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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
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第10話(4)

「へッ?」

「いえ、ですからですね、音源を聴かせてもらったんですよ。あとライブビデオを拝見して」

「あの、ええとそれは、つまり……」

 まだ軽く混乱状態の俺に止めを刺すように、山口氏は噛み砕いて言った。

「話をしてみて、良かったらウチと契約してみないかってことになるかとは思うんですが」

 えええッ?

「そちらのみなさんの都合が良い時に、とにかく一度会って話をしてみたいんですね」

 絶句したままの俺に、山口氏が一方的に話し始める。

「まだ現段階では音源も一枚しか聞いていないし、ライブも実際には見ていないので何とも言えないと言うのが正直なところですけど、ウチ、ガレージレーベルって言うレーベルを持っているんですよ」

 ガレージレーベル……。

 その言葉に、俺は自分のCDラックを片手で漁った。

「はい」

「それで、まあ安易な約束は出来ないですけど、良かったら未来のことも視野に入れつつ、少し交流を図っておきたいなと言うのが本音でして。本来だったらライブを見てから考えるところなんですが、聞いたところしばらくライブも決まっていないみたいだし、今後どうするつもりなのかとかそういう点も含めて話を聞けたら良いなと思っているんですよ」

 やっぱり……。

 手にしたCDの裏ジャケに記されているクレジットを見て、小さく息を呑む。

「はい」

「とりあえずは軽い気持ちで……どうですかね?」

 インディーズレーベルから声をかけられたことがこれまでにもないわけではないが、ないけど、だけど俺、ガレージレーベルって知ってる。

 ディストリビューションとかもやっていて、俺がリスペクトする海外のとあるインディーズアーティストを扱っているところだ。

 嘘だろ?

「メンバーに、相談してみます」

 鼓動が速い。これは、一つのチャンスなのかもしれない。

 きっと全てが動き出す。そんな予感を胸に、とりあえず俺が予定の空いている日に山口氏と一度会って話してみるという約束をして受話器を置いた。

 もちろん勝手に話を進めるわけにはいかないから、藤谷や北条と話し、そして現在遠野がこういう状態だと言うことも相手には伝えなければならない。

 話を進めるにしても、保留にするにしても、そしてなしにするとしても、いずれにしても会って話をしてみよう。音源がどこから流れて来たのかも聞いておきたいところだし。

 藤谷、今連絡って取れるだろうか。北条はどう……あ、北条は病院だっけ。

 少し浮き立った気持ちで考えつつ再び受話器を取ろうとしたその時、電話の方が先に鳴った。藤谷だったら丁度良いんだが。

 そう思いながら受話器を上げる。

「はい」

「如月くん?」

 そして、心臓が、跳ね上がった。

「瀬名……?」

 耳元で聞こえた優しい声。

 完全な不意打ちで、俺は受話器を落とすところだった。

「そう。瀬名です」

「ひ、久しぶり……」

 声が微かに震えた。

 あの夜以来、一ヵ月半ぶりだ。

 こうして改めて声を聞いてしまうと、やっぱり瀬名が好きなんだと感じずにいられない。先ほど以上に速い鼓動と、頭に血が上って思考回路が収拾がついていない。何を言って良いのか、咄嗟にわからなかった。

「久しぶりだね。……いっつもわたしたちは、『久しぶり』だね」

 ……。

「そうだな」

 短く答えた俺に、瀬名も黙る。ただでさえ他人の気持ちを推測するのが得意ではない俺には、電話越しなどと言う難易度の高さについていけない。

 瀬名は今、何を考えているんだろう。どんな表情をしているんだろう。

「あのね、会って話せたらなって思ったの」

 話……。

 不吉な匂いを纏って感じる。

 だけど、このままで良いわけがないと言うこともわかっている。

「うん」

「如月くん、いつなら空いてる?」

 しばらくは昼も夜もバイトとPRICELESS AMUSEのライブなんかが入っているから、直近では三日後の昼間くらいしか空けるのが可能な日がない。

 でも、その日は……。

「今日、これからなら空いてる」

 俺の返答に、瀬名が深くため息をついた。

「ごめんね。学習してないって思われるかもしれないけど、今、仕事中なの」

「思わないよ、そんなこと。仕事は仕方ないだろ。仕事なんだから。……逆に瀬名はいつならいいの?」

「わたしは……」

 そうして瀬名が告げたのは、三日後の日付だった。

 それを聞いて、躊躇う。

 ここでまたしばらく時間が空けば、もう俺たちはきっと修復不能になってしまうだろう。そんな予感がする。

 何が何でも会うべきだ。

 だけど、その日は。

「ごめん」

 気がついたら、そう口にしていた。

「ごめん。その日は無理」

 ガレージレーベルの人間と会う約束をしている。

 そちらを断れば瀬名と会う時間は作れるだろうけれど、それをするのは嫌だった。彼との約束を、違えたくなかった。

 一つのチャンスに繋がるかもしれない可能性を、危ういものにはしたくなかった。

「そう」

 静かに瀬名が頷く。

「わかった。じゃあまた、連絡するね」

「……うん」

 受話器を置く。

 泣き笑いが表情に滲む。

 これでわかった。決定的だ。

 俺と瀬名は、やっぱりきっと一緒にはいられない。

 ……同じ種類の人間なんだよ。

 夢と引き換えには、出来ないんだ……。




 瀬名が前触れもなく『EXIT』を訪れたのは、それから一週間後のことだった。




「それじゃあマスター。俺、上がりますね」

 エプロンを外してカウンターの脇にかける。

「おう。お疲れさん」

 カウンターの内側に放り込んであった財布をポケットに突っ込んで、店のドアを開ける。

「如月くん」

 一歩外に出たところで声をかけられて、振り返った。

 ひさしぶりに見る瀬名。

 俺の中で瀬名との関係に結論が見えてしまっているとは言え、彼女を好きであることに変わりはない。悲しいほど、心臓が胸の中で暴れまわる。

 いつものように、Tシャツの上に薄手のパーカを引っ掛けてジーンズにスニーカーという出で立ちは、なぜか笑い合えてた日々を懐かしいものに感じさせた。ウェーブのかかった髪が、優しい五月の風にふわりとなびいている。

「時間、少しだけもらえないかな」

 瀬名が少しだけ笑った。儚い笑顔が、別れを告げにきたように感じられて、胸が痛む。

「うん。……そうだね」

「歩きながらでいいから」

 そう言って瀬名は歩き出した。それに従って俺も歩き出す。

 抜けるような青空にペンキで描いたような鮮やかな白い雲が、近づく夏を予感させた。もう夕刻と言える時間だが、夏に向けて昼の時間が少しずつ延びていて、まだ明るい。

「仕事は順調?」

「うん。多分今後、『GIO』は別の人に任せることになると思う」

「そうなの?」

「うん。小林さんについて、あちこちの外部の仕事することにしようって。そうすると『GIO』は出来なくなるから。多分今『GIO』をお願いしてる栗橋くんがメインでやることになるんじゃないかな」

「そ、っか」

 『GIO』に瀬名はいなくなるんだ……。

 時期が、移り変わっていくのを感じるみたいで、心のどこかに大きな穴があいたような気がした。だけど口には出さない。これは、瀬名にとって夢への大きな躍進だから。

「亮くんは、どう?」

「え? ああ。だいぶ落ち着いたみたいだ。意識はまだ戻らないけど、医者の話だと何かきっかけがあれば目が覚めてもおかしくないくらい安定はしているって」

「そう」

 ほっとしたように瀬名が微笑む。優しい笑顔。その笑顔を見るのが大好きだった。

「良かった。早く、意識が戻るといいね」

「うん」

 それから少し、二人とも黙った。何から話して良いのかわからない。そして話してしまえば、二人の時間が終わりを告げる。

 いつまでもこうしているわけにはいかないのに、想う気持ちが口を重くさせた。

「ごめんね」

 いつの間にか辿り着いてしまった中央公園に、何となく足を踏み入れる。生い茂った木々が若葉を芽吹かせ、少し暑くなってきた五月の日差しを柔らかく遮った。爽やかな風が木々をさらって、ざわざわと葉ずれの音を響かせる。

「わたし、勝手だったんだと思うの」

 少し俯き加減に前を見たままの瀬名の横顔を眺めながら、俺は言葉の続きを待った。

「如月くんがつらかった時に、そばにいてあげられなかったこと――連絡を取ることさえ出来なかったこと、自分で自分がショックだった」

「だけどそれは」

「うん。仕事だった。それは確か。だけど、本当にそれだけなのかな」

「え?」

「だってわたしは、仕事のことしか考えてなかったよ。一番の原因は、それだと思うの」

 噴水のそばで、小さな子供と若い母親が楽しそうに水が吹き出るのを眺めている。

 俺と瀬名の間に流れる空気とは完全に別世界の、幸せに溢れる光景だった。

「如月くんを疎かにしていたつもりはないの。わたしの中で、如月くんがとても好きだったのも、本当」

「……」

「今でも如月くんのこと、変わらず大切に思ってる。悲しいくらい、大好きなの」

 そう言って俺を見上げる瀬名は、本当に悲しげな表情をしていた。

 そしてその中に滲んでいる諦めの表情。

 こんな表情はどこかで見たことがある。……鏡の中の俺だ。

「でも、もう一緒にいられないね」

 予想していた言葉――だけど、耳にするとこれほど痛いとは思わなかった。呼吸が詰まる。胸が痛みに軋みをあげる。

「瀬名」

「お願い。何も言わないで」

「そういうわけには、いかないだろ……」

 声を押し出して、俺は歪みそうな表情を無理矢理笑顔に変えた。ジーンズのポケットに指を引っ掛けた。そうしないと、泣き出しそうだった。そうしないと、抱き寄せてしまいそうだった。

 わかってる。大丈夫……。

 自分に言い聞かせる。

 結論は知ってるんだ。瀬名の結論も、俺の結論も、同じところにある。

 俺と瀬名は、ずっと一緒にはいられない。

「今でも瀬名のことが好きだよ」

「言わないでよ……」

「多分こんなに好きになったこと、ないくらい。本当に凄い好きで、誰より大切で、誰より、そばにいたくて……」

「言わないでってば」

「だけど」

 俯いた瀬名の声に涙が滲む。泣き出す顔を見たくなくて逸らしたくなる目を、俺は瀬名に真っ直ぐ向け続けた。最後まで、ちゃんと彼女の姿を見ておきたかった。

「だけど、俺の出した結論も、同じだった」

 瀬名が顔を上げた。涙が幾筋も頬を伝わり落ちていた。

 裏腹に、のどかな子供のはしゃぎ声が公園に無邪気に響く。

「このままだと、多分、お互いきついって俺もわかってる」

「うん」

「瀬名が悪いんじゃない。俺も同じなんだよ、きっと」

「……」

「だからもう、一緒にいられない」

 涙を溢れさせたまま、だけどそれを堪えようと頑張っている表情が愛しくて愛しくて、身を引き千切られそうな気がした。

 失いたくない。離れたくない。

 でも、一緒にいられない。

「夢か、恋か、なんて二者択一だとは思わないけど……今はお互い夢を頑張ってる時期なんだ。どっちも上手にこなせるほど、俺も瀬名も多分器用じゃないし、そうするとお互いに負担が出てくる。それはもうわかってる」

 もっと大人だったなら。

 その言葉を飲み込んだのは、今の自分たちを否定することになるのが嫌だからだ。

 今出会って、今想い合って……そして今離れていくのは、何かにそうさせられているわけじゃない。俺たちが、自分の意思で出した結論。

 俺も、瀬名も、自分の夢を譲れない。相手に合わせて自分を曲げることが多分出来ない。

 そうして、相手に負担を抱えさせ、そんな自分を責める。……責めながら、変えられず、きっと堂々巡りだ。

 少し微笑むと、瀬名も微笑み返した。

「……行くよ」

「うん」

 一緒に駅へ行くのは少しつらい。

 一歩下がる俺を、瀬名は足を止めたままで見つめた。

「頑張って」

「うん。如月くんも」

「ありがと」

 少しためらってから、瀬名に手を差し出す。最初で最後の握手。

「お互いの健闘を祈って」

 小さな瀬名の手。

 けれど、彼女はこの手で夢を掴み始めている。

 これからもたくさんの音を支えていく為に、この小さな手で頑張っていくんだろう。

「如月くんに会えて、良かったよ」

 夢を叶えるために、さよならをしよう。

 誰よりも好きな君が頑張る姿を、遠くで応援してる。

 出会えたことに感謝をしている。

 想い合えたことを。

「俺も。瀬名のこと、好きで良かった」


          ◆ ◇ ◆


 六月も半ばを過ぎた頃、尚香ちゃんは無事女の子を出産した。

 名前は、遠野が既に決めていたという『由依』にしたという。

 由依ちゃんは、予定より少し早い出産で2430gの小さな赤ちゃんだったが、それでも結構元気に泣いたらしい。

 しばらくして退院した尚香ちゃんは、由依ちゃんを連れて遠野の病室を訪れた。

「遠野に会わせた?」

「まだ。これから」

 怖々とつっつくと、人懐こい、遠野によく似た目元を俺に向ける。

「かーわいーい」

 北条が嬉しそうにほっぺたをふにふにすると、それを嫌がる様子もなく、ぽかんとしたように、やっぱりつぶらな瞳で北条を見上げた。

「亮に似た目をしてるね」

「そうなの。黒目がちで鼻筋も通ってて。亮くんに似てるみたい」

 そっと遠野の眠る病室に入ると、何かを感じたのか由依ちゃんは辺りを見回した。

「由依ちゃーん。パパですよー」

 遠野に近づいて、尚香ちゃんがそっと腕の中の赤ん坊に話しかける。

 由依ちゃんは何もわかっているわけがないのだが、不思議なもので尚香ちゃんの腕から逃れるように遠野の方へ身を乗り出した。

「由依? わかるの?」

 わかる……わけがないのだが。

 思わず北条と顔を見合わせる。そして、由依ちゃんと遠野に視線を走らせた。

「あぅー」

 何を思ったんだか、由依ちゃんが得体の知れない声を発した。よだれだらけの口で自分の指をしゃぶると、今度は奇声を発する。

「きゃぁッ。あぁーぅー」

 その時だった。

「嘘……」

「え!?」

 全員がその時、息を呑んだに違いない。

「亮くん……」

 遠野の瞼が、微かに動く。

 唇が、微かに動く。

 そして――。

「亮くんッ……」

 ほんの僅か、だけど確かに、その瞳が開かれた。











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