エピソード32
―再生―
森は、死んでいた。
踏み入れた瞬間、空気の淀みが肌にまとわりついた。枯れた幹、色を失った草、沈黙。
かつて賑わっていた森は、見る影もないほど荒れ果てていた。
僕はゆっくりと歩を進める。ただ、自然と足が前に出た。まるで、導かれるように。おかしいとは思わなかった――最初は。
気づけば、空気が変わっていた。風が吹き、草がざわめき、木々が微かに揺れている。そのときだった。
「……ああ、やっぱり君は来てくれたんだ」
低く、どこか響くような声――なのに、自分の喉から発せられていた。
口が勝手に動いた。
僕の声。だけど、僕の意志じゃない。 胸の奥が急激に冷えた。
「……え……?」
言葉が漏れた。無意識に。だけどもう、確信していた。
僕の体は、動いていない。いや、動いているのに、僕の意志で動いていない。
「嬉しいよ、ガエリア。やっと目覚めてくれた。これで、また君と一緒に歩める」
その声は落ち着いた大人の声だった。静かで、優しくて、それなのに、背筋に氷を這わせるような不気味さを孕んでいた。
「ま、待って……っ……!」
僕の手が、土に触れる。勝手に指先が動いて、土を撫でるようにして広げていく。その指先から、命が溢れ出す。草が芽吹き、花が咲く。
小さな芽が地を割り、花が咲く。
痛みすら優しく覆い隠すような、慈しみに満ちた侵略だった。
それはあまりにも美しく、そして、異常だった。
「違う……これは僕じゃない……!」
言葉にした瞬間、視界が歪んだ。鼓動が速くなる。汗が背中を伝い、膝が震え始める。
森が、僕の知らない速さで再生していく。
光が差し込む。木々が揺れる。自然が、僕を祝福しているように反応している。
けれど、違う。違うんだ。
「君の中の力……それは、僕だよ。君が触れれば、世界は応える。君が願えば、世界は変わる。でも君は、いつも立ち止まっていた。だから……僕が代わりに進んでるだけさ」
――やばい。やばい。やばい。
体が勝手に動いてる。手が、足が、声が、僕じゃない誰かになっていく。
「や、やめろ……! やめてくれっ!!」
叫んだ。やっと声が出た。喉が焼けるように痛む。僕は、取り戻したんだ。自分を――!
「……うん、じゃあ、譲るよ。今はね」
――“間”。
森が静かになった。風が止まる。体の感覚が、ようやく僕のものに戻った気がした。
よかった……取り戻した。戻ってこれた。終わった――
「……なんて、そんなわけないじゃないか」
カクン、と首が傾いた。腕が再び動く。膝が折れて、地に手をつく。
「“ありがとう”、ガエリア。君が叫んでくれたおかげで、僕はもう少しだけ自由に動ける。君は、優しいね」
笑った。僕の口が、笑った。自分じゃないのに、勝手に笑ってる。
喉の奥で悲鳴が上がった。でも、出ない。声にならない。声すら奪われていた。
違う……僕はもう戻ったはずだ……! 俺の体なのに……!
頭が真っ白になる。心臓が、耳の奥でうるさいくらいに鳴っている。喉が詰まり、息ができない。動けない。助けを呼ぶ言葉も出せない。
――なんで……どうして……なんで、こんなにも“自然”に……!
(このまま、全部……乗っ取られる……!)
恐怖が、喉を締める。心が折れそうになる。だって、彼は僕を“優しさ”で支配してくる。痛みも怒りもない。拒否しようがないほど、なめらかに、静かに――
気づけば、心の奥に奇妙な感情が芽生えていた。
嬉しい。
森が蘇るのが、心から嬉しい。
誇らしい。
自分の力で、世界が応えてくれるのが。
「……そう、それでいいんだ。君の中にあるこの感情こそ、僕たちの絆なんだよ」
ゾクリとした。けれど、否定できない。確かに今、自分の胸に浮かんだ感情は“自分のもの”のように思えた。
でも、それが本当に僕のものなのか、自信が持てない。
「心配しないで。ちゃんと君も“ここにいる”。一人じゃないって……素敵なことだろう?」
それは、優しさの形をした檻だった。
心を撫でるその言葉は、拒絶する余地すら与えずに、内側から僕を塗り潰していく。
優しい声だった。その優しさが、何よりも残酷だった。




