本編 ~『婚約破棄された悪役令嬢』~
新作始めましたー
楽しんでいただけると嬉しいです!
「ローズ、君との婚約を破棄したい」
「…………」
婚約者であるレオンからの突然の通告に、ローズは無言で黙り込む。
ここ最近のレオンの態度の変化から愛情が薄れているとは気づいていた。そのおかげで驚きはないが、それでもショックを感じないわけではない。
「理由をお聞きしても?」
「君を傷つけたくはない……」
「聞かねば納得できません」
きっぱりとした言葉に、レオンは一息吐く。
「僕はね、真実の愛に目覚めたんだ……」
「あ、そうですか」
「随分と薄い反応だね」
「思ったよりも幼稚な回答だったので呆れただけです」
ローズの声は冷ややかだ。家の都合でならまだ理解できるが、貴族という立場で感情を優先する彼が理解できなかった。
「それで、お相手は?」
「その前に聞いても驚かないと約束して欲しい」
「それは聞いてみなければ分かりませんよ……いずれは聞かねばならないこと。誰かを教えてください」
「……セレフィーナだ」
「なるほど。妹ですか……」
セレフィーナはローズの双子の妹だ。
容姿は瓜二つだが、内面は真逆で、冷たく凛々しいローズとは対照的に、セレフィーナは明るく元気な天真爛漫な性格をしていた。
「セレフィーナは聖女としての力に目覚めたそうですね……」
聖女とは世界で唯一の『回復魔術』の使い手だ。セレフィーナはその能力と美しい容姿のおかげで、王国の宝と評されている。
「公爵子息であるレオン様からすれば、妹の方が好都合というわけですね」
「違う! 僕は肩書きでセレフィーナを選んだわけじゃない……本当に、心から彼女を愛してしまったんだ!」
「つまり、私が女としての魅力で劣っていたと?」
「君にも君の良さはある。聡明で努力家で、僕はとても尊敬していた……だけど……」
そこで一瞬、息を呑む。そして、逃げ道を探すように視線を逸らした。
「僕の心は、もう決まってしまったんだ」
ローズは、ふっと鼻で笑う。
「恋というのは理屈ではありませんからね」
「あ、ああ、そうだとも……」
理解を示すような言葉を口にしながらも、ローズは唇の端だけで笑みを浮かべる。そこにぬくもりは欠片もない。
レオンは、一度目を伏せてから、慎重に顔を上げる。その表情には上手く話を収めたいという甘えが残っている。
「それでなんだが、ローズ。できれば、君との友情は維持したいんだ」
「……友情?」
「これからも仲良くしてほしいのさ。僕にとって君は大切な人だし、それに何より僕がセレフィーナと結ばれれば、君は義理の姉になるわけだからね」
「あなたと私が家族ですか……はっ、お断りですね」
はっきりと答えると、レオンは平手を打たれたかのような顔で固まる。
「ど、どうして、そんなに君は冷たいんだ!」
「あなたが自分勝手な都合で私を捨てたからです。真実の愛だなんて言えば聞こえはいいですが、要するに、妹に乗り換えたい。そういうことでしょう?」
「誤解だ……」
「どのような誤解があると?」
「そ、それは……」
レオンが苦い顔をする。反論を考えているのか、あるいは諦めかけているのか。その目が泳いでいた。
「友情を維持したいのも外聞が悪いからですよね? 婚約者の妹に手を出した、などと噂になれば、あなたの評判も地に落ちる。だからこそ互いが納得して別れたことにしたい。違いますか?」
図星を突かれ、レオンは口を開けたまま言葉を失う。
「ぼ、僕は誠実な人間だ……」
「ええ。誠実なふりはお上手でしたね」
言葉の切っ先が鋭くなる。刺すような一言が、容赦なくレオンに突き立てられる。
「でも残念ながら中身は腐っていました。あなたは善人の顔をした屑だったのです。それを自覚してください」
レオンがなにか言いたげに口を開けるが、ローズはもう目を合わせようとさえしない。
「これ以上は時間の無駄ですから。話はここで終わりにしましょう」
ドレスの裾が翻る。扉へ向かって歩き出した足取りは軽やかだった。
「ローズ、待って――」
背後から追いすがるようなレオンの声が響いたが、振り返らない。扉に手をかけ、無言で開け放つ。
するとそこには、妹と母が並んで立っていた。
妹のセレフィーナは瞳に後ろめたさを滲ませており、それが気まずさを物語っていた。
「お姉様……私、レオン様と婚約することになりましたの」
ローズは返事をしないで、ただじっと妹の顔を見つめる。セレフィーナはその視線を受け止めながら、さらに話を続ける。
「お姉様には酷いことをしたと思っています。本当にごめんなさい」
そう言って、彼女は頭を下げる。だがローズの心は揺るがない。
(許すわけがありません)
本当に悪いと思っているなら、婚約者を姉から奪ったりするはずがない。謝罪は善人として振る舞うための演技にしか映らなかった。
「お姉様はきっと分かってくださいますよね? 私たちは姉妹なのですから」
「……期待に応えるつもりはありませんよ」
「私とレオン様の婚約を認めてくれないと?」
「逆になぜ認めると思ったのですか?」
ローズが氷のように冷ややかな声で問い返すと、セレフィーナは眉尻を下げる。
「そ、それは……お姉様はいつも大人で、私に優しくて……」
「甘えないで、セレフィーナ。親しき仲にも礼儀はあります。あなたが私に不義理を働いた事実は消せません」
セレフィーナの顔から、みるみるうちに笑みが消えていく。涙を目尻に浮かべたまま、言葉が続かない。
沈黙が場を支配する。
それを打ち破ったのは、傍らで話を聞いていた母のマリーヌだ。
「ローズ。あなた、少し心が狭いのではなくて?」
凛とした声だが、そこにあるのは公平な指摘ではなかった。
「あなたはお姉ちゃんなんだから。妹にはもっと寛容に接するべきでしょう?」
ローズは無言でマリーヌを見据える。
セレフィーナが聖女として覚醒して以降、母は栄光に酔いしれ、妹にだけ愛情を向けるようになった。そんな彼女に公平性を期待しても無駄である。ため息を吐くと、マリーヌの視線が鋭くなる。
「妹の幸せを願って、引くのが姉というものでしょ」
「なら母として、私の幸せはどうでもよいと?」
「そうは言ってないじゃない……」
反論されると思っていなかったのか、母は困惑する。ローズは彼女たちを尻目に、「失礼します」と一言だけ残し、その場から立ち去る。
廊下を進み、自室の扉を閉める。白いレースのベッドや薔薇のカーテン、磨かれた鏡台が出迎えてくれる。
ローズはドレスのままベッドへ横たわる。天井の整然とした模様は、今の彼女の目には嘲笑のようにさえ映る。
(もうすべてを滅茶苦茶にしてしまいたい……)
真っ黒な破滅願望が心の中に浮かぶ。
その時だ。
ふいに、頭の奥に鋭い痛みが走る。
額を押さえると、脳裏に映像が流れ込んできた。パソコン、電車、スマートフォン。この世界には存在しない近代技術が浮かんでいく。
(そうだ、私はこの世界に転生したんだ……)
ローズはかつて日本という世界で生まれ、受験に追われ、社会に揉まれ、普通の人として生きてきた。
そんな彼女の趣味は乙女ゲーム。特に『薔薇物語』という作品が大好きで、学生の頃に購入し、社会人になってからも繰り返しプレイしていた。
その作品の主人公の名はセレフィーナ。そして姉であるローズが悪役令嬢として、妹の前に立ちはだかるのだ。
ゲーム内のストーリー、選択肢、エンディング。それらの記憶が次々と浮かび、ローズに確信を与える。
(ここは乙女ゲームの世界だったのですね……そして私の役割は――薔薇の悪女ローズ)
最終的にはヒロインに敗北する、やられ役だ。聖女の輝きの裏で悪事を尽くし、最後にはセレフィーナによって葬られる。
(婚約者を奪われたあげく、すべてを奪われて死ぬなんて……)
そんな結末を受け入れられるはずもない。理不尽な運命に心の底から怒りを湧き上がらせる。
(でもまだ諦めるには早いですね……私には他人の才能を奪える力がありますから)
この世界では生まれつき、魔術が才能として与えられる。
炎、水、風、召喚、結界。
人によって種類も強さも異なるが、誰もが平等に一つだけ力を持つことになる。ローズはその魔術を他者から奪い取り、自分のモノとすることができるのだ。
(ゲームの中だと、確か『強奪魔術』と呼んでいましたね)
作中では、その最強の力を使い、婚約破棄された絶望に身を任せて暴れたのだ。命の次に大切な魔術の才能を奪われる恐怖に、人々は彼女を「悪女」と呼んだ。
だが悪女も無敵ではない。ゲームの結末は残酷だった。
最後は聖女セレフィーナが、婚約者のレオンを始めとした複数のイケメンたちを引き連れ、悪役令嬢であるローズを討ち倒すのだ。
(聖女の踏み台として利用されるのは御免ですからね……)
引き立て役になどならない。ローズはそう決心し、胸に手を当てる。かつてのプレイヤーとしての記憶が、ローズにとって最大の武器となる。
(私はこのゲームの全ルートを知っています。バッドエンドも、トゥルーエンドも。秘密のボーナスステージまで把握済みです。そんな私だからこそ運命を変えられる。いえ、変えてみせます!)
自分が立つのは、処刑台でも、炎の中でもない。栄光の舞台だ。
(バッドエンドを回避して、私はハッピーエンドを掴んでみせます)
ローズの瞳に覚悟の光が宿る。彼女はゲームの運命を回避して、幸せになることを誓うのだった。