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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
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第2話(4)

「はい。『くえすちょんず』ってバンドで……香取です」

「あ、Blowin'の如月です」

 気に入ってくれたんだったら知っているかもしれないが、礼儀上名乗り返してからしばし瀬名も交えてバンド話になった。彼女は瀬名が昔いたと言う目黒の『CARAWAY』を根城にして活動している女の子バンドのギタリストのようだ。

 やがて彼女が俺たちのそばを離れていくと、コンソールに頬杖をついていた瀬名がそのままの姿勢で高い位置からにやーっと笑いながら見下ろした。

「もてもてだねー如月くん」

「……今のはギタリストとしての話をしてたんであって、別に深い意味でもてたつもりはないんだけど」

「そぅお〜?香取さんって言ったっけ?目がハートマークじゃなかった?」

 それは幻覚だろう。

「なかった」

「いいねー女の子に不自由しないね。何でフリーなの?」

「バンドの人気が出てくるのは嬉しいけど、それがそのまま俺個人への興味に移るかどうかは別問題だろ」

「そう?」

「そう」

「……でも、千夏さんとかさ」

 言いながら瀬名は、コンソールの上の煙草に手を伸ばした。瀬名にそんなふうに言われるのが、なぜだか少し悔しかった。

「千夏が何だよ」

「千夏さんって如月くんのこと好きなんじゃないの?見るたびにべったりだもの」

「好きだって言ったって、それだってたかが知れてるだろ。あいつ、平気で別に彼氏作るぜ」

「嘘お」

「ホント」

 煙草に火をつける瀬名につられて、俺も手に持ったビールの缶を卓の上に置かせてもらうと煙草を取り出した。くわえながら思い出す。あいつ、確かに俺にまとわりついてはいるけれど、1年位前に平気で彼氏連れて来て、「コレ、彼氏」って紹介されたんだよな。挙句の果てにその彼氏に「彗介。アタシの大事な人」などと紹介されてしまった場合、俺に一体どうせえと言うのか。

「そうなの?」

「うん。あいつだって、俺が全然なびかないのわかってるから、安心して騒げるんじゃないか?」

「そうかなあ……。その彼氏どうなったの?」

「3ヶ月くらいで千夏が飽きて別れたみたいだけど」

 哀れといえば哀れな話だ。その彼氏の名前も顔も、もう覚えちゃいないけど。

「ふうん……もてそうだもんね。千夏ちゃん」

 瀬名が困ったように言った。うん、と俺も頷く。

「まあね……。ああいう愛玩動物みたいなのは、可愛いから。もてると思うよ」

「あ、愛玩動物……」

 それはあんまりな言い様じゃあ……と灰皿に灰を落としながら瀬名が呟く。

「でも、如月くんが好きだって一言言えば、喜んで付き合うんじゃないの?」

「うーん……」

 人差し指の腹で煙草を叩いて灰を落としながら唸る。タイムリーに、出入り口付近で俺の見知らぬ男と話しながら飛び跳ねている千夏の姿が見えた。

 それは、どうだろうな……。なびかない俺に安心して騒いでいるんだとしたら、下手になびかれると困るんじゃないだろうか。

「どうかな。いずれにしても、俺はごめんだけど。ああいうのは疲れるから」

「疲れる?」

「うん。四六時中構ってやって、千夏が生活の全てみたいになる男じゃなきゃ、無理だよ。『大好きだよ』っていいコいいコしてくれるような男。……俺には無理」

「ふうん……」

 頷いてから、瀬名は小さく付け足した。

「じゃあどういうのなら如月くんは、いいの?」

「俺?俺は……」

 ……俺は?

 自分の中を探りながら、瀬名に目を向ける。

 俺、は……。

「……自立してる人」

 向けた視線が、瀬名の視線と絡み合った。心臓が音を立てたような気がした。

「目的持って、ちゃんと自分で生きてる人」

「……」

 問われて、考えて、言葉にして……それが誰のことを指しているのか気がついた。

 俺……。

「……Blowin’、次、『GIO』はいつだっけ」

 俺、瀬名の、ことが……。

「え?ああ……16日だけど」

 不意に、話題をそらすように視線までもそむけた瀬名の言葉に、少し傷ついた。たった今気がついた俺の気持ちまでも、そらそうとしているように見えて。

 考え過ぎってやつだろうけれど……。

「そっか。……うん。よろしくね」

「あ、よろしく」

 どことなく気を取り直すように浮かべた瀬名の笑顔に、俺も笑みを作りながら答える。

 答えながら、内心俺はそっと首を傾げた。

 俺に向けられた瀬名の笑顔が、どこか無理したような儚いものに、見えた。


        ◆ ◇ ◆


(腹減ったな……)

 半ば自分の部屋に行き倒れたように転がりながら、空腹を抱えて天井の板目をぼんやりと数えてみる。

 途端、ぐぅー……と情けない不協和音が夏の熱気の篭ったボロい部屋に響いた。

 基本的に俺の食生活は、バイトの賄いで成り立っている。

 朝メシは抜き、昼間の『EXIT』で昼メシ、夜の『ELLE』で晩メシ。

 どちらかのバイトに入っていない日は、必然的にどちらかを抜くもしくはしょーがないから適当に済ます。1日休みになった日なんかもまた、同様だ。

 なのだが。

「くそ……スタジオ……行かなきゃ……」

 腹が減ったなー。人間て何て不便な生き物なんだろう。

 3日ほどもメシを抜いていれば、さすがに空腹過ぎて動く気力が失せてくる。

 店の賄いはどうしたのかと言えば、何を隠そう『EXIT』は1週間の休業に入ってしまった。何でも俺と同い年のマスターの娘さんが結婚するとか言う話で、旅行がてら相手の親の家に行ってくるんだと言うことだった。旅行がてらで1週間ってどこだよ!?と思ってみれば、沖縄。……羨ましい。

 そして夜の方のバイト。こちらはもちろん行っているが、例のサイクロン提出の音源を作るに当たってこのところスタジオに入る日が続いていて、出勤する時間が遅い。『ELLE』でただで賄いが出るのは4時から開店準備を始めるスタッフだけ。ラストまでいても仕事終わりに賄いは出るが、そちらは賄い費が給料から天引きされる。ただでさえ『EXIT』で1週間も稼げないのに、『ELLE』まで天引きされたら来月の俺の生活が危うい。

 どうしてそんなに逼迫しているのかと言えば……。

「……」

 仕方ないよな……。

 ちらりと視線を向けた先、俺の現在の愛情をほぼ独り占めにしている、貧乏臭い狭い部屋におよそ不釣り合いなアンプが幅を占めていた。

(はー……)

 あほと思いたければ思うが良い。

(行こう……)

 ずるっと体を起こし、ギターケースを引っかける。外に出ると、目に眩しい太陽から降り注ぐ熱が、空腹の俺に目眩を引き起こした。

 今まで愛用していたフェンダーのツインリバーヴが、先日の『Private Party』で火を噴いた。もとい、煙を噴いた。

 それを機会に、今まで高くて手が出せなかったマーシャルのアンプを買った。フルバルブ・コンボ。しめて20万。

(何で腹って減るんだろな……)

 減らなきゃこんな苦痛を味わうこともないのに。少しは植物でも見習って光合成のひとつもしてみたらどうなんだ?俺。

 気を紛らわせる為にそんなつまらないことを考えながら、炎天下、新宿駅へと向かう。今日行くスタジオは高円寺だ。電車に乗る数百円さえ惜しい。帰りは歩いて帰ろう。

 中央線に乗り込むと、冷房の効いた車内からひやりとした空気が流れ出てきた。あー……腹減ったなー……。

「あ、彗介」

 ドアに寄りかかってぼーっと外に目を向けていると、電車が動き出すのと同時に背後から声をかけられた。北条が隅のシートからこちらを見ている。

「ああ……はよ」

「こっち、座れば?空いてるよ」

「うん……」

 示された北条の隣に腰を下ろした途端、腹が鳴った。

「……食べてんの?」

「食ってない」

「いつから?」

「4日目突入」

 俺の返答に北条は「はあああ?」と呆れ果てた声を出してくれた。

「断食でもしてんの」

「してるんじゃなくてなっちゃってるだけ。俺の食費はマーシャルに食われた」

「……買ったの?」

「買った」

 もちろん北条は、俺のツインリパーヴが煙を噴いたことを知っている。半ば呆れたような顔をしながら、けれど口に出しては何も言わずに北条は軽く肩を竦めた。一応俺の気持ちはわかってくれるらしい。

「あれでしょ?ずっと欲しいって言って悩んでた奴」

「そう」

「妥協しときゃいいのに」

「どうせ買うなら欲しいものが欲しい」

 新宿から高円寺までは、大した距離じゃない。休日なら各停しか停まらないが、平日である今日は中央線が停車するので新宿から2駅目だ。

 北条と一緒に改札を抜けて、北口へ向かう。高円寺は古着屋のイメージが強い人が多いようだが、結構ライブハウスなんかもそこそこあったりするし、スタジオもある。

 俺たちが今日使うスタジオは北口の商店街を抜けた辺りにあり、向かう途中の道は夕飯の買い物でもしてるのか主婦らしき人の姿が溢れ返っていた。

「ローン?」

「一括で買えるわけがない。でも半額は支払った」

「次の『GIO』で使うの?」

「うん。せっかく買ったんだから、次のライブで持ってく」

「ツインリバーヴ、どうすんの」

「直す」

「……貧乏性」

「貧乏なんだよ」

 平和な主婦たちの間を、いささか情けない会話を交わしながら進んでいく。……と、商店街沿いの八百屋で商品台の上のキャベツとふと目が合った。100円。

(キャベツってでかいよな……)

 あんだけまるまるしてるんだから、葉っぱだけとは言え結構食い応えがあるんじゃないだろうか。

「彗介?何、八百屋見つめてんの」

「久々にメシにありつけそう」

「……あんまり情けないこと言わないでよ」

 白菜よりはやっぱりキャベツの方が、加工のし甲斐がありそうだ。

 呆れ返る北条に構わず、突然キャベツなんか購入してみた俺は、肩にギターケースを引っ掛け、片手にキャベツの入ったビニル袋を手にスタジオに足を向けた。……進退窮まってるんだよ。

「キャベツだけそのままかじるわけじゃないでしょね」

「まさか。何とかするよ。いろいろ使い道あるだろ、キャベツって。煮ても炒めても生でも食えるんだから、工夫してみれば結構飽きずに食いつなげるような気がしないか?」

「主食はあるの」

「……ないけど」

 マスターが帰って来るまで食いつなげればそれで良い。

「あれ?そう言えば北条、今日早いね。どしたの」

 スタジオに向かう途中で俺と会うなんて。遅刻魔のくせに。

 今更気がついて、大切な食料に注いでいた視線をふと上げると、中古CD屋から出てきた奴が目に入った。そこの店はただの中古CD屋ではなく、中古ギターだのアンプだの、果てはプロが使うディレイマシーンだのを売っている。

「たまにはあたしだって……あれ」

 俺の視線に気がついた北条も、そちらに目を向けた。同時に向こうもこっちに気がつく。

「如月と北条」

「よう」

 時々対バンするPRICELESS AMUSEのベーシスト木村稔八きむら じんぱちだ。さらさらの黒髪に小柄で、一見好青年なのだが、素行の悪さはかなりのものがある。喧嘩はするわ女には手は早いわ酒癖は悪いわ……俺に害はないから別に好きにしてくれて構わないが。

「何、お揃いで」

「今からスタジオ」

「Blowin'ってスタジオにキャベツが必要?」

「これは俺の非常食」

 近づいてきた木村は、俺の手からぶらさがる八百屋の袋に笑いながら言った。キャベツをリハスタで使用するバンドがあるものか。

「ま、いーや。それよりちょーど良かった。俺、如月に連絡取ろうと思ってたんだよ」

「何」

 木村は片手にCDを3枚ほど持っていた。今の店で買って来たんだろう。……かっぱらって来たのでなければ。

「ウチのバンドさあ、ギターいなくなっちゃってさ」

「はあ?小森?」

「そう。再来週ライブあるんだよ。またヘルプやってくんない?」

「そりゃ構わないけど……何でやめちゃったんだよ」

 PRICELESS AMUSEは普通にフォーピースバンドで、木村を含めた3人は高校時代からの付き合いらしく定着しているようだが、ギタリストがいつかない。何でも、木村の見た目の素朴な雰囲気と中身の凶暴さのギャップに耐えきれずに、抜けてくんだそうだ。何しろ顔はカツアゲでもされそうなのに、内実カツアゲする側なのだから。

 これまでも何度か、ライブでギタリストの穴埋めをやらされたことがある。……まあ、うまいしかっこいいバンドだから、それはそれで構わない。

「結構小森ってうまくいってそうだったのに」

「うーん。1回ぶん殴ったらやんなっちゃったみたいでさあ」

 それは嫌にもなるだろう。

「木村さあ……態度改めなよね、あんた……」

 ついがっくりと呆れていると、同様に北条がため息混じりに諭した。もちろん木村はそれを受け流す。

「ま、そんなわけでさ、よろしく」

「再来週な?」

「そう。来週辺りスタジオ入るからまた連絡するよ」

「わかった」

 んじゃ、と俺たちとすれ違う形で別れかけた木村が、不意に足を止めて振り返った。「そう言えばさあ」と肩越しに口を開く。

「Blowin'、『サイクロン』の応募、出すんだって?」

 何で知ってるんだよ。

 俺と北条が返答に詰まっていると、木村はにこにこと笑った。

「Field Ariaに聞いた。ほら。藤谷が時々ヘルプやってるっしょ?」

「ああ……」

 そんな気もする。……が、Field Ariaは対バンに当たったことがないから、どんなバンドかまでは良く知らない。

「あんまし言うなよな」

「何で?」

「落ちたらどーすんだよ」

 苦笑いをする俺に、木村はけたけたと笑った。

「大丈夫だろ。Blowin'なら」

「そんな根拠のない……」

 責めるように唇を尖らせる北条に、木村は片手をポケットに突っ込みながら肩を竦めた。

 その肩を持っていたCDで軽く叩く。

「そうか?根拠はあるよ。Blowin'は上手いしかっこいいよ」

「……」

「……」

「俺もさー、如月がヘルプじゃなくてまじでウチのギタリストになってくれると助かるんだけどさあ。如月、俺に殴られたくらいじゃやめないでしょ」

「やめるよ」

 と言うよりは殴り返すだろう。

 呆れたような俺の返答をあっさり無視して、木村は真剣そのものの表情で続けた。

「だから俺としてもそこは悩みどころなんだけど。でもそれで今のBlowin'がなくなっても嫌だしさ」

「俺の意見を聞けよ」

「でも今回のこの『サイクロン』いーと思うんだ」

 木村は振り返った姿勢のまま、かぶったキャップを指先で弾いた。

「え?」

「結構でかいレコード会社が、注目してるとかって聞いたよ」

「……」

「……アキシア?」

 北条が問い返す。ジャストシステムはアキシア傘下の流通なんだから、おいしいアーティストがいればラッキーだとアキシアが思うだろうことは、予想がつく。

 木村はうん、と頷いてから驚くべき言葉を続けた。

「それもそうだけど。それだけじゃなくてソリティアとかヴァージンだとか野村だとか」

 え。






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