エピソード25
―黒き救済の牙・決戦―
腐敗した巨狼――腐食獣が、村の前にゆっくりと姿を現した。
「これは、“門”を開くための贄だ……」と呟くような黒衣の信者の“幻影”が、遠くに消えていくのを見た気がした。
その体は崩れかけ、ただれて膨れた肉の間からは紫黒の瘴気が立ち上り、空気すら濁らせていた。
「……腐敗の魔物、だと?」
ギルドマスターが、低く唸る。
「こいつは……ただの魔物じゃない。気をつけろ」
レオンが剣を構え、じりじりと距離を詰める。
「グゥゥゥゥ……ガァァァアアアア!!」
腐食獣が咆哮を上げた瞬間、空気が振動した。
周囲にいたブラックファングやオーガが、苦悶の声を上げ、のたうち回る。
「な、なんだ……!?」
「アイツの瘴気で、他の魔物が……!」
魔物たちの体が、みるみる黒い霧に覆われ、膨れ上がっていく。
皮膚は裂け、血が滲み、赤黒い瞳が理性を捨てる。
――汚染された。
「……腐食獣が瘴気を使って周囲の魔物を変異させてるのか」
僕は眉をひそめる。
このままでは、戦うたびに敵が増え、しかも強くなっていく。
「……厄介だな。あれを止めなきゃ、キリがない」
僕はため息をつくと、一歩前へ踏み出した。
「他は任せる。あれは――僕が片付ける」
その瞬間、腐食獣の赤黒い瞳が、僕を捉えた。
まるで、こちらを“知っている”かのように。
(……俺の記憶の奥にも、これを知っている何かがある気がする……)
「ガアアアアアアッ!!」
大地が砕け、腐食獣が一気に間合いを詰めてくる。
爪が振り下ろされ、僕のいた場所がクレーター状にえぐれる。
「速い……それに、一撃が重い」
腐った肉体とは裏腹に、筋力も敏捷性も常軌を逸している。
「だったら……こっちも、ちょっと本気を出すか」
僕は静かに息を吐き、魔力を解き放った。
「神雷穿つ槍」
空へ掲げた手に呼応し、上空に無数の雷の槍が形成される。
それはただの雷ではない。魔力を極限まで圧縮した、神域の電撃。
雷槍が、腐食獣の胴体めがけて放たれる――!
ズドォォォン!!!
雷撃が直撃した瞬間、轟音と閃光が地を裂いた。
爆風で木々がなぎ倒され、大気すら震える。
「……仕留めたか?」
だが、煙の中から、ゆっくりと浮かび上がる影。
「ガァ……ァァァ……」
腐食獣は、黒焦げの肉を引きずりながら、まだ動いていた。
「……タフだな」
僕は杖を構え直し、さらに魔力を込める。
「極寒氷獄」
地面が青白く光り、腐食獣の四肢を一瞬で凍結する。
続けて僕は、もう一つの術式を重ねた。
「氷葬裂波」
氷の檻に刻まれた紋様が光り、内部から鋭利な氷刃が無数に生まれる。
内側から切り裂かれ、腐食獣の肉体が静かに崩れていった。
「ふぅ……」
肩を軽く回し、息を整える。
「やれやれ、面倒だったな」
周囲の冒険者たちは、ただ呆然とその光景を見ていた。
「お、おい……」
「……ほんとに、やっちまった……」
「彼は何を背負っているの……?」
エリスも驚きを口にしていた。
ギルドマスターが、半ば呆れたように笑いながら僕の肩を叩く。
「……相変わらず、規格外だな」
だが、その時。
「……ん?」
僕はふと、視線を感じた。
――地面。
そこには、腐食獣の残骸が残した跡に、黒い紋様が浮かび上がっていた。
禍々しいその形は、まるで呪いのように地を這い、中心に一つの“目”のような印が輝いている。
地に刻まれた黒い紋様。
それはまるで“誰かの目”が、地面越しに空を覗いているかのようだった。
「これは……」
その印は、微かに僕の中の何かと共鳴していた。
指先が、じんわりと熱を帯びる。
(……まだ、終わっていない)
そう確信した瞬間、どこからか呼ぶ声が聞こえた気がした――
低く、重く、懐かしく、そして、おそろしく近い声。
『目覚めよ、器よ』
僕は、ぎゅっと拳を握りしめた。
腐食獣の残骸が崩れ落ちた後も、空気はどこかざらついていた。
焦げた瘴気の匂いが残り、誰もが声を出すのをためらっていた。
その沈黙の中で、僕だけが“それ”を感じ取っていた――
まだ、終わっていない。
むしろ、これこそが「始まり」なのかもしれないと。




