本編 ~『流れた悪評』~
あれから数日が過ぎた。
朝の光が柔らかく差し込む談話室で、ローズは長椅子に腰掛け、手元の報告書に視線を落としていた。
香り立つ紅茶の湯気が、紙面の上でふわりと揺れる。
(私の噂に関する収集記録……ユリウス様にお願いして手に入れましたが酷いものですね)
整然と並ぶ文字の中には、耳障りな文言がいくつも並んでいる。
『辺境伯ローズは冷酷な悪女』
『妹のセレフィーナは罠にはめられ、無実の罪で指名手配された』
『その証拠に、慈善活動への寄付を断った』
ページをめくるごとに、悪評は酷くなっていく。読むのが嫌になってくるほどだ。
(教会も必死ですね……)
ローズは眉間に皺を寄せ、報告書を机に置く。向かいに座るユリウスも同じ資料に目を通し、やがて愉快そうに笑う。
「教会も面白い手を打ってきたね」
「浅はかではありますが、悪くない手ではありますね。なにせ私に報復しながら、聖女であるセレフィーナの評判を回復できますからね」
真の黒幕をローズに仕立て上げれば、セレフィーナの無実を信じる者は現れる。
なにせ二人は姉妹だ。
姉が嫉妬や打算から妹を罠にはめた。そういう筋書きは、人々の耳に馴染みやすく、噂好きな者にとっては、まさに格好の餌となるからだ。
「でも、君のことだから、もう対策は考えてあるんだろう?」
挑むような楽しげな声音で彼は問う。
ローズはカップを受け皿に置き、わずかに口角を上げた。
「悪評の根拠になっているのは、私が慈善活動への寄付を断った点です」
「つまり金に汚い領主という印象を払拭すればいいわけだね」
「そのために私は、教会と別の新しい慈善団体を立ち上げました。そこへ寄付を行えば、悪い印象を打ち消せるはずです」
さらに新組織なら教会の神父たちに着服される心配もない。ローズが組織を管理し、助けを必要とする者たちに援助を行うからだ。
「実に興味深いね。ただ……教会は黙ってないはずだよ。寄付金が分散するのは、あちらにとって喜ばしくない事態だからね。きっと全面戦争になる」
「それでもやります」
ローズの返答は一切の迷いがなかった。
「私は相手が強大だからと引き下がるようなタイプではありませんから。納得いくまで戦い抜きます」
そう言って、ローズはちらりとユリウスを一瞥する。
「それにユリウス様も一緒に戦ってくれますよね?」
期待を含んだ眼差しをユリウスに向ける。すると彼は微笑み、紅茶の味を一口楽しむ。
「君には貴族たちのスキャンダルを暴くのを手伝ってもらったからね。その恩は返すつもりだよ」
「それでこそユリウス様です」
ローズが微笑むと、ユリウスも口元を緩め、穏やかな空気が談話室に流れる。
その時だ。
重い扉が勢いよく開き、執事が駆け込んでくる。普段は滅多に取り乱さない彼の顔が、青ざめていた。
「まずい事態になりました」
荒い呼吸を整えながら、彼は手にしていた書状を差し出す。
「ユリウス殿下の風聞が王都中に流れております」
「僕の風聞?」
「はい……殿下とローズ様との交際疑惑です!」
ユリウスは瞬きもせずに、目を見開く。想定していなかった事態に、驚愕を隠し切れずにいた。
だが戸惑うユリウスを現実に引き戻すかのように、廊下から重い足音が響く。やがて現れたのは、豊かな腹を揺らす神父だ。
「おやおや、こんな時にお邪魔してしまいましたかな?」
その声音には、獲物を追い詰めた者の嘲りが滲んでいたのだった。