですわ」
セレフィーナは淡々と事実を突きつける。
レオンの唇がかすかに震える。言い返そうにも言葉が見つからなかった。そんな彼に向けて、セレフィーナは続ける。
「話は終わりでいいですわね?」
「ま、まだ、僕は諦めていない」
「しつこいですわね。もう私の人生はユリウス様ルートに進んでいますの。攻略対象でなくなったのですから、大人しく退散してくださいまし」
「ルート? 攻略?」
聞きなれない言葉にレオンの頭に疑問符が浮かぶ。
その隙を突くように、セレフィーナが優雅に手を鳴らす。扉が開き、衛兵たちが室内へと踏み込んでくる。
「この男を公爵領へ送り返しなさい」
「や、やめろ、僕はまだ!」
衛兵がレオンの両脇を抱えて拘束する。暴れようとするが、衛兵たちの腕力には敵わずに、荷物のように運び出されていく。
「放せ、放せと言っているだろう!」
叫び声も虚しく、扉はぴたりと閉ざされる。一人になり、静寂を取り戻したセレフィーナはゆっくりとため息をつく。
「さて、邪魔者は消えましたし、王子様を誘惑しないといけませんわね」
頬に指を添え、まるで恋する少女を演じるように微笑む。艶やかな曲線を描く唇には、自信が滲んでいた。
「彼は確か、常識から外れた者に強い関心を示すはず……ふふ、それさえ分かっていれば、惹きつけるなんて造作もありませんわ」
知識と美貌、この二つを組み合わせれば、落とせない男はいない。そう断言するが、その言葉を遮るように扉がノックもなしに開いた。
「僕はそれほど単純な人間じゃないよ」
現れたのは艶のある金髪に、深い緑の瞳を持つ青年。第一王子のユリウスだ。
その隣にはローズの姿もある。落ち着いた表情で控えており、どこか冷ややかな視線をセレフィーナに向けていた。
「王子様とお姉様……」
セレフィーナはかすれた声で呟く。彼らの存在に気づかずに、油断していた自分を呪いたくなる。
「話は聞かせてもらいました。あなたが黒幕だったのですね」
ローズは一歩前に出ると、冷静な声で告げる。その瞳は鋭くセレフィーナを貫くのだった。