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本編 ~『ギースの説得』~


 王都の大通りでは立て看板に張り出された告知文を前に、行き交う人々が足を止めていた。


 辺境伯ローズと王子ユリウスを陥れるために風聞を流したと、教会が謝罪したのだ。


 さらにその黒幕が、聖女セレフィーナであったとも明らかにされている。


 人々のざわめきは瞬く間に街中へ広がり、井戸端会議や酒場の片隅、そして貴族のサロンにまで飛び火していった。


 セレフィーナは指名手配中の身であることも相まって、彼女の悪評は火に油を注ぐような勢いで膨れ上がっていく。


 聖女を信じる声は、今やわずかな囁きにまで萎みつつあった。


 そして、その知らせは、第二王子ギースの屋敷にも届く。


 厚みのある封筒を開き、報告書を手に取ったギースは、黒革のソファに深く腰を沈めたまま黙々と文字を追う。


 漆黒の髪を無造作にかき上げる仕草が、抑えきれない苛立ちを物語っており、端正な顔立ちは怒りで歪んでいる。


 長い脚を組み替えるたびに革靴が硬い床を叩き、その音が重苦しい空気を切り裂く。


 やがて報告書の最後まで目を走らせたギースの瞳が鋭くなり、跪くセレフィーナに向けられる。


「どういうことだ、これは!」


 雷鳴のような響きを持つ声が室内を震わせる。


 だがセレフィーナは顔を上げない。


 冷たい石床に額を近づけるようにして跪き続けた。


「貴様のせいで兄上の立場はさらに盤石なものとなった」


 本来の計画はこうだ。


 ユリウスがローズと恋仲にあると風聞を流し、帝国の縁談と板挟みにする。そこにギースが現れ、優柔不断な男は次期国王に相応しくないと、糾弾する予定だった。


 だが現実は違った。


 彼はその風聞を逆手に取り、教会の陰謀を暴いたのだ。


 悪を打ち砕いた王子として、街では「次期国王はやはりユリウス殿下しかいない」との声が高まっている。


 ギースにとって、これ以上ないほどに不都合な展開だった。


「もう貴様は不要だな。聖女であろうと、使い道のない駒を置いておく理由はない」


 失敗した以上、教会も頼れない。役立たずの聖女は邪魔にしかならないと、ギースが冷たい目を向けた時、セレフィーナはゆっくりと顔をあげる。


 その暗い瞳には諦めの色は浮かんでいない。むしろ奇妙な熱が宿っていた。


「ギース様は、なぜ今回の策が失敗したか、お分かりかしら?」

「貴様の考えが甘かったからだ」

「違いますわ」


 唇をわずかに吊り上げ、ギースの言葉を否定する。


「お姉様がいたからですわ」

「……どういう意味だ?」

「実は、私、前世の記憶を持っていますの」


 突拍子もない言葉にギースは椅子の背にもたれ直す。気が触れたのではなかと、セレフィーナを観察するが、彼女の様子はいつもと変わらなかった。


「冗談を口にする余裕が貴様にあるのか?」

「私は真剣ですわ……この世界を生み出した神が存在する異世界。そこで暮らしていた頃の記憶が私にはありますの」

「何を馬鹿な……」


 鼻で笑うギース。だがセレフィーナは諦めずに続ける。


「荒唐無稽だと思われるかもしれませんわ。でも、まずは耳を傾けてくださいまし」


 ギースはしばし黙り込む。


 他の者が同じ話をしたのなら一笑に付すところだが、セレフィーナは聖女だ。『前世の記憶』を虚言だと切り捨てるのはあまりに軽率だと考えなおしたのだ。


「一応、話は聞いてやる。続けろ」

「それでこそギース様ですわ」


 セレフィーナはゆるやかに唇をつり上げると、話を続ける。


「私のアドバンテージは、神の世界で得たゲーム知識ですわ」

「ゲーム?」

「前世の世界で使われていた道具の名前です。その中で、私はこの世界を、物語のような形で体験しましたの」


 半信半疑で聞いていたギースの表情が険しくなる。彼女の声音には一片の迷いもなく、噓を吐いているように思えなかったからだ。


「本来なら、そのゲーム知識は私だけのアドバンテージになるはずでしたわ。ですが、もう一人、それを持つ者がいますの」

「……ローズか?」

「ご明察ですわ」


 セレフィーナは頷く。その仕草は挑発的ですらあった。


「だからこそ私は提案しますわ。お姉様……いえ、ローズを暗殺しましょう」


 不穏な提案にギースの眉間に皺が寄る。


「貴様の姉だぞ。構わんのか?」

「私にとっては恨みしかない相手ですから。それにこのままでは、ユリウス様を崩せませんわ。なにせ私がどれだけ策を講じても、同じ知識を持っているお姉様に対策されてしまいますもの」

「…………」


 ギースはしばし黙り、指で机の縁を叩く。そこには苛立ちが込められていた。


「相手は辺境伯だ。王族といえども暗殺が露呈すれば処罰は免れん。リスクが高すぎる」

「ギース様ともあろう方が、臆病風に吹かれますの?」

「挑発しても無駄だ。俺は冷静だからな」


 その一言で、セレフィーナの口元の笑みがほんのわずかに引きつる。説得は容易ではない。そう悟った瞬間、彼女は迷いなく奥の手を切る。


「……よろしいのですか?」

「何がだ?」

「お姉様はギース様の出生の秘密……本当は王族の血を引いていないと知っていますわよ」


 セレフィーナが発した一言は、部屋の空気を一変させる。重苦しい沈黙が流れる中、ギースは机に拳を叩きつけた。


「……どこでその情報を手に入れた?」

「これもゲーム知識ですわ」

「ぐっ……」


 セレフィーナは口角をさらに上げ、獲物を追い詰めた捕食者のような笑みを見せる。


「この事実を知るのは私とお姉様の二人だけ。私はギース様の味方ですから、口外することはありませんわ。ですが、お姉様は違いますわ。あの女が追い詰められれば、その手札を切ってくる可能性がありますわ」


 王位を争う上で、秘密を握られて争うのは圧倒的に不利である。秘密が暴露されるのではと怯えながら戦うのでは、大胆な手も打てないからだ。


「分かった……」

「信じてくれましたのね?」

「いや、貴様らが別世界からの生まれ変わりだとは信じていない。ただ……俺に不都合な知識をローズが持っている。それだけは信じてやる」

「ふふ、今はそれで充分ですわ」


 御伽噺を信じる必要はない。追い詰められている現実を認識できれば、決断はできるからだ。


「……暗殺者を送ろう」


 ギースの吐き出した言葉は、冷たい毒を含んだ決意だった。


 執務室の重苦しい空気がさらに沈み込み、跪くセレフィーナの口元が、ゆっくりと笑みに歪んでいくのだった。


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