エピソード11
ー名前ー
ギルド支部の設立祝いの宴は、夜の闇を背に賑やかに開かれていた。
村の中央広場に設けられた仮設の祝賀会場には、冒険者たちや職人、そして各地から集まった人々が、期待と歓声を交えながら未来を語り合っていた。
そんな中、僕は相変わらず、魔法の研究の合間を縫うように、ひっそりと席についた。
宴も佳境に入り、ギルドマスターが壇上に立って、これまでの苦労と今後の展望を力強く語った。
その熱気に押されるように、仲間たちは自然と笑い、歓声を上げていた。
そして、宴も少し落ち着いた頃、若い冒険者の一人がふと、にこやかな笑みを浮かべながら、声を上げた。
「ところで、大魔法使いさんよ、あんたの名前ってなんだ?」
その瞬間、杯の音も笑い声も、ひととき止んだ。
まるで時が一拍だけ、世界から抜け落ちたようだった。
皆の視線が一斉に僕に向けられる。僕はその問いに、思わず数秒の沈黙を保った。
脳裏をかすめるのは、かつてあったはずの自分の名前の記憶だったが、あまりに長い年月の中で、すっかりその面影すら失われてしまっていた。
僕はふと呟いた。
「……そういえば、名前なんて、忘れるほどの長い年月を生きてきたもんだな」
優しく呼ばれた記憶があった。けれど、その声の主の顔も、情景も、すべてが霞の中にあった。
名前は、誰かとの“関係”の中でしか生きないのだと、その時ふと思った。
その時、ギルドマスターも苦笑いを浮かべながら、興味津々に僕の顔を見つめる。
「大昔は、何か大いなる力を秘めた名だったと噂になっておったが、今ではただ『あの男』としか呼ばれんようだな」
会場の一角では、エリスが静かに頷きながら「確かに、あなたの名は伝説の一部になってしまったのね」と呟いていた。
レオンもまた、軽妙な口調で言った。
「名前なんてどうでもいいさ。あんたがいてくれれば、それで俺たちは十分だ」
その笑い混じりの言葉が、妙に深く胸に残った。
僕はその言葉に、ポーカーフェイスを保ちながらも、心の奥でどこか複雑な気持ちが渦巻いているのを感じた。
名前――それは、もはや単なる記号に過ぎず、僕が歩んできた長い歴史の一部として、皆に語られるだけのものに成り下がってしまったのだろう。
しかし、ふと窓の外に目を向けると、遠くに広がる星空と、穏やかに輝く村の灯りがあった。
その光景は、かつて僕が愛した日々の記憶をかすかに呼び覚ます。
そして、今もなお、僕の存在がこの村や仲間たちにとって大切なものになっていることを、改めて実感させる。
「本当の名前か……」
僕は小さくつぶやいたが、続く言葉は出なかった。
名を失ったのではない。ただ、語られることのない場所に置き忘れてきただけだ。
ただ、今宵はこのまま『大魔法使い』という呼び名で、皆と共に過ごそう――そう、静かに心に決めたのだった。
本当の名前が思い出せたら、きっと誰かに呼んでもらいたかった。けれど今は、その願いも眠らせておこう。
こうして、誰もが自然な流れで僕の名前に興味を寄せる中、僕自身もその問いに対して、かすかに記憶の欠片が揺らめきながらも、今はその呼び名に甘んじるしかないと、静かに思った。
本当の名前が思い出せたら、きっと誰かに呼んでもらいたかった。けれど今は、その願いも、胸の奥にそっと眠らせておこう。
今はただ、誰かの隣にいられる静けさが、心地よかった。