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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
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第2話(1)

 振り返ってみれば、最初に音楽でやっていきたいと思い始めたのは、いつだったんだろう。

 今ではもう俺にとってその思いそのものが当たり前すぎて、正直なところ覚えていない。覚えてはいないけど、でもそう……はっきり意識したのは、確かに高校の時だったんだろう。

 途方もない夢で、全国各地に散らばる同じ夢を追う人間が数多といる。そしてみんな東京を目指して……そこで、躓き、悩み、壁にぶつかる。

 東京に出てきたばかりの頃は、しょっちゅう壁にぶつかっていたような気がした。仕事と夢の間で揺れ、それを過ぎて仲間と離散し、弾く場所さえ見つけることが出来ないでいたことがある。

 だけど、振り返れば、その時は必死だったような気がする。いや、今だって真面目に頑張っているつもりではあるが、弾ける場所があって、居心地が良くて、同じスタンスの仲間がバンド内外問わずに出来てきて……そこに対して甘んじている気持ちが出たりは、してないだろうか。

 味方をつけずにたったひとりでバンドと向かい合って立っている瀬名を見て、そんなふうに考えた。自分は気がつかないうちに少しずつ、甘えが出てきているような気がしていた。

「ケイちゃん」

 ぼんやりとバイト先の喫茶店『EXIT』で、同じ皿をやけに丁寧に磨きたてながらそんなことをぼんやりと考えていた俺は、マスターの声で我に返った。示されて顔を上げると、見慣れすぎた顔がドアを開けて入ってくるところだった。

「何だよ」

「はろー。ケイちゃんさあ、ヒマ?」

 ……バイト中の人間に、喧嘩売ってんのか?

「俺はどこからどう見てもまごうことなき勤務中の身だと思うんだが」

 ぴっかぴかになってしまった皿を棚にしまい、入ってきた遠野の前にチェイサーのグラスを押し出す。それをさらっと無視した遠野は、マスターに「何かおいしーものお願いしまーす」と言って、おもむろに俺の目の前にチケットを突き出した。

「絶対忘れてるだろうから、拉致してこいって使命を授けられまして」

「……」

「ああほら。読み通り」

 遠野にエサを与える為に俺の後ろを行き来するマスターの為に、カウンターに身を預けて狭いスペースを少しでも広く開けながら、そのチケットに目を落とした。……ああ。今日だっけ。

「行くのか?」

「アナタを連れて来なさいと言う使命を請け負って、俺がいかないわけにはいかんでしょう」

 カウンターに腰を落ち着けて水に口をつけながら、チケットをテーブルの上に並べておく。

 対バンで良く顔を合わせるバンド仲間、ナノハナのライブチケットだ。俺たちと同様ナノハナも『GIO』を根城にしているバンドのひとつで、良く動いて良くしゃべる元気なヴォーカルがウリだ。ヴォーカルの女の子の歌い方が、女の子に絶大な人気を誇る某アーティストに似ているせいか、そこそこ固定ファンを持っている。

「ああ、うん……まあね……」

「お前夜のバイト入れてないよな?」

「うん……今日はない」

「知ってるよ。千夏がライブに来いってわめいてた時、お前言ってたじゃん。『その日は夜空いてるから行っても良いよ』って。これで入ってたら、後から入れたとしか考えられないだろ」

「そうだっけ……まあいいけど」

「あと1時間ちょいだろ?俺、ここで待ってるよ」

 マスターがエサをこしらえる、ジューと言う音と芳ばしい香りが上がった。カウンターとの仕切りになっている部分に頬杖をついて、呆れた目線を向ける。

「千夏の下僕かよ」

「迎えに来てあげた親切な俺様にその言い草?」

「来なくて良いつーの」

「来なかったら行かないでしょーが」

「うん。忘れてたし」

「だったら言うべき言葉は『ありがとうございます』じゃないんでしょーか。……それはさておき、俺、ケイちゃんに相談もあってさー」

「相談?」

「はい、お待たせ」

 マスターが遠野の目の前に、焼きそばの乗った皿を横から置く。鼻腔を刺激するソースの香りに、遠野は顔を輝かせた。

「やったあ」

 ちなみにこの店には、焼きそばと言うメニューはない。

「お前、ここを自分家の台所代わりにするの、やめろよな」

「いっただきまーす」

 人の話を聞け。

 マスターはと言えば、にこにこと育ち盛りの子供のように焼きそばに取り掛かる遠野に目を細めている。甘やかすからこういうことになる。

「んで?何だよ、相談って」

「ほうほう。あのはあ」

 口に食い物を詰め込みながらしゃべるので、おかしな発音で言いながら、遠野はポケットからくしゃくしゃになった紙切れを取り出した。受け取って広げてみる。

「……は?」

 大久保のライブハウス『サイクロン』の親会社エクストリーム・コミュニケーションズが『サイクロン・レーベル』の新規アーティスト募集すると言う告知フライヤーだった。

「『サイクロン』って六本木『リドル』系列だよな、確か」

 エクストリームはライブハウス経営を主体としている会社で、確か都内にいくつかそこそこ名の知れたコヤを持っている。六本木『リドル』は結構有名で、クラブ系とかミックス系とか、そっち方面に強かったはずだ。

 鼻の頭に皺を寄せている俺に、焼きそばを口に詰め込んだ遠野が「ほうほう」と肯定した。俺の嫌な顔の理由をわかっているのだろう。僅かに苦笑めいた笑みを覗かせている。

「『フライハイ』とはちょっと違うみたいだよ」

「だってエクストリームだろ」

「そうだけど、良く見るとその下にジャストシステムって名前があるっしょ」

 『フライハイ』も、エクストリーム系列の池袋のライブハウスだ。ここに俺たちは嫌な思い出がある。

 言われてフライヤーを良く見ると、確かにそこにはエクストリームの名前と並列に、ジャストシステムと言う名前があった。何だこれ。

「俺も良くわからんけどさ、ジャストシステムってアキシア傘下のでかい流通らしいよ。聞いた話では立ち上げる『サイクロン・レーベル』はジャストシステムとエクストリームが組んでやるって話」

「へえ?」

 アキシアは、かなりでかいメジャーレコード会社だ。ジャストシステムと言うのは俺は知らないが。

「だから前の『フライハイ』とは違うだろ。もしまたむかつくことあったら、それはそれでやめればいーし」

「ふうん……」

 『フライハイ』での嫌な思い出とは、そういうことだ。かつて募集に応募して、物凄く嫌な弾かれ方をした覚えがあるので、懲りていると言える。

 遠野の言葉に、俺は改めてフライヤーの内容に目を通した。募集要項は一般的なものだ。音源と指定のフォーマットに従った書類、写真を提出し、通過すれば連絡が来て面接、ライブなんか見られたりとかして気に入れば話を進めましょうということだろう。

 レーベルのアーティスト募集、か。

「……いいよ。やっても」

 焼きそばを片付けた遠野が、俺の言葉に顔を上げた。

「そう?」

「うん。何かの、チャンスになるかもしれないし」

 実際、いつまでもこうしていたって仕方がない。

 ライブをやって固定客を掴んでいくのは定石として当たり前だとしても、それだけじゃあプロにはなれない。「ちょっといいかな」なんてことは、現実なかなかあるものじゃないのだ。とすれば、自分で押しかけていって掴んでくるしかないのが、実情だ。

「……新しく曲、作ろうか」

 瀬名に「頑張ってるね」などと言われてしまった手前、頑張っているところを見せておかなければかっこつかないだろう。別にそんなことの為に頑張るつもりはないが、妙な意地のようなものがあるのも事実かもしれない。

「うん。じゃあ、和弘たちにも相談して、やってみる方向で考えていこう」

――めげないで、頑張って

 動くことに、意味がある。

 頑張る瀬名に、負けない自分になりたい。


        ◆ ◇ ◆


 バイトを終えて遠野と向かった『GIO』の入り口では、相変わらず笹本が受付に座って加藤とくっちゃべって笑っていた。

「こんちわー」

 ドアを開けて遠野がひらひらと手を振ると、笹本が立ち上がった。いやに嬉しそうだ。

「あ、遠野さん!!今日はどうしたんですか?」

「今日はお客さん」

「じゃあお金もらわないと」

「チケットもってるもんねー」

「ドリンク代って言うのがあるんですー」

 軽口を叩きながら、財布を取り出す。チケットと金を渡して代わりにドリンクチケットと折込みを受け取っていると、床に座り込んで煙草を咥えていた加藤が俺たちを見上げた。

「ナノハナ?」

 俺たちと仲の良い加藤は、俺たちがナノハナと交流があることを承知している。頷く遠野の肩越しに、ぶ厚い防音扉の向こうから、ドンドンと低音だけが響いてくるのが聞こえた。

「千夏が見に来い見に来いってうるせーから来てやった」

 偉そうに言いながら、遠野が防音扉を押し開ける。まだ開演して間がないせいか、客はそんなに入っていない。ドリンクチケットと缶ビールを引き換えて、適当に壁際に陣取る。ステージでは、全く見たことがないバンドが演奏中だ。初心者なのか、目を引く演奏ではないが、ヴォーカルがとりあえず整った容姿の持ち主である。演奏よりそれにつられているファンが何人かいるような感じで、数人の女の子が正面で曲にあわせて揺れていた。

 けど別に、曲構成や音作りは嫌いじゃない。場数を踏んでないだけで、結構上手くなるかもしれない。あとはもう、ひたすら練習して場慣れしてくれと言う感じだ。

 ぐるりと会場を見回す。ライブ中は客電が落ちているので暗いが、PA席の辺りだけぼんやりと明るい。卓上の小さなライトが点灯しているからだ。時折揺れる瀬名の姿が見える。

「何見惚れてんの」

「……馬鹿じゃねーの」

 わざとらしくにやにや笑う遠野に足蹴りをくらわしていると、最初のステージが終わったらしい。客電がついてBGMが流れ出した。ステージ終わりで一度はけたメンバーが楽器の撤収に出てくるのとほぼ同時に、瀬名が客席を横切っていく。ステージに上がって、マイクやアンプのセッティングに入っていく姿を、何となく目で追った。

 壁に斜めに肩を預け、煙草を咥える。後で瀬名に挨拶くらいはしてこうと思っていると、不意に背後から強い衝撃を受けて、咥えたばかりの煙草が口から逃げた。

「おー。彗介じゃーん。来てくれたのぉ?」

「……もっと平和に現われろ」

 しかも勢いに乗って遠野に激突した俺がクレームをつけると、衝撃の原因であるナノハナのヴォーカル千夏が、けらけらと笑いながら俺の首に背中から腕を巻きつけた。

「嬉しくってー」

 俺は基本的にあまり人を名前で呼ぶのが好きではないと言うか苦手なので、知りうる限り苗字で呼ぶが、千夏は特別である。なぜなら苗字を聞いたことがないからだ。何か苗字にコンプレックスでもあるのか、「ぜってー教えない」と言われては聞く気も失せる。

「どけよ」

 コンパクトサイズの身体を精一杯伸ばして俺の首に腕を巻きつけているが、これではほとんど俺がおんぶしているようだ。傍から見たら何をしているのかと思うだろう。

「よう、千夏」

「よう、亮」

 俺におぶさったままで、千夏が遠野に手を振った。

「遠野、これ、はがして」

「いーじゃん、おぶっとけば。どおせそんなにかさばるモンでもないだろ」

「モノじゃなーいッ」

 千夏は、ショートカットで顔も身長も何もかも小作りなくせして目だけはくりっと大きく、あどけない可愛らしい顔立ちをしている。俺から見ると、よくしゃべってよく動くおもちゃのような印象だ。

「おお、来てくれたんだ」

 千夏の後ろから、今度は大男が現れた。とは言っても身長がやたら高いだけで、別にゴツいわけではないのだが。180はある遠野を越えるから、その高さは結構なものだろう。俺と20センチ近い差があるかもしれない。

「ああ、大谷……」

 ほっとして声をかける。

「これ、はがして」

「千夏ー。嫌がられてるぞ。嫌がられることしてるとフラれるそ」

「本当は嫌がってないもん、彗介」

「嫌がってるって」

「うっそ」

「千夏。……苗字で呼ぶぞ」

「だめッ」

 大谷がそれだけ言うと、素早く俺の背中から飛びのいた。……素晴らしい効果だ。ぜひ今度、その秘訣を教えておいていただきたい。

「何バンド目?」

 苦笑していた遠野の問いに、千夏が指を3つ立てる。

「これの次」

 言われてステージに目を向けると、ほぼ準備は終わっているようだった。さっきまでステージ上を走り回っていた瀬名の姿はとっくになく、PA席の方に目を向けると真剣な顔で卓に向かい合っていた。

「……彗介?何見てんの?」

 千夏が、俺の視線を追って瀬名の方に目を向ける。

「ああ、PAさん?若いよね」

「え、あ……うん」

「エンジニアにしてはちょっと可愛いから、バンドの男の子に密かな人気」

「え?」

 驚いて千夏に顔を向けると、千夏はじとっとした顔をした。

「あ。気にした」

「馬鹿。するか」

「したもん。したした絶対した。……あ。centralの宮枡みやますくんだ」

 言われて再度瀬名の方に視線を向けると、先ほどのバンドの色男ヴォーカルがPA席のそばに立っていた。瀬名に何か話しかけて、それに瀬名は笑顔で答えている。

「……」

 なぜか複雑な思いが過ぎった胸中に顔を逸らしていると、横で遠野がにやにやと笑った。根拠はないが、とりあえずむかつく。

「何だよ」

「ふふ〜ん」

「……むかつく」

 遠野を足で蹴り飛ばしてから視線を向けたステージでは、次のバンドが演奏を始めるところだった。フォーピースバンド。ウチと同じだ。

「ギター、上手いな」

「うん」

 複雑な思いからも目を背けるように、気持ちを切り替える。もやもやするような胸の内は、理由なんかない。あるわけがない。

 無意識に自分に言い聞かせるようにしながら向けた意識の半分は、どこか客席の後方に……引き摺られた、ままだった。


 ナノハナのステージが終わり、客席にざわめきが戻る。演奏は上手いし、千夏もライブパフォーマンスやしゃべりが良いので、元気をくれるライブと言えると思う。率直に、良いバンドだ。

「可愛いよなー千夏」

 流れ出したBGMに、軽く指先でリズムを取りながら遠野が笑う。

「ん?うん……」

「付き合っちゃえば。可愛いし元気いっぱいだし。良く彗介に懐いてるし」

 それじゃあペットみたいじゃないか。

 煙草に火をつけながら言われて、思わず俺は白い目を向けた。

「瀬名とくっつけようとしたり、千夏とくっつけようとしたり、女と見れば俺とくっつけようとするの、やめろよな。一貫性がない」

「だって彗介、全然彼女作らないんだもん。かれこれ何年フリーやってんのよ」

「余計なお世話なんだよ」

 そこへステージからはけた千夏が、パタパタと弾むように走り寄って来た。まだ紅潮の名残を残したテンションの高い顔付きをしている。

「おつかれー」

「おつかれ」

「どーだったああ?」

「高音がよれてた」

「歌詞とちってた」

 俺と遠野が交互に言うと、千夏はうにゃあああああ!!と叫び声をあげた。

「ひどいー!!普通は良かったよとか可愛かったよとか言うんだよおおおおこうゆうバアイはああああ」

「嘘嘘。良かったよ」

「うんうん。良かった良かった」

「遅いいいいいいい」

 いるだけで騒々しい。

 千夏がじたばたと暴れまわっていると、誰かが後ろから千夏に声をかけた。

「千夏、お疲れ様〜」

「あ、おつかれー」

「良かったよー。今日の3曲目、あれ新曲?」

「そうそう!!」

 全く、動くおもちゃみたいだ。千夏がそのまま俺たちの知らない人と話しこみ出し、義理は果たしたし帰ろうかなどと思っていると、ナノハナの前のバンドのギタリストと大谷が連れ立って戻ってきた。

「おつかれー」

「かっこよかったよ、ダンボちゃん」

「あ、まじで。さんきゅー」






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