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エピソード3

 ああ、また一日が終わった。僕は今日も、何も変わらない日常を過ごしていた。



 しかし村の空気が、少しだけざわついている気がした。



 気のせいだと思いたい。でも、こういう予感はたいてい外れたことがない。



 朝、目が覚めると、リリィがすでに食事の支度をしている。あの少女が、無言で、黙々と仕事をこなしている姿が、もうすっかり僕の日常に溶け込んでしまった。






「リリィ」



 僕は食事を取る前に、いつものように声をかける。




「はい、主様」





 リリィはいつものように、無表情で答えながらも、きちんと食事の準備をしてくれる。





「……最近、なんだか変わりないか?」



 僕は何気なく、そんな言葉をつぶやいた。



「変わりありません」





 リリィは目を合わせず、淡々と答える。彼女の声には何の感情もない。まるで、何を言ってもどうでもいいかのように。



 僕は食事を摂りながら、その無感情な反応に少しだけ違和感を覚えるものの、それを気にしないようにした。



 面倒だ。感情なんて、なくても生活は回る。



 そう、思っていた。



 リリィが黙々と家事をこなしてくれるだけで、それで十分だと思っていた――はずだった。



 それにしても、最近少しだけ、村が賑わってきた気がする。商人や農民が町の近くに店を構えたり、冒険者たちが立ち寄るようになった。



 僕はそれに全く気を止めることなく、日々の研究に没頭しているだけだが、リリィは何かを感じ取っているようだった。



 ある日、食事を終えた後、リリィが言った。





「この村は、変わっていくのでしょうか……」





 リリィは、遠くに見える子供たちを見て静かに息をつく。



(どうでもいいことだ。……でも、もしあの子が言うように変わっていくのなら――)



 ――それは、僕のせいなのだろうか。



 僕はその言葉を聞いて、ふっと顔を上げた。僕は少しだけ考え込みながら答える。





「どうせ、商人や農民が増えただけだろう」



 それで終わりだ。



 だが、リリィは黙ってうなずいた。



「そうかもしれませんが、少しずつ、村が発展していっている気がします」





 僕はそれを聞いても、何も感じなかった。どうでもいいことだ。僕が魔法を使っていなければ、この村が発展することもなかっただろうに。



 しかし、それでも僕は、村がどうなろうが関心がない。ただ、リリィが何かを感じ取っていることには、少しだけ驚きを覚えた。





「ああ、そうだな」





 僕は適当に答えると、再び自分の研究に集中し始めた。



 その後、僕はリリィが黙々と家事をこなしている姿を見て、少しだけ心の中で思った。



(本当に、この子は何も言わずにこんなことを続けられるのか?)



 いや、そんな事を考える必要はない。僕は無理やり思考を引き戻す。



 リリィは、いつも無表情で、何も感情を見せない。僕が彼女に対して特に何かを期待しているわけでもなく、ただ生活の中で彼女の存在に頼っているだけだ。



 でも、だんだんと彼女がいない生活なんて考えられなくなってきている自分がいることに気づく。





「あいつがいない生活は、もう考えられない……」





 そう思った瞬間、僕は自分でその考えを打ち消すように頭を振った。



 ……結局、面倒なことは他人に任せた方が楽だろう?



 その日も、魔法の研究に没頭していた。リリィが部屋の掃除をしている音や、食事を作る音が、静かな家の中で心地よく響いてくる。



 不思議と、その音に安心感を覚えている自分がいた。





「リリィ」



 僕は声をかける。



「今日は外に出てみるか?」





 最近、少しだけ村の周囲が賑やかになってきたのを感じていた。



 それに、リリィも村の変化に気づいているなら、一緒に見て回るのも悪くないだろうと思った。





「外に?」





 リリィは少しだけ目を見開いたが、すぐに平静を装う。



 まるで、その感情があってはいけないかのように。指先は震えていた。それを隠すように彼女は、手をぎゅっと握りしめる。





「……私が行っても、良いのですか?」






 彼女はそう言いかけ口をつぐんだ。リリィの瞳は、輝きと曇りで不安定だ。



 僕は、その一瞬の揺らぎを見た。いや、そんなこと考えないほうがいい、と視線を落とす。





「はい、主様」





 それから、僕たちは少しだけ町に出かけることになった。リリィが静かに私の後ろを歩き、僕はその姿をちらりと見ながら歩いた。



 彼女が無言で歩いているのはいつものことだが、何となく今日はその姿が少しだけ不安に見えた。



(リリィ、何を考えているんだろうか?)



 僕はその問いに対して、答えを出すことなく、ただ無言で歩き続けた。



 町の広場に着くと、いくつかの店が並んでいて、賑やかな声が聞こえてきた。商人たちは忙しそうに品物を並べているし、農民たちは取引をしている。



 冒険者たちは、少し騒がしく話しているが、僕にはその会話が耳に入ってこなかった。





「リリィ、何か欲しいものはないか?」



 僕はふと、思いつきで声をかけた。



「私ですか?」



 リリィは少しだけ驚いた表情を見せたが、すぐにまた無表情に戻った。



「特に……あの、欲しいものは……」





 言葉が途切れた。



 言いかけて、リリィはそっと口をつぐんだ。



 言葉を飲み込んだその瞬間、リリィの目がわずかに揺れた。



 欲しいと願ってはいけない。



 ――そんな、見えない枷がその瞳に浮かんでいた。



 その視線の先に、何があったのか。僕にはわからなかった。



 けれど、あの目は確かに――欲しい、と願う目だった。



 声には、微かな迷いが混じっていた。



 リリィはそう言いながらも視線を少し落とし、唇を軽く噛んでいた。



(本当は……)



 その顔は何かを言いかけて、やめたようにも見えた。僕は胸に何かがつかえた。



 僕は目をそらした。気づいたところで、僕に何ができるのだろうか。



 彼女はまた静かに周囲を見渡している。


僕はそれを聞いて、少しだけ息を吐いた。





「そうか」





 僕はもう一度歩き出した。リリィも黙ってついてくる。



 やがて、僕たちはそのまま町の端にある広場を抜けて、静かな道を歩いて家に帰った。



 特に何かが変わったわけでもなく、ただ日常が過ぎていく。



 ――はずだった。



 だが、何か少しだけリリィとの距離が縮まったような気がしていた。





「……まあ、これでいいか」





 口にしたその言葉が、少しだけ空虚に響いた気がした。でも……



(……悪くなかったかもしれない)



 そんな言葉が、ふと胸の奥に浮かんだ。



 僕はそう思いながら、家に帰り着いた。けれど胸の奥に残ったのは、言葉にできない感覚だった。



 いや、そんなはずはない。そう思いたかった。けれど、リリィの静かな足音が、僕の変わらない日常を、少しずつ塗り替えていっている気がした。



 いつの間にか、あの静かな足音が僕の日常の一部になっていた。





 リリィは静かに後ろを歩きながら思う。



(きっと、まだ気づいていない……でも、あの人の背中は、少しだけ柔らかくなった)



 そう思った瞬間、リリィの手の力が少しだけ抜けた。



 ――まるで、“ここにいてもいいのかもしれない”と、少しだけ思えたように。

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