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エピソード30

―神の名を呼ぶ朝―



 朝が来た。



 けれど、それは“日常の朝”ではなかった。



 鳥の声がない。風も止み、世界が息をひそめている。



 僕は寝台の上で目を開け、微かに疼く頭を押さえた。



 昨夜のあれは――夢ではない。僕は確かに、“封印していた力”と再び結びついた。



 けれど、だからといって何がどう変わったのか、それはまだ霧の中だった。



 胸の奥には、ひどく静かで、妙に落ち着いた感覚がある。



 まるで、もう一人の誰かの余韻が残っているようだった。





―朝―



 立ち上がると、リリィが朝の支度をしていた。



 湯気が立ちこめる湯壺。白く曇った窓。小さな日常の風景。





「主様、お加減……いかがですか?」



 その声に、一瞬だけ戸惑ったあと、僕はゆっくりとうなずいた。



「……ああ、問題ない。変な夢を見ただけだ」



「夢……ですか。あまり、ご無理なさらないでくださいね」





 彼女は僕の変化に気づいていたのだろう。



 けれど何も問わず、変わらぬ声でそう言った。



「少し、外に出る……空気を吸ってくるだけだ」



「はい。お気をつけて」





 その言葉を背に、僕は扉を開いた。



 冷たい霧が村を包んでいた。視界は白くかすみ、空は重たく沈んでいる。



 足元――



 草木が異常な成長を見せていた。塀を越える若木、軒先に絡む蔓。



 たった一夜で、自然が膨れ上がっている。



(……これは)



 どこかで見覚えのある景色。



 忌避してきた“力”の残滓――けれど、僕はそれを恐れとは感じなかった。



(当然の結果だ……よくここまで抑えていた)



 その思考が浮かんだ時、僕はそれが“自分の声”だと疑わなかった。





―呼ばれる名―



 村の中心には、すでに何人もの村人が集まっていた。



 彼らの視線が、まっすぐ僕に向けられる。



 畏れ、祈り、驚き、そして……名を知る者の眼差し。



 年配の男が、震えるような声で名を告げた。





「……ガエリア様、ですね……?」





 その瞬間、胸が跳ねた。



 走馬灯のように、断片的な記憶が巡り、“ガエリア”という音が、確かに僕の中に根を下ろす。



「ガエリア……」



 呟いた名は、懐かしくもあり、遠くも感じられた。



 なぜ彼らがそれを知っているのか……その疑問を口にするより先に、村人たちがざわめき始めた。





「目覚められた……!」



「あの光は、神のしるしだったんだ……!」



「私の頭の中に、“その名”が刻まれたんです……!」





 昨夜の力の奔流が、僕の“名前”を、彼らに――世界に――焼き付けていたのだ。



(……記憶の刻印?)



 それが、“力”の余波だとわかっていても、彼らの祈りが向けられた時、僕の内で何かが静かに頷いた。



(ようやく……本来の形を、彼らが思い出したのだ)



 それは、どこか“自分ではない思考”のようでもあった。





―目覚めの宴―



 その夜、村には宴が開かれた。



 中央には王座のような椅子が用意され、僕はそこに座るよう促された。



 誰も異を唱えない。誰も、僕を拒まない。



 座った瞬間、膝が軋み、背が吸い込まれるように沈んでいく。



 最初に差し出されたのは、澄んだ水の入った壺。





「……ガエリア様、我らの感謝を、どうかお受け取りください」





 その言葉に、心の奥から声が浮かび上がる。



(当然だ。これほどでは足りぬほどだ)



 けれど、口をついて出たのは違う言葉だった。





「こんなに、受け取りきれない……」



 僕の中で、何かがずれていた。



(これは……本当に、僕の思考か?)



 その“ずれ”を感じた瞬間、誰のものでもない囁きが、心の底から微かに聞こえた。



(違う。お前は……もう“お前だけ”じゃない)



 その声が、僕の中の“輪郭”を、じわりと滲ませていく。



 どこまでが“僕”で、どこからが“彼”なのか。



 その境界が、ゆっくりと、確実に崩れていく。

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