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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
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第9話(4)

 遠野と別れた俺は、渋谷で電車を降りると円山町の方へ向かって歩き出した。

 ……少しだけ、気が重い自分を残念だと思う。

 思わず暮れかけた空を仰いで、ため息が漏れた。

 楽しみではあるし、期待もしている。ライブにも、今後の活躍にも。

 だけど、目の当たりにすればまたへこむんだろうな。比較してへこんだって自分には何のプラスにもならないことを知っていながら、どうして考えずにいられないんだろう。

 ライブハウスにつくと、入り口には小振りながらいくつかの花が出ていた。

 聞いたことのない会社名は、事務所になる会社からの花だろうか。レコード会社、俺も知っている雑誌社、レコードショップ、そしてサイクロン。

「お。来た」

 複雑な気分で花にかけられたサイクロンの文字を眺めていると、ライブハウスの中から出て来た千夏にいきなり捕まる。その後ろからナノハナの大谷が子守のようについて来た。ぎょっとした顔のままの俺を見て、笑う。

「さすが、千夏の嗅覚は凄いな。如月が来たことが匂いでわかったんだろ」

「うん」

 動物か、お前は。

 呆れたまま無言でいると、大谷がちらりと視線を流した。サイクロンの花を眺めると、笑って俺の肩をばしっと叩く。

「まだ次のチャンスがある」

「ん? ……うん。嫌だな、気にしてない」

「そうか? ならいーけどな」

「うん」

 さすが、鋭いな。苦笑しながら、千夏たちと連れ立って中へ入る。まだ時間が早いせいか、客入りはまだそれほどではない。でもキャパはそれなりにあるし、今日は客だけじゃなく関係者なんかも来るだろうから、それなりの集客になるんだろう。

「メンバー、会った?」

「うん。さっき会ったよー」

 受付は二カ所に分かれていた。多分一般来場者向けにライブハウススタッフと、俺らのような招待者向けにセレストサイドの人間のそれぞれが対応をしているんだろう。だけど今まで見たことのない顔だったので、新しいスタッフなのかもしれない。

 中に入って適当な場所に落ち着くと、俺はぼんやりとあの日の瀬名のはしゃいだ明るい声を耳に蘇らせていた。

 ――夢に近づく階段を、少しずつ上っている気がするッ。

 加藤さやかのカフェライブについて、瀬名はそんなふうに言っていた。

 ……気ばかりが焦る。

 いや、焦っても仕方がない。焦らなくて良い。さっき遠野と話したばかりじゃないか。次の夏には再始動をする。瀬名の言う通り、休んでいるだけなんだから、動き始めたら存分に頑張れば良い。

 ……だけど俺、今年でもう、24になるんだ。

「亮はどうしてる?」

 千夏は知人を見つけたらしく、気づけば少し離れたところでしゃべっている。俺の隣に残された大谷の声に、我に返った。

「俺もずっと連絡取ってなかったんだけど」

「へえ? そうなんだ、意外」

「そうか? 別に用ないし」

 そうしょっちゅう連絡を取り合う理由がない。

「でもついさっき、俺のバイト先にコーヒー飲みに来た」

「ああ。喫茶店」

「そう。うまくいってるみたいだし、元気そうだし、良いんじゃないか」

「ヨメさん、お腹に子供いるんだったよな」

 端的な俺の言葉を責めるでもなく、大谷は何だか和やかに目を細めた。

「もうだいぶ、大きくなってんのかな」

「さあ」

「いーなあ。子供」

 ぎょっとして見ると、大谷はバツが悪そうに笑った。

「男のくせに変って?」

「そうは言わないけど。まあ珍しいよな。子供が欲しいのか?」

「欲しいなあ。可愛いよなあ、子供。如月って子供嫌いそう」

「別に……嫌いってことはないけど、苦手は苦手だな。どう扱って良いのかわからない」

 一応四歳の弟がいるにはいるんだが。

 困った顔でそんなふうに答えると、ガハハと笑い返した大谷がふっと表情を曇らせて視線を泳がせた。改めて口を開く。

「……Blowin'さ」

「うん」

「この先、どうするの?」

 無言で見つめ返す。大谷が元気なく「はは……」と笑った。

「いや、最近さ、自分がいろんなこと考えちゃうからさ」

「いろんなことって?」

「俺、こないだ26になったんだよな」

 年上だったのか。そりゃあ確かに大谷は妙に落ち着いていると言うか、おっさんぽいムードの持ち主ではあるが。

「このまま、いつまでこんなことをやってるつもりなんだろなとか、思うんだよな」

 俺の胸中と重なって、返す言葉がなかった。

 代わりに黙って煙草をくわえる。

「ちゃんと真面目に生きてる奴は、俺の年にもなればある程度責任のある仕事を任されて来たりとかしてさ、いろんな経験積んでくわけだろ。でも俺には何もそういう経験がないからさ、良く考えたら今更何も出来なかったりするんだよな」

 耳が痛い。それは俺自身もかつて考えたことだ。今から他の道を探しても潰しがきかない。何か音楽関係の仕事をあたるしかない。

「もう、考える時期なのかなって思い始めてるんだ」

「それって」

「千夏に言うなよ、まだ。決めたわけじゃないんだから」

 息を飲んだ俺に、大谷は苦笑いを覗かせて千夏に視線を向けた。

「あいつの歌が好きだから、ちゃんと夢を掴ませてやりたかったけどな」

 決めたわけじゃないと言いながら、諦めたセリフが少し悲しい。黙って煙草の煙を吐き出しながら目を逸らす俺に、大谷はため息混じりに笑った。笑顔しか表情が思い浮かばないと言うように。

「セレストが夢掴もうとしてて……焦んのわかるけど、俺はBlowin'も掴んで欲しいと思ってるよ」

「……」

「だけど反面諦めることを考えても、それもまたおかしくはないと思ってる。それは、俺自身がそうだから」

 どうしてだろう。安堵する気持ちと不安が増す気持ちとで、複雑な気がする。

 安堵は、大谷が共感出来る気持ちを抱えていることに対して。

 不安は……大谷は結論を出そうとしていることに対して。

 夢を叶えていく人は、動き始めている。

 夢に手が届かないと決めた人は、諦めることに向き合い始めている。

 どちらにも向き合えない、俺。

「何にしても如月たちには世話になってるし、俺はBlowin'が好きだから、納得いくように決めてって欲しいと思ってるよ」

「諦めないよ。俺は、まだ」

 指に挟んだ煙草から紫煙が緩く立ち上る。それを眺めながらぽつっと言うと、もう一度……自分に言い聞かせるように繰り返す。

「俺は音楽を諦めない。まだ、続ける」

 不安な先行きから無理矢理目を逸らし、敢えて口にするのは俺自身が多分怖いからだろう。

 口に出さなければ、いつか流されそうな気がして。

「うん。応援してるよ」

「さんきゅ」

 いつか……負けそうな気がして。


 セレストのライブが終わり、セレスト自身はこの後関係者にさらわれるとのことだったので、大谷や千夏ら何人かと軽く飲みにつき合ってから、俺は一足先に店を出た。

 軽く、とは言いつつも短時間で結構な量を飲んだような気がするが、全く酔えなかった。

 明確な理由なんか多分ないんだ。空虚な気がして、生きることに少し張り合いを見つけられないだけ。誰にだってそういう時期は多分あるはずで、その程度のことのはずだ。

 酔えない頭のまま、終電を新宿駅で降りる。

 改札から吐き出されていく人の波の一部になり、そしてやがてそれぞれの行き先へ向けてばらけていく。

 大通りをアパートの近くまで歩き、一歩路地へ入ればもう人気はかなり減る。

 時折使うコンビニの横を通り過ぎてぼんやりと歩いていると、夜道に「彗介くんッ!」と声が響いた。

「蓮池」

 振り返ると、蓮池が駆けて来るところだった。足を止めて待っている間に、すぐ近づいてくる。

「凄ーい。運命ー」

 違うと思う。

「何、お前まさか今バイトの帰りなの?」

 何をしているのかまでは聞いていないが、どうやら規則正しく家を出たりするようになっているらしいので、バイトを始めたのだろうと勝手に思っている。

 蓮池はふるふると顔を横に振ってみせた。

「まさか。家にいたんだけど、暇で。彗介くんも帰ってないみたいだったし、暇つぶしがてらコンビニで立ち読みでもしてたら通りがかるかなー……しまった」

「ストーカーかよ」

 呆れて頭を軽く小突くと、先日のように蓮池は楽しげに目を細めた。ぶたれて喜ぶなんてマゾかお前は。

「だってー。住んでる家が近い特権じゃないッ? こういう偶然」

「全然偶然じゃない。偶然って言わない」

「いーもん。待ってたの。会いたかったんだもん」

 蓮池は、あの日以来俺に対して、あからさまに好意を示すようになった。それは確かに嬉しくもあって、反面、嬉しいから困る。喜んでちゃまずいだろう、やっぱり。

「俺、彼女がいるんだってば。この前だって言ったろ?」

 流されてる場合じゃない。はっきり意思表示をしておかないとまた面倒なことになっては堪らない。

 往々にして言葉足らずな俺にしては精一杯言うが、あろうことか鼻で笑われた。

「それがー?」

「それがって」

「気にしないもん」

 こらこら。

「気にしろ」

「だって、彼女さんと彗介くんとのことは、そっちの二人の問題でしょ。わたしには関係ないもん」

「……お前ってそういう性格だったのか?」

「そういう性格ですよぉ。そっちの二人の関係と、わたしの気持ちは関係ないじゃないのよー。……でも」

 威勢良く言っていた蓮池は、そこまで言うと言葉を切って、妙におずおずと上目遣いに言った。

「彗介くんの迷惑になるなら、気をつける……」

「え、いや……」

「わたしが彗介くんを好きなこと自体が迷惑なんだったら、気をつける」

 しゅんとしたように言われて「迷惑だ」と跳ね退けられる奴はどれくらいいるもんだろう。少なくとも俺には出来ない。

「そうは言わないけどさ」

「ほんと? 迷惑ではない?」

「迷惑では、ないけど……」

 俺の根性なし。

「良かったぁ」

 本当に心配していたように、ほっと微笑む。

 まあ、何て言うか……可愛いのは確かなんだよ。

 考えてみれば、俺、瀬名から『にじみ出る好意』のようなものを感じたことがあるんだろうか。言葉では伝えてくれた。俺のことを好きでいてくれてるんだろうとは一応思っているし、邪険にされたとか冷たくされたとかってことはない。

 だけど逆に「そう思っていることが滲み出てしまっている」と言うようなこともない。

 それはそれで別に良いのだが、だからなのか、良く懐いている子犬のような蓮池が新鮮に映るのも確かだった。

「んで、わたしとは関係のない彼女さんとはうまくいってるの?」

 同じアパートに帰るので並んで夜道を歩きながら、蓮池が探るような目つきを見せて尋ねる。その顔がいかにも、わざとらしいほどだったので、思わず吹き出した。

「何だよ、その胡散臭い顔」

「胡散臭い顔ぉ? 失礼な。で? で?」

「関係ないんだろ?」

「関係ないけど気になるでしょー」

 勝手な奴。

 両手をジャケットのポケットに突っ込みながら、蓮池の問いに対する回答を考える。――うまくいっているのかどうか。それさえも即答できるほどには、わからなくなっている俺。

「うまくいってるよ」

 それは事実を告げたと言うよりは、俺自身の願いに近かったのかもしれない。どこか嘘をついているような後ろめたい気分は、そのせいだろう。

 会えない、連絡が取れない。これは、うまくいっていると言える状態なのか?

「なーんだ。つまんない」

「何だよ、祝えよ」

「祝えないよー」

 じゃあ、「本当は、もうしばらく会っていない」と言ったら、蓮池は喜ぶんだろうか。喜ばれても、俺はひどく複雑なのだが。

 微かに顔を俯かせて唇を尖らせて歩く蓮池に呆れたような気分になりながら、俺はまた夜空を仰いだ。

 どこにいるんだろう。

 何をしてるんだろう。

 何を思っているだろう。

 ……会いたいよ。




 その電話が入ったのは、蓮池と別れて部屋に戻り、間もなくのことだった。




        ◆ ◇ ◆


 シャワーを浴びて、冷蔵庫からビールを取り出す。

 飲んでいる時に適当に食ってもいたので、腹はさして減っていない。

 相変わらず瀬名はいないんだろうなと思い、いずれにしても一時も間近なこんな時間に電話をするのも何なので、テレビをつける。さして興味をひかれる番組もなく、仕方がないので適当なチャンネルで手を止めて、少しの間ビールを片手にぼんやりと画面を眺めた。

 蓮池が好きだと思ってくれているのは、もしかすると少し俺を掬い上げてくれているのかもしれない。何となく、そんなふうに思う。

 本当、勝手だな。自己嫌悪に陥るよ。

 瀬名が好きで、その気持ちに変わりはなくて、会いたいのは瀬名なのに……不思議と蓮池の気持ちが完全な孤独感のようなものを消してくれるんだろうと言う気がする。人に好意を寄せられるのは、単純に嬉しいもんなんだなと思ったりする。薄い壁の向こう側から、時折蓮池が何かをしている物音のようなものが、微かに漏れてきていた。

 明日は昼も夜もバイトだから、この一本を飲んだら寝るか。

 そう決めて煙草を咥えた瞬間だった。電話が鳴った。

「うわ」

 ボリュームを絞ったテレビの音しかしない部屋の中、その電話は異質なほどの騒々しさを感じさせ、なぜか心臓を鷲掴みにされたような気がした。

 煙草を放り出し、受話器に飛びつく。深夜の電話は、妙に焦らされる。

「はい」

 抑えた声で電話に出ると、一瞬息を飲むような声が聞こえた。心のどこかで瀬名であることを期待してしまったが、それを聞いて違うことを知らされる。

「彗介さん……ッ」

 藤谷だ。

 どこか切羽詰ったような声に目を瞬いていると、藤谷は俺に全くお構いなしに受話器の向こうで深々と息をついた。

「やっと掴まったぁ……」

「藤谷? 何だよ、どうした?」

 掠れた声が、まさかと思うが泣いているように聞こえる。深刻な空気は電話越しにも伝わってきて、嫌な予感に受話器を握る指先も微かに力が入った。

「何かあったのか?」

「亮さん……」

 え?

「遠野が? 何?」

「彗介さん、すぐ、来て下さいよぉ……俺、どうしたらいーのか、わかんないっす……」

「何だよ? 遠野がどうした?」

 心臓がどくどくと音を立てる。

 指先から血の気が引いていくのがわかる。

 聞いてはいけない。この先を聞くと、嫌なことが待っている。

 だけど、聞かないわけにはいかない。

 強い口調で尋ねる俺に、藤谷が消えそうな涙混じりの声で、続けた。

「亮さんが、事故で、重態です」

 俺の手から、受話器が滑り落ちた。











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