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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
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第2話(3)

 全部、たったひとつのことがやりたい為だ。……負けて、どうする。

 『夢を追い続ける』ことが当たり前になり、生活の中、惰性に流されそうになる。口で言うほど、必死になれなくなっていく自分に気がつく。甘えが生まれる。

 作り上げているのは、でたらめばかりが散りばめられた日常だ。そしてそれを諾としかけている自分。……本当に欲しかったのはそんなものではなかったはずなのに。

 働いていた頃の自分を思い出すと、いろんな想いが胸をよぎる。

 いろんなものにがんじがらめになっていた自分。

 何かに縛られているのは、今だって変わらない。あの頃仕事に縛り付けられていたように、今も日々の生活に縛られている。

 だけど、あの頃の俺はもっと必死だったんじゃないか?流されまいと、抵抗していたんじゃないか?……もっと、真摯だったんじゃないか?

 気づくとただ何となく、何もせずに時間だけが過ぎていって、あの時は日々それを痛感して焦ってた。今何かをしなければ、『今』がなくなる。気がついた時はきっともう、何かもが手遅れになっている。

 そんな気がしてた。

 けれど今は、ともすれば……そのことに気づくことさえしなくなりそうで。

 今日ここを訪れたのは、この前瀬名と話して、何も為すことなく日々を過ごすことに甘えそうになっている自分に気づいたからだ。張り合うことじゃないが、瀬名に負けたくない。瀬名に、『頑張っていない自分』を見せたくない。

 イルミネーションに包まれていく夜空を見上げながら、かつて社員寮で生活していた時のことをぼんやりと思い出した。

――若いよなあ……まだ、何でも出来るよなあ……

 高卒で、しかもまだ誕生日前で18歳だった俺に向かって、同室だった同僚が言った言葉だ。そいつは四大卒でその当時23歳だった。……今の俺と、同い年だ。今度の9月で俺は、23歳になる。

 あの時、俺はそいつの言葉に違和感を覚えたものだった。

 23歳。

 自分だってまだ、何でも出来る年じゃないかと思った。

 俺がその年になった時、俺はどうしてるだろうと思ったんだ。

――お前だってまだ、何でも出来るんじゃないの

――……そう言えるお前が羨ましいよ

 諦めたように自分の年を語るようにはなりたくない。そう思った。

(まだ、何でも出来る……)

 瀬名は、過去の自分を振り返って励ましてやりたくなるんだと言っていた。

 それは、過去の自分に恥ずかしくない今を生きていると言うことだ。

 俺は、どうなんだろう。

 あの頃の俺が今の俺を見たら、どう思うだろう。

(……頑張ろう)

 瀬名に負けたくない。

 あの頃の俺に、負けたくない。

 こみ上げてきた焦燥に、どこか安心した。俺はまだ諦めてはいない。まだ完全に甘んじるほど、夢に怠惰になっていない。

 焦燥に押されて自然と早足になりながら、もう一度心に決めた。

 『サイクロン・レーベル』……オーディションに通ってやる。


        ◆ ◇ ◆


 Blowin'は、結成してから月に1度は必ずどこかでライブをやることを、自分たちに一応課している。

 可能な限り人目に触れておかなければ、アマチュアのバンドなんかファンがついたってすぐに消える。コンスタントに活動を維持していかなければ、せっかく応援してくれようって気になった人だって気が変わってしまうものだ。

 それ以外にも、例えば自分たちの音源を作って誰かのコンサート帰りの客を狙ってフライヤーと一緒にバラ撒いたり、ライブをやるにしても来てくれる人が楽しんでもらえるように何かのイベントを企画したり、維持する為の下準備のようなものは真面目にやろうと思えばきりがない。

 しかも金がかかってしょうがない。

「……北島。俺、そろそろ上がり」

「え?早いじゃん。0時上がり?」

「そう」

 慢性金欠病に冒されている俺は、昼も夜もバイトをしている。昼は新宿の喫茶店『EXIT』。夜は赤坂にあるキャバクラ『ELLE』のウェイター。

 夜が深まるに連れて華やかさを増していく店の壁際で、嬌声に満ちた喧騒の中、バイト仲間の北島に声をかけると、俺は手にしていたトレンチをカウンターの女の子に返して更衣室へと足を向けた。

  明日、Blowin'企画イベント『Private Party Vol4』を下北沢『プラスワン』で行うにあたって、この後スタジオに入るというとんでもないことになっている。と言うのも、オーディションに応募する為に新しく作っていた曲を「せっかくだから新曲として明日やりたい」などと言うわがままを言い張った馬鹿がいるからだ。……馬鹿が誰かなんて決まっている。

 スタジオの予約が入っているのは2時半からで、まだ時間には早いんだが、この時間にバイトを上がっておかないと電車がなくなって移動が出来ない。当たり前だが、タクシーなんかはもっての外だ。とりあえずスタジオのある渋谷まで移動して、そこで時間を潰すことになるだろう。

(『GIO』にでも行ってみようかな……)

 着替えを済ませ、ギターケースを引っ掛けながらふと思う。『GIO』ではよく金曜、土曜の夜に深夜イベントをやっている。運が良ければ良い時間つぶしになる。

「お疲れ様でした」

 更衣室を出て、見るからに胡散臭い出入り口の扉を抜け出ると、みすじ通りに出てその狭い商店街のような道を赤坂見附に向かった。店は赤坂駅付近にあるので、俺の家のある新宿に行くにしても渋谷に向かうにしても赤坂見附駅に向かわなければならず、10分弱の移動距離がある。

(瀬名、いるのかな……)

 渋谷に向かう終電は0時半頃だ。まあ何とか間に合うだろう。

 通りには、涼しそうな服装の女の子がビラを持って道行くサラリーマンにしきりに声を掛けていた。ちなみに俺は視界に入らないらしい。どこからどう見ても金がなさそうなのがわかりきってるからだろう。そういう店で働いている女の子は特にその辺、鼻が利く。

 赤坂見附から電車に乗り、渋谷駅で下りると、こちらはこちらでまた別種の喧騒が俺を包んだ。赤坂と渋谷では溢れ返る年齢層が違うせいで、滲む虚構も匂いが違う。

 ハチ公口から出て青山方面……宮益坂の方に向ける足が、何となく早足になった。別に、時間はまだあるんだし……急ぐ理由なんか俺にはないはずなんだけど。

「おりょー。ケイちゃん。どしたーん」

 『GIO』の付近まで辿り着いて、閉まってたらどこで時間を潰そうかと考えつつ歩いていると、近くのコンビニから『GIO』のスタッフである加藤が出てきた。顔を向けた俺にひらひらと片手を振る。

「ああ……はよ」

 夜中だが。

「おっはよー」

「加藤がいるってことは、今日何かやってんの」

「やってる。今日は『ヤミナベ』」

 ……『ヤミナベ』。

 別に本当に闇鍋をやっているわけじゃない。ヤミナベと言うバンドの企画ライブで、確か結構頻繁にやっているイベントだったはずだ。酒も飲み放題で、どことなく合コンパーティめいた雰囲気のイベントだったような気がする。ので、俺は行ったことはないが、『GIO』に告知フライヤーが貼ってあるので、名前くらいは知っている。もちろんバンド企画のライブイベントである以上、ライブもやっているはずだ。

「あ、そう」

「何?『ヤミナベ』に来たん?」

 どうせ同じ方向に行くので、並んで歩き出した俺に加藤が首を傾げた。片手で買ってきたらしい缶コーヒーを弾ませながら、煙草を咥える。

「それ目的で来たわけじゃないけど……この後スタジオなんだよ。ハンパに時間があるから、『GIO』が開いてたら時間つぶしにちょうどいいかと思ったんだけど」

「ああ。いーよ。ただで入れたげよう」

「それも悪いな」

「いいって。別に。お得意様ですから」

 金が余っているわけじゃないから、甘えよう。

「さんきゅ。助かる」

「ちなっちゃん来てるし、ちょーどいいんじゃない?」

「はあ?」

 千夏?

 こんな時間に何してんだかあの馬鹿。

 つい呆れて黙っていると、加藤が煙草を咥えたまま苦笑した。

「ちなっちゃん、『ヤミナベ』の連中と結構仲良いんだよ。たまに遊びに来るよ」

「はー。顔の広いことで」

「懐っこいからね、あのコ。結構ウチのバンド連中に可愛がられてるし」

 加藤と連れ立って『GIO』に入っていくと、笹本ではなく伊藤真春と言う女の子が受付に座っていた。椅子の上に崩した体育座りのようにして煙草を咥えている。ガラが悪い。

「あ、はよーざいまーす」

「おはよ。……伊藤、すげぇガラが悪い。客が見たら逃げるんじゃないか」

「あたしのこの姿を見て逃げるような客は、最初から『ヤミナベ』には来ません」

 それもそうだ。

「彗介さん、お客?」

「ああ、いーのいーの。俺が拾ってきたから、今日はスルーさせてやって」

「はーい」

「中、今何やってんの?」

「今は多分ご歓談中。ライブはこの後は多分1時半頃になると思いますよ」

 何てだらけたイベントだ。

「Blowin'も明日イベントじゃなかったっけ」

「そう。下北」

「誰出んの」

「こないだのセレストが出てくれるよ。あとは……」

 『GIO』で対バンした覚えのあるバンドを他に3組挙げる。

「へえ。結構豪華。みんなうまいじゃん」

「うまいバンドじゃなきゃ声かけない」

「それもそーか。俺も遊びに行きたいなー」

「来れば」

「彗介さん、何で今頃ギターしょって歩いてんです?ライブ帰り?」

 中に入っても何だかつまらなさそうだし、千夏に見つかってもそれはそれで面倒臭いしで、つい受付に留まってそのまま話し込んでいると、こちらへ続く防音扉の方が勝手に開く音がしてふと振り返った。……げ。

「あーーーーーーーーーーーー!!彗介ぇぇぇぇぇぇ」

 見つかってしまった。

「千夏、うるさい」

 床に座り込んでいた俺が頭を抱えるようにクレームをつけるのもどこ吹く風、お構いなしに読み通り千夏が俺目掛けて突っ込んで来る。

「馬鹿、お前轢く気か」

 人間が人間を轢くな。

 今度は座ったままで千夏を背中におぶる羽目になっていると、開いたままの防音扉の向こうから後を追うように出てきた人影に心臓が微かに鳴った。

(瀬名……)

「伊藤ちゃーん。次の録音……あれ?如月くん?」

「……お疲れ」

 千夏をべったり張り付かせたままなのが、何だかバツが悪い。……いや、別にバツが悪くなる筋合いじゃないんだ。それは、わかってはいるんだが。

「千夏、お前、重い」

「重くないッ」

「お前が決めるなよ。重いの。離れろよ……」

 大谷の魔法の呪文が欲しい。

「あ、えっとね、次のバンドさんは……えと、MD録音あり」

「はーい、了解」

 先ほどの質問に答えた伊藤の声に微笑んでから、瀬名はにやにやと意地悪く笑いながら近付いてきた。

「いいなあ、らぶらぶで」

 あほぬかせ。

「これはそういう概念とは種類が違う。重石だ」

「……修行でもしてんの」

「俺が意図してるわけじゃないけど、そういうニュアンスに近い」

「けぇすけ……」

 背中におぶさっている状態なので、耳元でじっとりした声を出す千夏に、瀬名はくすくす笑いながら中へと戻っていった。その背中を見て、妙に残念のような気がした。

 あっさり行ってしまうと言うことが、俺自身が瀬名の何の興味の対象でもないような感じがして。

(……って何だよそれ)

 自分の中に湧いたその感情に、自分でどきりとする。瀬名が何の興味もなくたって当然だろ……ただの、出演バンドとスタッフなんだから。瀬名が俺に特殊な興味を抱く理由がないし、それを俺が残念に思う理由もない。それじゃあまるで。

 まるで、俺が……。

「……」

「彗介?」

「……え?ああ、何?」

「何ぼけーっとしてんの」

 俺が、瀬名に特殊な興味を抱いて欲しいみたいじゃないか……。

「いや……何でもない。俺、飲み物もらってくる」

 無理矢理千夏をその場に落とし、立ち上がる。チケット代を払ってもいないくせにドリンクを本当に『もらう』わけにはいかないから、ポケットの財布を漁りながら俺はギャラリーの方へ足を向けた。

 中は、ライブをやっているわけでもないのに薄暗い。……まあ、『ヤミナベ』だしな。

 『GIO』のドリンクカウンターは、ライブスペースの一角にある。そちらへ足を向けながら、何となく神経が反対側にあるPA席の方に向いていた。……さっき妙なことを考えたせいだろ。別に深い意味があるわけじゃない。

「何だ。笹本、こんなとこにいたのか」

 ドリンクカウンターの中で雑誌を繰っているのが笹本だと気づいて声を掛けながら近付いた俺に、笹本が顔を上げた。

「えー。如月さん、珍しいですね」

「暇つぶし。この後スタジオだから」

「勤勉ー。何にします?」

「缶ビール」

 金を払って缶ビールを受け取り、またフロアを横切って戻りかけた俺はやっぱりつい、PA席の方に顔を向けていた。少し迷って、結局足を向ける。

「瀬名」

「ああ、如月くん」

「暇そうだね」

「んー。このイベント、間延びしてるからねー……。だって12時スタートで4時5時までやってんのに、2バンドしか出ないこととかあるんだよ。眠くもなるよ」

 そりゃあ間延びし過ぎだ。

「今日は何バンド?」

「今日は3バンド。如月くんもやってけば?」

「見てけばって言うならともかく、やってけばって何だよ。おかしいだろそれ……」

 呆れて言いながら、缶ビールのプルリングを引く。

「いーじゃない。如月くんのギターソロステージ」

「嫌だよ」

 即答してビールに口をつけていると、瀬名はふと思い出したように預けていた壁から背中を起こした。

「千夏さんは?」

「捨て置いてきた」

「ひどい言い草……」

「元々別件なんだからしょうがないだろ」

「そう言えばどうしたの?今日は。珍しいね、『ヤミナベ』来るなんて」

 またも同じ説明を繰り返す羽目になっていると、俺の言葉を聞きながら瀬名の視線が不意にそれた。俺の背後に向いている。

「?」

 つられて振り返ると、知らない女の子がそこに立っていた。何かこちらに言いたそうな雰囲気で、当然の思考回路として瀬名に用があるのかと体をどかしかける。……と、彼女が話しかけてきたのは驚いたことに俺の方だった。

「あの、Blowin'のギターの人じゃないですか?」

「は?……え、はい、まあ……」

 誰だっただろう。

 困惑しながらも肯定していると、彼女はぱっと笑顔になった。瀬名の視線が、俺と彼女を見比べているのがわかる。

「あの、この前ここでやってたライブ見てて……友達と、声をかけさせてもらったんですけど」

 そうだっただろうか。言われてみれば顔に覚えがあるような気がしなくもないが、ないような気もする。大体、ライブの後になんか片っ端から話しかけられるので覚えてない。

 とは言え、あからさまにそう言ってしまうと失礼だし、ファンになってくれたかもしれないのに不快に思われては逃してしまう。言葉に詰まっていると、彼女は更に続けた。

「あの……友達が、ヴォーカルの……遠野さん、でしたっけ。名前、聞いて……」

 ああ。

 そこまで言われてようやく理解した。あの時後ろに立っていた方の女の子だ。

「ごめん、俺、人の顔覚えるの、苦手で」

「いえ」

 彼女は苦笑するように首を横に振って、それからちらりとステージに目を向けてからこちらに顔を戻した。

「今日はBlowin'は出ないんですか」

「はあ……今日は、顔出しに来ただけで」

「そっかー、残念です」

 リップサービスでもやはり嬉しい。

「ありがとう」

「わたしもバンドでギターやってるんです。だから、ギターが凄いかっこ良かったのが印象に残って」

 え?

「そうなんだ」






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