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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
31/40

第8話(3)

「そんなことないよ。ごめん、本当、気の利かない奴で」

「気にしないで気にしないで。しょうがないよ」

「代わりに23日……って、仕事、だよな」

「うん……」

 どことなく気まずいような、微妙な沈黙が流れる。

 それから瀬名が、気を取り直したように、笑みを作った。

「でも終わってからとかでも、全然良いし。わたし、見に行っても……」

 大阪まで来てくれとは言えない。

「大阪なんだ」

「大阪!?」

「うん……」

 さすがに瀬名が押し黙った。それからしみじみと寂しそうな表情を見せる。

 バンドをやっている俺の気持ちを痛いほど理解してくれている彼女がこんな表情を見せると言うことは、逆に言えばどれほどクリスマスと言うイベントを大切に思っていたかを示しているように感じられて、俺はひしひしと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「どうしても滑りたくないイベントって話で……世話になってるってのも、あるし……だからつい……」

「うん。そうだよね。うん。わかる」

 にこっと瀬名が微笑んだ。

 繰り返し頷く姿が、却って痛々しく感じた。

 仕事上、瀬名は俺の気持ちを良くわかってくれていることは俺も知っている。だからこそ寂しさを押し殺そうとしてくれる、その、感情を飲み込んだ笑顔が、痛い。

「年越しも俺、仙台なんだ」

「……そう。まあ、年越しはわたしもさすがに、休めなかったから……」

「そっか」

 再び、沈黙が訪れた。瀬名が俺を見つめる。俺はもう1度頭を下げた。

「本当にごめん」

 やっぱり、断るべきだろうか。

 でも……Blowin’が活動出来ていない今、仮とは言えPRICELESS AMUSEが、俺の音楽の足場だ。信頼関係を壊すような真似は、そうそう出来ない。

「ううん。仕方ないよ」

「あ、でも……」

 笑顔を作って気遣ってくれる瀬名に、慌てて顔を上げる。

「でも、出発するの夜だから。昼間は俺、バイトあるけど、夕方は全然……」

「あ、本当に?」

「うん」

 立て続けに急に休むから、逆にぎりぎりまでバイトに入っているせいで、24日もいつも通り16時半までは『EXIT』のバイトがある。

 だけど、大阪に出発するのは22時頃と聞いているし、17時頃から21時過ぎまでは……本当に少しだけだけど一緒にいられるし。

「良かった。それで十分だよ。それだけで、休んだ甲斐がある」

 そう言って首を傾げた瀬名は、本当に嬉しそうに見えた。

「さんきゅ……」

「ううん。如月くんも、頑張んなきゃだもんね」

 そう言って俺を見つめる瀬名の視線が、本当に俺を応援してくれているのがわかって胸に迫った。

「だから、別に大丈夫。言うのが遅かったわたしも悪いんだし。それに、大事だと思うよ。他の場所でやるって言うのも」

「うん。……ありがとう」

 本当に。

「じゃあ、短い時間になっちゃうけど……2人でクリスマス、しような」

 本当に、俺の隣で笑ってくれるのが、瀬名で良かった。

 ようやく俺が微笑んで言うと、瀬名がくすぐったそうに少し首を竦めた。

「うん。楽しみにしてるね」


          ◆ ◇ ◆


 ……買ってしまった。

 『右ハゲ』にぶっ壊された俺のギター、そして、ずっと欲しいと思って指を咥えていた27万のビンテージギター。

 修理と購入で揺れに揺れ、激震していた俺の心は、ついに購入に傾いてしまった。

 いや、こんなチャンス、滅多にないだろ? 27万が23万だぞ? 4万の差は、でかい。

 新宿にあるイシハラ楽器と言う小さな店で、店員と気が合ったものだから良く行くのだが、残念なことに閉店すると言うことで顔を出してそのまま買ってしまった。

 かつて俺の食費を食い潰していたマーシャルを買ったのも、ちなみにここだ。

 もちろんリアルに現ナマを叩きつけられるわけもなく、再びローンを抱え込むことになった俺は、必死で働くより他ない。

 ただでさえPRICELESS AMUSEに時間を捧げているわけだし、年末は死ぬほどの忙しさだった。師も走るとは、全く良く言ったものだ。

 そして迎えたクリスマス・イブ――24日のその日は、俺も、走っていた。

 瀬名へのクリスマス・プレゼントを愛するギターと一緒に突っ込んだギターケースを肩にかけ、それはもう、雪の降る青山を全力疾走で。

(何でこんなことにッ……)

 水分の多い東京の雪は、地面に到着すると同時に溶けていく。道路一面が水浸しで、駆ける俺の足元に泥水が跳ね上がる。

 だけど、そんなことに構ってはいられなかった。

 既に、瀬名との待ち合わせから、1時間以上が経過している。

(怒ってるかな)

 怒ってるよな、普通。

 俺の都合でほんの僅かな時間しか会えないクリスマス、なのに更に1時間以上音沙汰がないと来れば、怒らないわけがない。

 滑らないよう足元に気をつけつつも全力で走る俺の全身は、雪でびしょびしょだった。ギターケースを持って、傘を差して全力疾走なんて器用な真似は俺には出来ない。

「いらっしゃいませー」

 ようやく待ち合わせの店に辿り着き、息を切らせながら中に入る。びしょびしょの俺に、エプロン姿の店員が僅かにぎょっとした顔をした。構わずに濡れた髪をかき上げて、店内を見回す。

 クリスマス・イブと言う日柄もあってか、店内は混み合っていた。ざわざわと人のざわめきに満ちた店内を占めているのは、お洒落をしたカップルばかりに見える。

「お、おひとり様ですか?」

「や、待ち合わせです」

 店員に断わりながら、不安が胸を過ぎった。

 いなかったら、どうしよう。

 いなくたって、おかしくない。

(いない……?)

 ぱっと見回した限り、瀬名らしき人物を発見することが出来なかった。

 心臓を鷲掴みにされたような気分になりながら、もう一度前髪をかき上げて雫を拭いながら、店内に足を進める。

 大きく取ってある店内の窓からは、暗い外を舞い踊る12月の妖精が見える。降り始めた頃は大したことなかったのに、今では激しいものになっていた。

(いた……)

 店の奥、窓のすぐそばで頬杖をつくように外を眺めている瀬名の姿を見つけ、俺の胸の不安が溶けた。

 怒ってはいるだろうけど……でも、とにかくいてくれて、良かった。

「ごめん」

 人を避けて足早にテーブルに近付く。俺に気づいていなかったらしい瀬名は、かけた声に弾かれるように顔を上げた。

 アップにした髪を、何かふわふわしたので留めて、白いモヘアセーターとチェックのスカートを可愛らしく身につけている瀬名の姿は、今日を楽しみにしてくれていたんだろうと感じさせた。

 見慣れない、薄い化粧。

「如月くん……」

「本当に、ごめんなさい」

 前髪から伝った雫が、ぽたりとテーブルの上に水滴を落とした。

「良かった……」

 目を見開いて俺を見上げた瀬名が、そのまま呆然としたように呟く。

「え?」

「何か……あったんじゃないかと思った……」

 不安げな名残を表情に浮かべたまま、瀬名の片手が俺の腕を掴んだ。例外なくびしょびしょのジャケットに、驚いたような顔をする。

「どうしたの、これ……」

「あ、いや……突っ走って来たから、傘を買うだの差すだのって余裕がなく。……本当に、ごめんな」

 瀬名の頭を軽く撫で、それから俺はようやく、空いている座席に腰を下ろした。俺が座るのを待っていた店員にアイスコーヒーをオーダーし、ギターケースを壁際に立てかけた。

 瀬名が、ようやく白い歯を覗かせる。

「雪の日でも、アイスコーヒーなんだ」

「猫舌なんだよ。知ってるだろ。熱いの頼んだって、冷めるまで飲めない。……怒ってないの?」

 悪いと思いつつ、おしぼりで髪や顔、ジャケットの雪解けを軽く払いながら尋ねると、瀬名は目を伏せて顔を横に振った。

「怒ってないよ。……心配、した」

 その言葉に、胸の奥が暖かくなる。

「如月くん、時間には凄く几帳面だもん。それは、付き合う前から知ってるもん。……約束破る人じゃない。何かあったんだと思った」

 日頃の積み重ねが物を言うらしい。

「そっか。心配かけて、ごめんな」

「ううん。どうしたの?」

「ちょっと、トラブル……あ」

 言いかけて、思い出す。

 ちょうど店員が運んできたアイスコーヒーをそっちのけに、俺は立てかけたギターケースに手を伸ばした。

 目を瞬いて瀬名が見守る中、俺は情けなさでいっぱいになりながらもギターケースを開けた。瀬名が覗き込む。

「……」

「……あーららー……」

 昨日悩みに悩んで胃痛を飲み込むような思いで購入したばかりのギターのボディーに、見事なまでの、亀裂。

「どうしたの? ……このギター、初めて見るね」

「昨日買ったばっか……」

「買ったばっかなのに、どうしたの? 転んだの?」

 ああ、泣きたい。

 俺はギター運のないギタリストなんだろうか。

 動物だったら、今の俺はきっと耳も尻尾も垂れ下がっている状態だろう。

「いや……事故に、巻き込まれて」

 深々とため息をつきながら、ギターケースを閉じる。

 改めて瀬名に向かい合ってアイスコーヒーに手を伸ばしながら、俺は大遅刻の理由を瀬名に述べた。

「事故!?」

「うん。……ああ、いや、そんな大袈裟なもんじゃないんだけどさ。ここに向かってたら、歩道橋から子供が転落してきたんだ」

「転落?」

「そう。多分、雪で足を滑らせたんじゃないかな。そんでぶつかって……」

「それでギターにヒビ入っちゃったの?」

「うん。……すっげえ欲しくて、迷いまくって、ようやく昨日買ったばっかり」

「あ〜ぁ……」

 言いながら、思わずテーブルで頭を抱えた。こんなことなら、持ってた奴を修理に出すべきだった。

「大阪に行くのは、夜でしょ? どうしてギター、持ってるの?」

「や、PRICELESS AMUSEが大阪のライブで新しくCD発売する予定でさ」

 もちろん、自分たちのお手製だ。

「だけど、Rのコピー作業やら袋詰めやらが全然間に合わなくって、昨夜からスタジオに籠もりっ放しだったんだ。で、その足で『EXIT』行って」

「じゃあ、スタジオ帰り? 寝てないの?」

「寝てない」

 のそのそと体を起こす俺に、瀬名が向かいから手を伸ばす。まだ湿っぽいだろう俺の頭を、軽く撫でた。

「大丈夫?」

「平気。大阪に行く車ん中で寝る。……それはともかく、まあそういうわけで、歩道橋から落っこちてきた子供がさ……ちょっと、怪我、しちゃって」

 アイスコーヒーにミルクを注ぎ、ストローをくるくると回すと、季節にそぐわない寒い音が響いた。

「大丈夫だったの?」

「みたいだよ。だけど、歩けないって言うから放っておけなくて、病院まで連れてってやって……それで、こんな時間になった」

 それから改めて、頭を下げる。

「本当に、待たせて、心配かけて、ごめん」

「ううん、もう謝らないで」

 ほとんど中身のなくなりかけた自分のカップに両手を添えて、瀬名が笑ってみせる。

「心配はしたけど、それは如月くんがこうして来てくれた時点で解決されてるんだから、もういいの。それに、怪我してるコを放ってっちゃう如月くんだったら、わたしもがっかりじゃない?」

「……そう?」

「うん。わたしだってきっと、放っておけなくなると思うもん。……それより、如月くんに怪我はないの?」

「俺は平気。全然。まあ全身ちょっとどろどろになったかなくらいで……汚いな、俺。クリスマスデートじゃないよな、これ……」

 瀬名が、笑う。

「せっかく瀬名、お洒落にしてるのに。……あの、か、可愛い、と、思う……」

 く……恥ずかしすぎる。

 けれど、せめて褒めてあげたいじゃないか。

 思い切り俯いて、ぼそぼそと、しかもしどろもどろになる俺に、また瀬名が笑った。顔を上げると、笑う瀬名もどこか照れ臭そうだ。

「本当?」

「うん。似合ってる。ぼろぼろの俺じゃあ、申し訳ない」

 いや、これは本当に本音で。

 あちこちに泥を跳ね上げている自分を見下ろしてため息をつきながら煙草を取り出すと、咥えながら時計を見た。

 俺のせいで、時間は既に6時も半分過ぎようとしている。

「どうする? メシ行く?」

「お店とか、今日は予約してないと入れないかなあ」

 本当ごめん。俺には、レストランのコースを予約したりシティホテルを押さえておくような甲斐性はない。

「そんなにこだわらなきゃ、入れる店もあるんじゃないか。……それとも瀬名が作ってくれる?」

 灰を灰皿に落としながら冗談半分に言うと、瀬名がもごもごと何か言った。

「え? 何?」

「……それでも……良いけど」

 え。

「本当に?」

「……どういう問い返し?」

「……単純に喜んでるんだけど、そう見えなかった?」

 どう見えたんだろう。

 それから、改めて、問い返す。

 ちょっとした期待で、胸の内が、どきどきする。

「本当?」

「ん?」

「本当に、作ってくれるの?」

 微かに唇を尖らせて、それから瀬名は、唸りながら頷いた。

「……良いよ」

「まじで? やった。凄い嬉しい」

 『彼女にごはんを作ってもらう』――そんなありがたい事態に陥ったことのない男にとって、これは悲願に近い。

 素直に喜ぶ俺に、瀬名がおずおずと言った。

「そんな、大したもの作れないよ?」

「良いよ別に。やったー。俺、彼女にごはん作ってもらうの、初めて」

「え、ホントに!?」

「……それこそどういう問い返し?」

「……素朴な疑問」

 『彼女』に作ってもらうのが初めてだと言う言葉には、嘘はない。

「行こうよ」

「え、もう?」

「うん」

 この店には、既に用済みだ。

 うきうきする俺に、瀬名は少し呆れたような照れ臭そうな視線を向けたが、口に出しては何も言わずに立ち上がった。

 店を出ると、雪は、収まり始めていた。

「せっかく瀬名がお洒落してるから、表参道のイルミネーションでも見て行こうか」

「うんッ」

 青山通り沿いに立ち並ぶ店が、柔らかく温かいオレンジ色の光を放つ。

 寄り添い、幸せそうに歩くカップルたち。

「混んでるかな?」

「どうだろう」

 歩きながら、瀬名の手を取る。

 瀬名が、俺の腕にぎゅっとしがみ付くようにして、幸せそうに笑った。

 それを見下ろして笑う俺の白い息が、夜空へと消えて行く。瀬名の口からも、白い息が舞い上がる。

「寒くない?」

「平気……」

 俺を見上げる視線。応えて微笑みを返す。

 溢れるカップルたちの中、だけど、この中の誰よりも幸せな気がする。

「如月くん」

「え?」

 行き交う人の群れ。

 逸れないよう、握る指に力を込めると、瀬名も俺の手をぎゅっと握り締めた。

「幸せだよ、わたし」

「うん……俺も」

 

 ――ずっと、こうして。

 続くと、思っていたんだ。











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