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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
34/40

第9話(3)

「何って……そんな、良く知りもしない奴の為に引っ越しすんのが滅茶苦茶……」

「だって知りようがないじゃない」

 俺の言葉を遮るように、尖った口調で言う。見れば目つきも尖っている。

「彗介くんを好きになれると思って、好きになりそうだと思って……で? でも良く知らないからって、もっと知ってからって、これだけ距離があるものをどうしたら何もしないで知りようがあるのよ?」

「それは、そうだけど」

「それって、何もしないで諦めろってこと?」

「……」

「じゃあ、そんなの嫌だって思ったらどうすれば良かったのよ」

 だんだんしゅんとするように蓮池の言葉が小さくなっていった。そう言われてしまうとどうにも返す言葉がないのだが、反面それが普通だと思いもする。ちょっと良いなと思ったくらいで引っ越していてはきりがない。『それとも、そこまで俺のことを』と思えるほど自信過剰でもない。

 いや、気持ちは嬉しいよ。それは嬉しい。うん。だけどさ、でも突拍子もない行動だって自覚すべき……。

「どうしても彗介くんのそばにいたかったんだもん」

「あの……」

「だから、彗介くんのアパートの管理会社さんに『空き部屋が出たら教えて下さい』って言ってあったの。まさか隣が空くとは思わなかったけど」

 何ぃ?

「それで?」

「それでって?」

「それで、同じアパートに越してきたのか」

「そうだよ。偶然にしては出来過ぎに決まってるじゃないの。狙って引っ越して来たに決まってるじゃないのよー……」

 そう言われればそうかもしれないけどさ。まさか事前から管理会社を抑えてたとは考えもしなかっただけだよ。

 呆れるを通り越して感心したくなる行動力だ。

「……もん」

 俯いてしまった蓮池が、自分の膝を抱き締めてしゃがみこんだまま何かを言った。

「え?」

「それに、何も知らないわけじゃないもん……」

 聞き取れなかったので聞き返すが、返って来た言葉の意味はわからなかった。無言で眉根を寄せていると、蓮池が俯いたままで独り言のように続けた。

「何年も前に、本当は会ってるんだもん」

「は? 誰が? 俺と蓮池?」

「そう。わたしが、高校の時」

 と言えば、俺も高校生だ。

 記憶にないので眉根の皺を一層深くしていると、蓮池がようやく顔を上げて元気なく笑った。

「わたしも、彗介くんが上島から東京に戻った後に思い出したんだけどね」

「ふうん?」

「わたし、弘美さんのお花屋さんが好きで、わりと良く使ってたの。自分にちょっとしたお花を買ったり、誰かへのプレゼントを買ったり」

「ああ、そうなんだ。ありがとう」

 一応俺の親の顧客と言うことで。

 ついつい礼を言って頭を下げていると、蓮池は先ほどより少し明るい笑顔を覗かせた。

「高校二年の時かな……お母さんへのプレゼントを買ったのね、わたし。誕生日プレゼントで」

「うん」

「三千円でフラワーバスケットを作ってくれってお願いして、出来上がったものを家に届けてもらったの。届けてくれたの、今思い返せば彗介くんだった」

「弘美さんじゃなかった?」

「うん。念の為に弘美さんに確認したら、他に男の子のバイトさんとかは雇ったことがないって言ってたし」

「ああ、うん」

 高校時代は当然俺だって実家に住んでいたんだし、せっかくタダで使い放題の奴が家にいるんだ、新しく雇うわけがない。実際、弘美さんに散々こき使われていた頃でもある。

 時々家に配達したりもしていたが、弘美さんじゃなければ間違いなく俺だろう。

 ふうん。さすがに俺も配達に行った家まで覚えちゃいないが、蓮池がそう言うのであればそうなのかもしれない。高校時代に会っていたのかと思うと、何だか少し気恥ずかしいものを感じる。

 何となく口をへの字に曲げていると、蓮池は口元に笑みを残したまま俯いて更に続けた。

「それでね、お花を受け取ってお金を払おうとしたら、お金、足りなかったの」

「蓮池?」

「そう。お財布に千円札一枚と五千円札が一枚あると思い込んでたら、いざ出してみたら二千円だったの」

「はあ」

 蓮池がちっとも立ち上がる気配がないので、彼女の前に俺もしゃがみ込んだ。あんまり上から見下ろしているのも話しにくいだろう。

「普段だったらお母さんに立て替えてもらうんだろうけど、その時は寄りによってお母さんへのプレゼントだったわけじゃない?」

「ああ、うん」

「出来るわけがないじゃない」

「うん、まあ」

「そしたらさ、彗介くんさ」

 なぜかそこで少し切なげに目を細める蓮池を眺めながら、俺は地元の風景を思い出していた。

 俺と同じあの場所で育っていた蓮池と、地元を離れた東京でこうして向かい合っているのは少し不思議な気分だ。地元では、接点なんて何もなかったのに。

「『間違えました』って言ったんだよね」

「間違えた? 俺が? 何を?」

「金額を」

「……」

 言われている意味が、と言うかその時の俺が言っている意味が今の俺には理解が出来なくて困惑する。何? どういうことだ?

 悩む俺に、蓮池が笑った。

「『三千円じゃなくて二千円でした。すみません』って」

「……」

「わたし、『三千円で作って下さい』って頼んだの。間違いなく三千円の花籠のはずなの。なのに彗介くん、自分がわたしに言った金額を間違えたって言ったの」

「えーと」

「わたしが困ってるの、気がついたんだよ」

 俺が?

「二千円しか持ってなくって、言えなくって、親にも借りられなくって。バスケットに『お母さんへ』って言うカードがついてたから、きっとわかってくれたんだと思う」

 人の表情を読んだりするのが苦手な俺に、そんな高等技術が出来るんだろうか。

 己のことながら、いや、己のことだからこそ疑問に思いつつ、俺自身はその記憶が全くないので当時の自分の気持ちを察しようがない。

 果たして、蓮池の言う通りなのだとしたら、俺はその不足した千円分を一体どうしたんだろう。自分で補充したのか、それとも素直に弘美さんにしばかれたのか。残念ながら覚えていない。が、恐らく後者だろうと言う気もする。

「かっこいーでしょ」

「……えーと」

「『まけますよ』とか『二千円でいーですよ』とかって言い方しないところが、ちょっとらしいでしょ」

「……」

 それは、まあ、そうかもしれないが。

「……そーゆー人だって、知ってるもん」

 何と返事をして良いのかわからずに完全に黙りこくってしまった俺に構わず、蓮池はぽつんと呟いた。視線を泳がせていた俺は、その言葉で蓮池に顔を戻した。蓮池は、少し先の地面をぼんやりと見つめている。

「わたし、彗介くんを追いかけて東京に来てもきっと後悔しないって思ったんだもん」

「そんなの、わかんないだろ。わけわかんない奴かもしれないんだから」

 そりゃあ俺は自分のことだからそれほどヤバい奴だとも嫌な奴だとも思うわけじゃないが、逆に言えばその程度で、大した善人でもない。いや、時々すかしてるだの冷たいだのと言われるんだから、見る奴から見れば嫌な奴に属されることもあるだろうし。どうでも良いが。

 そうは思うものの、蓮池は視線を俺に戻して強硬に言い張った。

「そんなことない」

 そして続けざまに訂正した。

「あ、やっぱりそれはわかんないけど」

 おい。

「でも、それでも好きになっちゃうんだろうなって思ったんだ。それでも本当に好きになれるんだって思うんだ。……今も、そう思ってる」

 突っ込みそうになった俺だったが、続けた蓮池のその言葉にどきっとした。

 真っ直ぐ見つめる視線が、何か……何つーか……。

「わたし、彗介くんが好きだもん」

「……」

「……もう、本気だよ」


「きっさらぎくん?」

 蓮池の言葉と視線を思い出して妙にどぎまぎしてしまっていた俺は、突然頭の上から降ってきた瀬名の声で現実に引き戻された。

 はっと顔を上げて、他の女の子のことを思い出していたことに少し後ろめたい気分になる。

「どうしたの? ぼーっとして。考えごと?」

「あ、ああ、うん、いや。上がったんだ。全然気がつかなかった」

 妙にそわそわと手の中のライナーノーツをパラパラと捲って、ローテーブルの上に置く。瀬名は首に引っ掛けたタオルで、濡れた洗い髪をタオルドライしながら「うん」と頷いた。

「機嫌良さそうだね」

「わたし?」

「うん。鼻歌、聞こえてきたし」

 俺の言葉に、瀬名は少しバツが悪そうに「へへ」と笑った。微かに上気した頬と相まって、何だかいやに可愛い。

「聞こえちゃったかー」

「そりゃあ聞こえるよ。エコールームみたいなもんなんだから」

「でもさ、実際あんなに響いてるのを録音したら、処理するの面倒臭くてたまんないだろうね」

 すとんと俺の隣に座り込みながら、すぐに仕事の話になってしまう。本当に瀬名の頭の中は仕事のことでいっぱいなんだろう。

 いーんだ、それで。そんな瀬名を好きになった。

 瀬名の言葉には答えず、瀬名を引き寄せて背中から抱き締める。濡れた髪からまだ伝う雫が、少し冷たい。

 ……蓮池の気持ちも言葉も、嬉しいと思うよ。

 女の子に告られる経験なんかそんなにあるものじゃないし、そうじゃなくたって蓮池は結構可愛かったりするし。イイ奴だと思ってもいるし。

 正直言って、彼女がいなかったら……瀬名のことを好きになっていなかったら、結構真剣に考えたんじゃないかと思う、俺。

 だけど。

「良い匂いがする、瀬名」

「お風呂上りだもんね」

 だけど、今はもう考えられない。気持ちが揺れる余裕がない。蓮池の気持ちは嬉しい、それだけだ。今は、本当に。

「何か良いことあったの?」

「んふふー。うん。あ、そうだ、だからごめんね」

「何が?」

「わたし、今週から来週は、ちょっとあんまり会える時間がないかもしれない」

 余り会えなくても。

 本当に俺のことが好きなのか、わからなくなるとしても。

「……うん。わかった」




 ――如月くんもいつかきっと、わたしから離れちゃうよ。

   こんな仕事してると、男の人は家で帰り待ってくれるような女の子が欲しくなる……。




        ◆ ◇ ◆


「また留守か」

 最近、一番多く呟くセリフがこれのような気がする。

 先日の宣言通り、瀬名は会えないどころか連絡もつかなくなった。

 どうも、瀬名が小林さんを手伝っていた加藤さやかと言う女性シンガーが十日ほどカフェライブをやるらしく、瀬名はその手伝いにかり出されるらしい。

 十日、とは言ってもずっと同じところでやるのではなく、カフェ&ライブスペースのチェーン店を日毎に回るようで、カフェの客に楽しんでもらいながら宣伝をする主旨のようだから「加藤さやかのライブ」と言う感じではない、恐らくはごく小規模なものだ。

 まあ、いずれにしてもそれについて行っているのがわかっているから、二週間ほどは俺からも瀬名に連絡はしなかった。今までの不真面目な態度を改めるべく、バイトにもかなり熱心に入っている。

 だけど、瀬名の言っていた二週間を過ぎて……来るかと思っていた連絡もないままでは、さすがに不安感が募った。

 どうしているんだろう。会えない二週間は、長い。忙しいのだろうか。せめて声が聞きたいと思うのは、俺だけなのだろうか。

 俺だけ、なんだろうな。

 そうでなければ電話の一本くらい、かけるだろうから。

 瀬名と付き合い始めて半年だ。俺は相変わらず瀬名のことを誰よりも大切に思っていて、多分、ここまで誰かにのめり込んだのは初めてだろう。

 俺自身、そう頻繁にいつも一緒にいたいっていうタイプでもないが、それでもこうも会えず連絡もつかない日が続くと言うのはさすがに堪えた。

 いや、すれ違っているだけなのかもしれない。俺だって四六時中家にいるわけじゃない。いないことだってかなり多い。

 電話のすぐ横に置いてある写真を取り上げて、つらつらと眺める。

 まだ、瀬名のことを好きだなんて認識もしていなかった頃、たまたまもらった瀬名の写真だった。

 真剣な顔が凄く綺麗だと思う。そんな瀬名を好きになったんだから、今更会えないとかそういうので不安を感じるのは、違うだろう。PAやって輝いてない瀬名なんて考えにくいんだから。

 仕事なんだから、別に、仕方ないだろ……。

 でも、ずっとこれが続くんだろうか。いつかの千夏の言葉が蘇った。「瀬名さんは彗介より自分を大事にすると思うよ」と言う言葉。そして「彗介は仕事より瀬名さんに合わせ続けていくの?」と言う問いかけ。

 ……勝手なものだな。

 彼女は自分自身の足で立って歩いている人間だから、俺との恋愛に依存するわけでもなく、無駄な嫉妬や勘繰りをするタチでもない。

 俺自身が決してマメとは言えず、詮索されたり自分の領域にずかずかと踏み込まれるのを嫌うので、良い距離感を保ち尊重してくれる瀬名が好きなくせに、こうして会えないことで苦い思いをする。

 瀬名との恋愛に依存しているのは、きっと、俺の方だったんだろう。


 ――――――そんな中、メジャーアルバムの発売を控えたセレストから、レコ発先行ワンマンのインビ(招待)が届いた。


「六月には、動けるかな」

 ポットに水を注ぎ足す俺の真ん前でカウンターの一席を陣取った遠野が、「うーん」と唸りながら言う。

「六月って、厳しいだろ、それ」

「そうかなあ」

「尚香ちゃんの出産予定が五月だろ? 絶対予定通りに行くとは限らないんだし、予定通りにいったって、お前、ろくにスタジオにも入らないで一年ぶりのライブやる気かよ。ほとんどぶっつけじゃないか、それ」

「スリリング」

「スリルなんかいらない」

 遠野に会うのは、こいつの結婚式ぶりだ。連絡も取っていなかったから、今日ふらっと来た時には少し驚いた。

「譲歩して、七月じゃないか?」

「うーん。でもさ、出来るなら早く復活ライブ、やりたいじゃん?」

「出来るならな。でも五月に生まれたとして、お前、すぐに尚香ちゃんだけに生まれたばかりの子供を押しつけるわけにもいかないだろ?」

「うん」

「だったら、六月くらいは余裕を見とけよ」

 渋る遠野を説得し、Blowin'の復活ライブは七月から八月くらいで考えようと言うことで落ち着くと、しばらく遠野の近況報告に耳を傾ける。

 入籍を済ませたことで互いに精神的に安定したようだし、遠野に至っては「頑張らなきゃ」と言うような自覚も出てきたらしい。遠野は俺より人間が出来ているようだ。少なくとも俺が以前考えたような『足枷になるんじゃないか』と言うような考えは、少しもなさそうだった。結婚をしたことが遠野のプラスになれば、俺はそれで文句はない。

 それに……遠野が早くBlowin'を復活させたいと焦っていることもわかったしな。

「あ、そーだ、遠野」

 もうじきバイトの上がり時間と言う頃になって、そう言えば遠野は今日のライブをどうするつもりなのか聞いていなかったことを思い出した。

「お前、今日どうすんの」

 確認はしていないが、どうせ遠野のところにも招待の連絡は来ているだろう。

 そう思って説明を全てすっ飛ばしたまま尋ねると、案の定話は通じた。

「あー。セレスト」

「そう」

「彗介、行くの?」

「俺は行くよ。この後、どうせバイトもないし」

「ふうん。そっか。俺さあ、出来れば行きたいのはやまやまなんだけど、バイトなんだよなあ」

「ああ、そうなんだ」

 カウンターに頬杖をついて、残念そうにため息をつく。

「残念だけど、よろしく伝えといてよ」

 そう言って遠野がコーヒーカップを空にすると、駅まで一緒に向かう。遠野は最近になってバイク便のバイトを始めたらしい。元々単車やら車やら乗り物が好きなタチだから、苦なく働いているようだ。






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