第2話(2)
遠野の声に、大谷が立ち止まる。ちなみにダンボちゃんとは大谷のことである。何がダンボちゃんなのかは知らない。千夏が大谷のことをダンボちゃんと呼ぶので、遠野もそれに倣っているだけだ。それから誰だろうこいつらという顔をしているギタリストに、大谷が俺らを紹介した。
「これ、Blowin’ってバンドのヴォーカルの亮とギターの彗介。こっち、俺らの前のバンドでギターやってた川崎」
「どーも。セレストの川崎です」
「あ、Blowin’の遠野です」
「如月です」
さっき見ていて上手いバンドだと思ったところだ。特にギタリストのかっこ良さが目を引いた。話してみたいと思ってたので、ラッキーだ。
「凄い、ギターかっこいいですね」
「あ、本当ですか」
俺の言葉に、川崎が嬉しそうに相好を崩す。
「派手なこととか、ソロとか全然なくて、ソロなんかもキーボードメインになってたけど……存在感がかっこ良くて。全然ギターが目立つ曲作ってないのに、凄い目立ってた」
「え、それって俺、まずいんじゃあ……。アヤに怒られちゃうなあ」
「アヤ?」
「ああ、ウチのキーボードなんすけどね」
そのまま、川崎とギター雑談に突入する。自分もバンドをやっていて相手もバンドをやっていると、そこに妙な連帯感が生まれて交流関係が広がったりするのは楽しい。
ライブの後は、出演者は来てくれた客や友達への挨拶がひっきりなしだ。あんまり川崎を占領しているのも悪いので、他の誰かが声をかけたのをきっかけに「今度ウチのも遊びに来て下さい」なんてお決まりで締めると、大谷とくっちゃべっていた遠野を振り返った。大谷も「それじゃあ」とその場を離れる。
「どーする?」
「うん……ま、義理は果たしたし……」
「おっす」
つい煙草を咥えて火をつけていると、不意に瀬名が近付いて来た。ほんの僅か、どきりとした。
「ういーっす。瀬名ちゃん」
「……お疲れ」
「来てたんだ」
ステージの撤収終わりだろうか、手にはめた黒い皮手袋を外しながら首を傾げる。その動きに伴って、頬にかかっていた髪がさらりと滑り落ちた。
「あ、うん……。ナノハナに呼ばれて」
「瀬名ちゃん、今日も走ってたねー」
「それが仕事だもん」
それから、何か飲む?と尋ねる。俺たちの缶ビールは、既に飲み干されてゴミ箱の中である。
「じゃあビール、もう1本ずつくらい飲んどくか。せっかく瀬名ちゃんがいるんだし」
「ああ……うん」
「俺もらってくる」
「あ、いいよ、わたし行くし」
「いいよいいよ。仕事終わりでお疲れなんだから」
言い残して、やや強引に遠野はその場を離れた。思わず、瀬名と顔を見合わせる。
「わたしが行ったら、ただでもらえるのに」
「大丈夫だろ、遠野なら。うまいこと丸め込んでもらってきかねないぞ」
「確かに」
そう言って、瀬名が小さく吹き出した。その笑顔に、なぜか柔らかい気持ちになる。今まで意識したことなかったけど、瀬名の笑顔が俺を優しい気持ちにさせる。
ジャンルは違うけれど、ミュージシャンに感じる連帯感に近いものを感じるのかもしれない。いや……ジャンルが違うからこそ、無駄なプレッシャーとか競争心みたいなものを一切感じない分、もしかするともっとそれは、安心感……。
「この前は、遅くまでつき合わせちゃってごめんな」
「え?ああ……こちらこそ。何だか愚痴聞いてもらっちゃって」
灰皿に煙草の灰を落としながら肩を竦めると、軽く笑いかけた。
「とんでもない。面白い話を聞かせてもらいましたよ」
「そう?」
「うん」
瀬名は俺の隣に寄りかかると、ポケットから煙草を取り出した。ふわり、といい匂いがして、視線を下げると意外なほど近くに瀬名の顔があった。少しどきどきした自分に動揺する。
「あのさ……」
自分を誤魔化すために何か話を振ろうと口を開くと、先ほどの宮枡とかいうヴォーカルがこちらに向かって歩いてきた。
「瀬名さん。お疲れ様でした」
「あ、お疲れ様ですー」
瀬名がにこやかに応じる。
「本当、凄いやりやすかったっすよー。こんな可愛くて仕事も出来るなんてかっこいいっすね、瀬名さん」
言いながら、宮枡がちらりと俺を見た。笑顔の中探るような目線に、何だか少しかちんと来る。
「瀬名さんの彼氏?」
「へ?」
瀬名はきょとんとその視線を追って、俺を見た。思わず俺も瀬名を見てしまったので、目が合う。何となく、どちらともなく微かに赤面をして目をそらし、しらーっとした空気が俺と瀬名の間を通過した。
「まさか……宮枡くんと同じだよ。ここによく出演してくれるバンドさん。Blowin’の如月くん」
「あ、なーんだ。そうなんですか。初めまして、宮枡です」
「……如月です」
「今日は?」
「ナノハナを見に」
「あ、友達なんですか?」
言って宮枡は、千夏に視線を走らせた。つられて俺もそっちを見ると、千夏が俺に向かってアッカンベーをする。……何だよおい。よく見れば、遠野がいつの間にかその中に紛れ込んでやがった。戻ってこねーと思ったら……。
「瀬名さん、良かったらこの後、ウチの飲み会来ません?」
「あ、いやわたしは……」
「何か凄い楽しかったから、お礼したいんですよー。俺が奢りますから」
「でも……」
瀬名が困った顔で少し笑う。おいおい。大丈夫なのか?こんなんで。仕事の時はテキパキ交わすくせに、こういうのはうまく断れないタチなのか。さっきの千夏の口振りからすると、真面目に取り合っていてはきりがないんじゃないだろうか。
「瀬名、この後PAの小林さんと約束してるらしいよ」
俺がぼそりとそう言うと、宮枡はコバヤシサン?と首を傾げた。最近ここに来るようになったバンドなのかもしれない。それなら瀬名の前にここでPAをやっていた小林さんを知らなくても仕方がない。
「前にここでPAやってた人。瀬名の師匠」
「あ、なんだ……お勉強会ですか?」
「そ、そうそう。反省会」
ひきつった顔でこくこくと頷く。どうせ演技するなら、もうちょっとましな演技にした方が良いだろう。バレバレだ。
「そっかー。残念だな……。じゃあ無理ですね。じゃあ次の時にでも、また是非……」
「あ、はい。おつかれさま」
残念そうに宮枡が去っていって、その辺の人と話し始めるのを見送ってから、俺は瀬名の顔を見ないままで「ばーか」と小さく呟いた。
「何よッ」
「……べっつに」
瀬名の視線を感じたが、敢えてそちらは向かずに煙草を灰皿に放り込む。
「とりあえず、助け舟、ありがとう」
「余計だった?」
「んなことないよ、ありがとうだよ」
あきれたように、ため息をつく。
「それこそ仕事終わりで疲れてるんだもん。誰彼構わず付き合ってたら体がもたないじゃない」
「あ、そう」
先日俺の誘いに応じてくれたのは、Blowin’と言うバンドは少しは瀬名にとって特別、と思って良いんだろうか。それともこれはただのリップサービスもしくはその日の気分の問題、だろうか。
瀬名も煙草の火をもみ消すのを眺めながら、近くのテーブルに頬杖をついて口を開いた。
「彼氏欲しいんじゃなかったの」
「誰でもいいわけじゃないよ……。わたしにも選ぶ権利ってもんがあるとは思わない?」
「かっこよかったじゃん」
「別に顔で好きになるわけじゃないもん」
それから手持ち無沙汰のように人差し指で髪の毛をくるくる巻きつけて、少し拗ねたような目線を俺に投げる。
「如月くんだって人のこと言えないじゃないよ……。ずっと彼女いないんでしょ?ナノハナ、いーんじゃない?可愛いし元気だしいいコだし」
瀬名の口から思いがけないことを言われてつい千夏に視線を戻すと、千夏の馬鹿はまだこっちを見ていてまたべーっと舌を出した。……だから。何だよ。
瀬名がそれを見て吹き出す。
「何なんだあいつは……」
「ヤキモチやいてんじゃない?もしかして」
「は?」
「わたしが今ここにいるから。……帰ろうかなー」
言いながら、すすすーっと俺から遠ざかる。そういうリアクションか?
「あのな……」
「だってさっき見てたら、如月くんにべったりだったじゃない、彼女」
「そんなこと……」
見てたのかと思うと何だか嫌で、と言って必死に言い訳するのも何か変な気がして返答に詰まっていると、ようやく遠野がビールを持って戻って来た。
「遅い」
「1本あっちで飲んじゃったー」
「何でさっさと戻って来ないんだよ」
「だって、何かここで三角関係の修羅場やってるみたいだったから。面白そうだから見てた」
殴るぞ。
「あーきーらーくん?」
さすがに瀬名がねめつける。まあまあこれでも飲んで、と絶対自分の懐からは1円も出していないビールで遠野は買収を図った。
「んで?瀬名ちゃん、まっすぐ帰るの?」
遠野から受け取ったビールのプルリングを引きながら、瀬名が頷く。
「帰るよ」
「彗介ええええ」
そこへ千夏が突然突っ込んでくる。
「あ、お疲れ様でしたー」
が、瀬名ににこやかな笑顔を向けて、きっちりと頭を下げた。対する瀬名も、ビールから口を離して頭を下げる。
「お疲れ様でした」
「瀬名さん、宮枡くんに口説かれたでしょ」
「へ?いや、そんな……」
「あいつ、ちょ〜お軽いから気をつけてねッ」
そんな奴なのか?気軽に瀬名にちょっかいかけるなよ。
……いや、俺には関係ないんだが。仕事でやってる人間にそういうのも、どうかと思うし。
軽くかちんと来た理由を自分で後付けしていると、千夏はぐるんっと俺の方に向き直ってがしっと両手で俺の腕を掴んだ。
「ねえねえねえねえ、この後ヒマでしょ」
「勝手に決めるな」
「ヒマだもん絶対」
余計なお世話だ。
「一緒に行こうよ、打ち上げ。なんかね、セレストは打ち上げとかナシで帰るらしいから、川崎くんも来るって言ってるよ。如月くんともうちょっと話したいって言ってたよ。ねえ、行こうよ行こうよ行こうよ」
「お前さっきの何なんだよ、べろべろ舌出して」
「ああ、ヤキモチヤキモチ。気にしないで」
「あのな……」
さらっと言って、ねえ〜っと瀬名に笑顔を向ける。女性が何を考えているのかわかれと言う方が無理だが、その中でもこの千夏と言う女は極めている。異星人だ。全く何を考えてるんだかわからない。軽くあきれる俺の前で、千夏は瀬名にも言った。
「瀬名さんも来ません?亮とも彗介とも仲いいみたいだし」
「あ、わたしは……」
千夏の誘いに、瀬名がそっと手を振る。
「今日は、やめときます。誘ってくれてありがとう」
「そう?」
「うん」
それじゃあ……と瀬名は缶ビールを置くと、『GIO』を出て行った。その後姿を見て、なんとなく落ち着かない気分になった。
寂しいような、何かを言い忘れたような。
「彗介ー。行こうよー」
「ああ……うん」
頷きながら、さっきまで瀬名がいたはずのPA席に、ふと視線を向ける。
『サイクロン』に応募してみることがそのうち良い結果として……瀬名に、報告出来れば良いんだけれど。
◆ ◇ ◆
「……そんな感じでイメージ、掴めたか?」
「うーん。とりあえずやってみようよ」
「じゃ……藤谷、カウントよろしく」
『サイクロン』のアーティスト公募に応募してみようと言う話でBlowin'のメンバーの意見がまとまり、最近時間があればリハスタで音出ししながら既存の曲のリアレンジをしてみたり、新しい曲の作成に取り掛かったりしている。
目標があればやっぱり、気合の入り方も違うものだ。とは言っても、メンバーの遅刻癖は相変わらず目を見張るものがあるが。
「……………………だせー」
「……………………バンド始めて1週間の奴だってこんなの作らないぜ」
俺の頭の中にはもっと圧倒的にかっこいい曲が流れているのだが、どうして現実に全員で音を出してみるとこんなゴミにさえならないような曲が出来てしまうのだろう。感嘆する。
「違うんだって。タイミング合ってない。そうじゃなくってさ……」
あー、もどかしい。俺の頭の中を今この場にいる全員に見せてやりたい。
「だってさ……で、こうでしょ?」
「そう」
「んで、こうでしょ?」
「そう」
「で……和弘はこうでしょ?」
「そう」
「……ああなるじゃん」
「じゃないんだって」
これは今後の課題だよな……。いくら俺が曲作って、「来た!!これは来た!!」と思うほどひとりで感動したところで、メンバーに伝わらず出来上がらなければそんなものはただの空想に過ぎない。
「だから……藤谷、刻んでて。北条も。ひねんなくていいから。まんまで」
「はあい」
「……で。こうだろ……こうで……この辺ずっとギターも含めてメロディの邪魔になりたくないんだよ。……で、ここで……」
頭の中にある音のイメージ。楽曲そのものの色合い。
全員がうまくぴたりとハマることもあれば、こうしてすれ違ったイメージを抱いてしまうこともある。
そうなってくるとその軌道修正はなかなか大変だったりして。
「……で、どうすんの」
「Eb Ab Bb Eb……」
「……こうなるじゃん」
「ならないんだってば」
結局何だか話の進まない、音が形にならないスタジオを終えて、メンバーと別れた俺はその足でそのまま新橋へと足を向けた。
……俺にとってはある種の、思い出の場所だ。
JR線の駅で降りる。どこか雑然とした、けれどスーツを身につけて家族の為に今日を戦うサラリーマンのひしめくこの街で、ラフなジーンズにギターを引っかけた俺の姿はどこか浮く。
俺が東京に来て、最初に知ったのが、この街だった。
高校を卒業してすぐ就職した、小さな会社。それが、この街にある。
上京してからの1年が、多分俺の人生において最も暗黒期になるだろう。慣れない環境、夢を追って出てきたはずが、仕事に追われてやりたいことが何ひとつ出来ずにいた。
毎日が、苦痛だった。
挙げ句、誰もいなくなった。……並んで歩いていたはずの遠野でさえ。
あてもなくゆっくり歩いているうちに、次第に街は銀座と呼ばれる地域に移っていく。街を歩くスーツの中に、お洒落で華やかな人たちが混じり始める。これは俺の先入観かもしれないが、この街を歩いている人の姿は誰もが余裕を持って人生に臨んでいるように思えた。俺のようにあらゆる意味で逼迫している人間が来てはいけない街のような、気後れがする。
何かに行き詰まりそうになると、俺はこうして新橋から銀座へと歩いてみることがあった。そのまま銀座を通り過ぎて東京駅まで抜けると、結構な距離がある。
瀬名の『ペンライト』と、俺の『新橋』の意味合いは近いのだろう。
あの時から今に至るまで……それこそ遠野さえいなかった間の苦痛も相当たるものだったが、その全ての始まりになったこの街で働いていた時のことを、時折こうして思い出してみる。自分を叱咤する為だ。
何の為に、東京に出てきた?
何の為に、会社を辞めた?