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2-1

 オーディションを経てアイドルの研修生になったときは、夢と希望に満ちあふれていた。


「ここでレッスンを重ねて、アイドルとしてデビューして、大好きな歌でみんなを元気にしたい!」


 そう意気込む14歳の瑠衣を、両親も亜未も、温かくも期待の眼差しで見つめた。


 研修生に加入して初日、瑠衣のほか、同時期に研修生入りした小中学生5人が会議室に集められる。どの子も未来に期待しか抱いていない輝いた笑顔で、お互いぎこちない自己紹介をしあった。


 スタッフからプリントを渡され、プロフィールを書くように命じられる。


 内容は、あこがれの先輩・趣味・特技・座右の銘……といった簡単なものだ。公式サイトに載せるとの説明を受けて、思い思いにペンを走らせる。


 好きな食べ物を書く欄で、瑠衣は大好きないちごを書いた。かわいくて、甘酸っぱくて、ふわっと鼻に抜ける香りが好きだから。


 しかし、よせばいいのに隣に座っていた子がなんと書いているか気になって、ちらりと見てしまった。そこには、かわいいイラストとともに大きな文字で『いちご』と書いてあった。


 隣に座っていたのは、誰が見ても「かわいい」と言われるような容姿の子で、声も甘くて、文字も丸っこくて、ツインテールとフリルの付いた淡いピンク色のワンピースが似合う女の子。アイドルとして生まれてきたような子だった。


 角ばった小さな文字で『いちご』とだけ書いた自分が情けなくなり、瑠衣はボールペンで文字を塗りつぶす。何を書けばいいか分からなくて、瑠衣はお昼に食べた『カツサンド』と書いた。




   *




 あの日、かわいいイラスト付きの『いちご』を書いた人物は、カフェ店員にいちごのタルトと紅茶を注文した。瑠衣は炭酸水とカツサンドを選ぶ。店員が去ったのを見送ってから、会話を再開させた。


「キッチンカーの手伝いか~いいな~」


 羽鳥(はとり)ひまりは、なんの邪気もない声を、ピンク色のリップが塗られた唇から奏でた。


 ひまりが着ている白のパフスリーブブラウスの襟元には、緑のチェックの細いリボンが巻かれている。スカートもリボンと同じ柄で、制服っぽさもあってかわいらしいセットアップだ。黒い半袖Tシャツに黒のワイドパンツの瑠衣とはなにもかも違う。


「いや~難しかったよ。照れちゃって、客の呼び込みなんてできなくて」


 結局あの日は、なにもうまいことができなかった。注文を聞き間違えたりお金を落としてしまったり。光弦の役に立ったことはひとつもなかった。


「でもよかった。瑠衣ちゃんが新しいこと始めたみたいで」


「うん、まぁ……」


 羽鳥ひまりは、瑠衣と同じタイミングで研修生に入ったあと、すみれドロップスの結成メンバーとして苦楽を共にしてきた。ひまりはまだグループで活動中だ。


 年齢は瑠衣の2歳下。あの『いちご事件』によって絶対に気が合わないと確信したけれど、出会ってから10年、いつの間にか一番気の合う友人になっていた。


「ひまが思うに、瑠衣ちゃんは真面目すぎるんだよ。もっと肩の力抜かないと~」


 華奢な肩をすくめるように、ひまりは小さく肩をゆらす。


「ひまりだって、めちゃくちゃ真面目じゃん」


「えー、そうかなぁ~」


「遅刻しない、忘れ物しない、楽屋をきれいに使う、歌もダンスも誰よりも早く覚えてくる……」


「それは瑠衣ちゃんも同じでしょ。いや~、瑠衣ちゃんが背中で見せてくれていたから、すみれドロップスは今も続いているんだと思うよ。るいるい様様です」


 指を折って真面目なところをあげていくと、ひまりは、ふふっと笑って瑠衣を褒めた。


「それはありがとうだけど。でもそれだけじゃない。ひまりは、ファンに対する姿勢が真面目。全員と、真剣に向き合ってる」


「だってファンは、わたしの宝物だもの」


 なんの照れもなく、ハッキリと『ファンは宝物』と口にする。


 瑠衣がひまりを尊敬したのは、すみれドロップスとしてデビューして間もない頃の初ライブの最初のMCだ。「全員と目を合わせることを目標にしています! 目の合った人全員をキュンとさせます!」と宣言したからだ。実際に、会場の人全員と目を合わせられるのが、ひまりのすごいところだ。一方の瑠衣は人見知りを発動してしまい、初ライブでは誰一人として視線を合わせることができなかった。


 ひまりは、どんなに疲れていても可愛い自撮りをブログやインスタに毎日あげる。1回でもコメントをくれた人の名前と内容を覚える。個別イベントと呼ばれる、お話会やチェキ会に来てくれた人の顔と名前を一致させて、話した内容も記憶する。


 ひまりのファンの人は、幸せだろうと常々思う。


 絶対にファンを裏切らない。ファンの中にあるイメージ像と少しでも離れた行動はしない。ファンががっかりすることは言わない。


 ステージでも、アイドルとして常に成長した姿を見せ続けている。


 ひまりのアイドル人生は、ファンのためにあるのだろうと瑠衣は思っていた。


「そうだひまり。大学卒業おめでとう」


 ひまりは多忙の中4年制大学に通い、先月卒業した。大学のことなんて考えもしなかった瑠衣とは違い、「子どもが好きだから、将来は子どもにかかわる仕事がしたい」と大学で学んだようだ。


 アイドルを辞めた後のこと、しっかり考えているんだと思うと、置いて行かれた気持ちになる。


 瑠衣は暗くなりそうな気持ちを抑えて、用意していたプレゼントを渡した。


「はい、これ。卒業祝い」


「わ、ありがとー! 瑠衣ちゃんやさしい! すっごくうれしいよ!」


 中身は何かな~? と鼻歌交じりに歌いながら、ピンク色の不織布でラッピングされた包みを開ける。プレゼントを渡しただけでこれだけ喜びを表現してくれるひまりは、瑠衣と似たもの同士に見えて、まったく違う。それでも根っこにある「生真面目さ」で、繋がっているのだと思うと、瑠衣はうれしくなる。他のメンバーが不真面目というわけではなかったけれど、瑠衣からしてみると「アイドル活動に対して誠実じゃない」と思うシーンは多かったから。


「わぁ~、欲しいって言っていたヘアオイル! 覚えていてくれたんだ~!」


 淡いピンク色のガラスボトルを顔に近づけて瑠衣に見せる。ピンク色が頬に反射して、ひまりはより可愛く見えた。瑠衣に対しても、『可愛い』に妥協はない。


「うん、先月遊んだときに言ってたから」


「うれしいうれしい。早速つけたいけど、カフェの中ではメイワクだもんね。がまん! あーほんとうに嬉しいよ~」


 ピンク色のガラスボトルに、ほおずりしかねない勢い。瑠衣は思わず苦笑してしまう。大して高いものでもないのに、こんなにも喜んでくれる。大げさに言っているとは思うけど、無愛想に受け取られるよりよっぽどいい。


 瑠衣にとってひまりは、大切なメンバーであり、友人であり、妹みたいな子。今の亜未は、こんな風に瑠衣のプレゼントをよろこんではくれないだろうと思うと、少し気持ちが沈んだ。


 そこへ、カフェの店員がやってきた。


「お待たせいたしました、いちごタルトです」


 店員は、どちらが注文したかを確認せず、迷いなくいちごタルトをひまりの目の前に置く。瑠衣は思わず顔をしかめる。「いちごタルトはこっちの可愛い子が注文したに違いない」という偏見な気がするから。さっき注文したときのことを覚えているだけかもしれない。だけど、確認くらいしたっていいじゃないかと、恨めしく思う。


 瑠衣は、目の前のカツサンドが憎らしく見えてきてしまい、目を閉じて小さく首を振った。


 カツサンドにまで八つ当たりしたら終わりだ。


 ひとり悶々としていると、ひまりがヘアオイルをバッグに入れ、代わりにスマホを取り出した。


「食べる前に、わたしたちの写真撮ろーよ!」


 ひまりと瑠衣、テーブルの上のケーキが画角に入りつつ背景はおしゃれなお店の壁になるよう、インカメラで数枚、自撮り写真を撮る。


「ちょっと加工するから、あとで確認のために送るね」


 ブログやインスタにメンバーの写真を載せるときは、事前に確認を取ることもルールとされている。写ってはいけないものはないか、納得の写りであるかなど、合意の上で載せなくてはならない。


「いいよ、ひまりのこと信用しているから、勝手に載せちゃって」


 ひまりは、自分だけが写りがよくて、他の人の写りが悪い写真は載せない。逆に、自分の写りが悪くても、他の人の写りが良ければそちらを採用する。


「うれしー! 瑠衣ちゃんに信用されてるんだね、わたし」


 撮った写真を確認しながら、ひまりは嬉しそうに瑠衣に視線を向ける。


「ファンのみんなね、瑠衣ちゃんとの写真載せると喜んでくれるんだぁ~」


 ファンが喜ぶ顔を想像してニコニコの笑顔になれるひまりを直視できなくて、瑠衣は薄目になる。最近、人の笑顔を見て目を細めてばかり。


「グループ時代から、わたしたちのコンビ好きって言ってくれる人多かったもんね」


「うん! なんか、夫婦漫才みたい、って言われるよね」


「は? どこが」


「それ。ツッコミの速さ鋭さ!」


 きゃっきゃ言いながら、ひまりはスマホをバッグにしまって、両手をあわせて「いただきます」と言ってからいちごタルトにフォークを入れた。


 ひまりには敵わない。瑠衣はおとなしく、カツサンドをおいしくいただくことにした。

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