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本編 ~『慰謝料の要求』~


 まぶたの裏に微かな光が差し込み、ローズはゆっくりと目を開ける。ぼやけていた視界が、やがて輪郭を取り戻していく。


(あのまま寝てしまったのですね)


 ローズは身支度を整え、鏡の前で顔を確認する。昨日までのローズとは違い、強い意志が瞳に宿っていた。


(戦う覚悟ができましたからね)


 自室の扉を開けて、廊下へ出る。朝の屋敷はまだ静かで、使用人の足音さえまばらだ。


「ローズ」


 歩き出そうとした時、ふと背後から声が届く。振り返ると、そこに立っていたのはレオンだ。その態度にはどこか気まずさが混じっている。


「こんなところで会うなんて奇遇だね」

「……私を待ち伏せしていただけですよね?」

「そ、それは……まぁ、そうなんだけどね……」


 小さく咳払いをして誤魔化そうとする様子が、彼の動揺をありありと物語っていた。


「昨日の話の続きをしたくてね……君に婚約破棄を受け入れてほしいんだ」

「……分かりました」

「ほ、本当かい?」


 レオンの声が弾む。だが直後に返された言葉が、彼を硬直させた。


「ただし慰謝料を支払っていただきたいのです」

「お金なら心配しないでいい。十分な額を用意するよ」

「いえ、お金はいりません。その代わり、私を領主にして欲しいのです」


 その要求にレオンは眉をひそめたが、まだ口を挟む前に、ローズは続ける。


「あなたが妹と浮気したせいで、私はこの家に残り続けるのが辛いのです。だからこそ私は家族から独立して、一人で生きていきたい。そのための要求だとご理解ください」

「なるほど……それについては僕に非があるし、君の気持ちも理解できる」


 レオンは視線を落とし、わずかに眉を寄せる。この好機を逃すわけにはいかないと、ローズは要求を続ける。


「私が領主になるために、必要なものは二つあります。一つは領地です。公爵家は、膨大な所領をお持ちでしょうから。その一部を、私に譲っていただきたいのです」

「僕の一存では決められないが……父と相談して、前向きに検討してみるよ。希望の土地は、あるのかい?」

「……最近、辺境地を併呑しましたよね?」

「ドルーン辺境領だね」


 跡継ぎがいなかったため、隣接している公爵家が管理を引き受けた土地だ。つい先日の出来事だったため、レオンの記憶にも新しい。


「ただあそこは荒地だ。人も少ないし、特産物もなければ、街道も整っていない。冬には魔物が出ることもある。本当に、そこでいいのかい?」

「はい。私にはそれで十分ですから」


 その答えに、レオンは短く息を呑む。普通の令嬢であれば、まず選ばない土地だ。だがローズには何の迷いも見えなかった。


「静かであればそれでよいのです。余計な噂も届かず、誰にも干渉されずに済む場所でさえあれば……」

「分かった。あの荒れ地なら父も反対はしない。きっと認められるはずだ」


 レオンが頷くと、ローズは次の交渉に踏み込む。


「もう一つ、必要なのは爵位です」

「それも問題ないよ。子爵ならすぐに用意できるからね」

「いえ、子爵では駄目です。伯爵よりも上の爵位でなければ、実家から完全な自由を得たとは言えませんから」


 いつまでも母や妹に頭が上がらない状況は避けたい。そう伝えると、レオンは苦々しい表情を浮かべる。


「それはつまり辺境伯の地位が欲しいと?」

「はい、その通りです」

「そこまで上位の爵位を得るのは簡単ではないよ。形だけだとしても、与える側としては慎重にならざるを得ないからね」


 それでもと、ローズは一歩、彼に近づく。


「分かっています。ですが、私は令嬢として傷物にされました」


 その言葉に、レオンの肩が微かに揺れる。


「貴族の娘にとって、婚約破棄は穢れに等しいです。しかも、その理由が妹への乗り換えですから。私が世間からどれほどの冷笑を浴びるか想像できますよね?」


 レオンは口を塞ぐ。ローズが自分のせいで辛い立場に追いやられていることを再認識したからだ。


「ですから、これくらいの要望は受け入れていただきたいのです」


 ローズの声は冷たくも、淡々としていた。だがその一言ひとことに込められた重みは、レオンの心を確実に締めつけた。


「分かった。努力してみるよ。公爵家にとっても、婚約が解消され、代わりに聖女と結婚できるなら受ける恩恵は大きいからね。多少の融通は利くはずだ」

「それでは。正式な返答をお待ちしておりますね」

「ああ、楽しみにしていてくれ」


 その言葉には、どこか疲れた響きが混じっていた。


 だがローズに気にする素振りはない。目の前にいる男は、自分の都合で彼女を捨てた屑だからだ。


(きっとレオン様は私を捨てたことを後悔するでしょうね)


 ローズは心の中で笑う。幸せになるために、確実に歩みを進めていたのだった。



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