エピソード4
ー月の毛並みー
村の近くにある森へと足を運ぶのは、正直言って面倒だった。だが最近、どうしようもなく何か温もりを確かめたくなる瞬間が増えていた。
魔法の実験では埋まらない、小さな衝動のようなものが、胸の奥でくすぶっている。
リリィにそのことを伝えたわけでもなく、ただ一人で出かけることに決めた。
「今日は少し、散歩でもしてこよう……静かすぎる」
僕は無意識に呟くように言ったが、もちろん彼女は「はい、主様」と一言返して家事に戻った。
深い森に入ると、木々のざわめきが優しく耳を撫でた。ふと、どこかからかすかな鳴き声が聞こえてくる。「ニャー」という猫のような、細く高い声。
「……猫か?」
声のする方へ歩み寄ると、茂みの中に白く光る毛並みの影が見えた。
そこにいたのは、普通の猫とは違った。魔力の揺らぎを帯びたその猫型魔獣は、金色の瞳でこちらを見つめていた。鋭い牙を覗かせながらも、威嚇の気配はない。
魔力を持つ魔獣は得てして凶暴だ。だが、この魔獣には殺気がなかった。まるで、最初から森の静寂の一部であるかのように、ただそこにいた。
「……お前、怪我でもしてるのか?」
声をかけると、魔獣は一瞬身じろぎしたが、やがてそろそろと僕に近づいた。
僕が魔力を少し放つと、その毛並みが光に応じてふわりと揺れた。魔獣はまるで応えるように、足元に身体をすり寄せてきた。
驚いた。懐かれるなんて、いつ以来だろう。
僕は、手を伸ばしてその柔らかな背を撫でた。魔獣は嬉しそうに目を細め、のどを鳴らした。
(……リリィは、いつも一歩引いていた。こいつは違う。まっすぐに懐いてくる)
「懐かれても困る……」
そう呟きながらも、手は止まらなかった。
まるで、初めて“拒まれなかった”ような気がしていた。心がふわりと浮くような感覚。
面倒を見るだけなら、今まで通りのはずだ。だが、この魔獣といる未来を、なぜか少しだけ想像してしまった。
「……面倒を見ようか?」
その言葉に反応したかのように、魔獣は手を舐めるような仕草を見せた。
僕は思わず苦笑し、その頭をもう一度撫でた。
「よし、帰るぞ」
魔獣はすぐに僕の後をついてきた。
(リリィはどう思うだろうか)
ふと胸がざわついた。けれど、それ以上考えるのはやめた。
この出会いが、僕の静かな日常をどう変えていくか――その答えは、まだわからない。
けれど、確かに今、胸の奥に、温かいものが灯っていた。