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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
29/40

第8話(1)

 ――Blowin'、前にさ、サイクロンに応募、してたでしょ?

 ――あれさあ

 ――セレスト、通過したらしいよ


        ◆ ◇ ◆


「味噌ラーメン」

「ハンバーガー」

「タンメン」

「うーん、生姜焼き定食」

「チャーシューメン」

「カレー」

「もやしそば」

「……」

 遠野の結婚パーティを終えて、10日が経った。

 11月に入って、空気は既に冬の装いを始めている。

 遠野と尚香ちゃんは、あの日を境に遠野の部屋で一緒に暮らし始めたようだ。俺の部屋と大差ない狭っ苦しい部屋だから2人で住むのは大変だろうと思うが、それについては追い追い考えるだろう。

「瀬名、ラーメンが食いたいの?」

 冬晴れ、と言うのは少し気が早いだろうか。

 やや白みがかった澄んだ空は、どこかセンチメンタルな匂いを孕ませている。

「そーゆーわけじゃないんだけどー」

 人混みの中、駅へ向かって新宿を歩く。手を繋いだ瀬名が、俺を見上げて少し、唇を突き出した。

「さっきからラーメンの種類ばっかり言ってる」

「だってわたし、いっつもラーメンばっかり食べてるから、違うメニューが浮かばない」

 昨夜は、深夜のバイトがあった。だけど、朝家に帰ったら瀬名が俺の部屋で待っててくれて、今日は2人ともオフだ。――初めて、2人とも、1日。

 瀬名の希望で、今日は珍しく動物園なんて行くことになっている。俺は東京に来てから動物園なんて来たことがないので、初めてだ。

 何より、1日瀬名と一緒に過ごすことが出来て、瀬名と遊びに出かけられることが嬉しい。

「ま、無理に決めなくてもいっか……。向こうついたら何か適当に食うところ……」

 言いながら、向かいから我が物顔で道を広がって歩く女子大生っぽい集団を避ける為に、瀬名を軽く引っ張る。素直に引き寄せられながら彼女たちに視線を定めたままの瀬名に、俺は小さく首を傾げた。

「……? 知り合いでもいた?」

「あ、ううん。そうじゃなくて」

 言いにくそうに、口ごもる。今し方までの楽しそうな顔つきが、急にしゅんとしょげたものになり、俺はもう一度そっと首を傾げた。

「……ごめんね。いっつも」

「は?」

「如月くんだって、ちゃんと可愛いカッコしたコと歩きたいよね……」

 俺に言う、と言うよりは呟くように言ってため息をつく。その目線が通り過ぎて行く彼女たちに向けられたままで、俺はそんな瀬名の横顔を見下ろした。

 いつだか、付き合う前に車のイベントを覗きに行った時のことを思い出した。

 あの時も瀬名は、自分の服装をひどく気にしていたっけ。

「何しょーもないこと、言ってんの」

 どう言えば瀬名が本当に気にしないでくれるのかが良くわからなくて、つい、そっけない口調になった。

「ま……女の子っぽい格好をしてる瀬名も、確かに良かったけどさ」

 そう笑うと、瀬名は眉根を寄せて困ったような表情を見せた。そんな表情も可愛く思えて、もっと困らせてみたい気もしないでもなかったが、困らせて喜んでいるわけにもいかない。

「でも、仕事帰りなんだから仕方がない。どんな仕事か知ってるし、それに……」

 浮かんだ言葉を口にするのは、少し、照れ臭かった。

「いつも見慣れてる瀬名の姿だから、その方が瀬名らしくて、安心する」

「そう……?」

「そう。別に俺は、可愛い格好をした誰かと一緒にいたいわけじゃない」

「……」

「瀬名と一緒にいたいだけなんだから。……あんまり、恥ずかしいこと、言わせるなよな……」

 恥ずかしくなって段々尻すぼみになる俺に、瀬名は一瞬きょとんとしたような表情を見せてから、くすっと笑った。

「歯が浮いちゃう?」

「歯が浮く。この年にして総入れ歯は可哀想だろ」

 言わなくても理解して欲しい――それが本音ではあるけれど、ただでさえ伝えられていない自覚はあるから、せめて気がついた時にだけでも。

「自信、持ってて」

 コミュニケーション不足で瀬名が離れていくなんてことだけは、ないように。

「瀬名しか、見てない」


「如月くんッ。あそこ、パンダッ?」

 はしゃぐ瀬名が、俺の少し前を行く。

「あの猿、親子かなあ」

「そうなんじゃない」

「あ、兄弟喧嘩」

「あれ、兄弟なの?」

「知らない」

 駆け出しては振り返り、足を止めて手を伸ばす。

「虎ー? どこにいるー?」

「あれじゃないか。あの木の下の……」

「えー?」

 写真を撮るのは苦手だし、照れ臭い。だからカメラでこの穏やかな時間を残すことはしないけれど。

「ペンギン、足、短ッ」

「でも何かで、『実は足が長い』って聞いた気がする」

「えええー? どこがあ?」

「骨格がどうとかって」

「骨格ったって……」

 代わりに、心に刻みつけたい。

 いつでも取り出せるように。いつまでも消えないように。

 そんなことは、一層照れ臭くて口に出せるはずもないけれど。

「俺、ここに来たの、初めて」

 一通り巡り終えて動物園を出ると、そこはすぐに大きな池がある。冷たい風が前髪を巻き上げるのを視界の隅で見ながらそう言うと、瀬名が俺を見上げて笑った。

「そうなんだ」

「うん。瀬名は来たことあるんだ? ……あ、わかった。前の彼氏とのデートだ」

「そういうわけじゃないけど」

 微かな嫉妬の色を滲ませてわざとぼやくと、瀬名が苦笑した。繋いだ手の、瀬名の温もりが温かい。

「如月くんって、ヤキモチとか妬かなさそうだけどなー」

「……そう?」

「そんなことない?」

 どうだろう。

「そんなこと、ないと思う」

 あんまり目に見えていないだけで。

 そりゃあ過去に関しては、あれこれ言ったって仕方ないとは思うんだが。俺だって人のこと言えないし。

 けれど、目の前の出来事だったりすると、場合によってはそりゃあ嫉妬のひとつもするだろう。実際俺は、『GIO』で瀬名にちょっかいをかけている奴に苛立ったりしたわけだし。

「けどほら、如月くんだってバンドやってるんだから、ライブハウスとか良く知ってるでしょ?」

「そりゃあまあ……」

 ゆっくりと歩いていると、公園の中には、幅広い道の隅に時々キャンバスに向き合って座っている人がいた。

 似顔絵を描いている人もいれば、趣味で風景を描いている人の姿もある。俺には全く絵心と言うのがないので、目の前のものを描写出来る能力ってのは凄いなと思う。

「だったら尚更、文句のひとつでも出そうな仕事なのにね」

「……それ言ってたら、キリないし」

 嫌に決まっている。喜べるわけがない。

 だけど、その仕事環境が嫌だと言うことは、瀬名を制限することに他ならない。

 まさかそんなことは出来ないし、言えないし、『頑張っている瀬名が好きだ』と思う自分とも相反する感情でもあるし、とすれば後はもう……考えないようにする以外にない。

「ま、ね」

 それから瀬名はひとつ、ため息をついた。

「瀬名は、ある? 嫌だと思うようなこと」

 息が白くなるほどではないけれど、どこかひんやりした空気に空を仰ぎながら尋ねてみると、瀬名が隣で小さく首を傾げる気配が伝わってきた。

「それこそ、言ってたらキリないでしょ。今はまあ、Blowin’は活動停止してるけど。再開したらファンをつけてナンボって話なんだし……。ファンってつまり、如月くんたちのこと大好きになってくれる人ってことだから。……キリ、ない」

「……」

「みんなが大好きになるような音楽作ってて、みんなが大好きになるような魅力があって、で、大きくなるわけだから。そういう人、自分も好きになっちゃったんだったら、応援するしかないじゃない?」

「魅力ねえ……」

 そうなれりゃ、良いんだけどね。

「ま、わたしが嫉妬でぐらぐらするくらい大きくなってね」

「妬かせられるもんなら妬かせてみろ? そういうプレッシャーの掛け方?」

「励ましになるでしょ」

 俺の手を離れ、瀬名が数歩、先を行く。

 池に臨むように足を止めて伸びをする背中で、柔らかい髪が優しく揺れた。

「瀬名」

 俺の声に、瀬名が振り返る。

「いつか、一緒に住もうよ」

 プロポーズなんてつもりがあるわけじゃない。

 ただ、そばにいられる時間を少しでも長く。

 心に残す瀬名を、少しでも多く。

「うん」

 瀬名が隣にいる風景が、いつまでも……色褪せることが、ないように。


        ◆ ◇ ◆


 バイトと他人のライブに追われて、時間が過ぎていく。

 遠野とはこのところめっきり連絡を取っておらず、俺はほとんどPRICELESS AMUSEの専属サポートのようにコンスタントに手を貸していた。そして、空いた時間の全てを瀬名と過ごすことで費やしていく。

 焦らない、わけじゃない。

 焦らない、わけがない。

 Blowin'が活動休止をして、5ヶ月。

 今年の最後の月が来た。

「地方遠征ぃ?」

 このところ、『木村と揉めないギタリスト』が献身的に手を貸しているせいで、PRICELESS AMUSEの活動は活発だ。

 スタジオで小休憩に入り、木村が漏らした今後のスケジュールに、俺はくわえた煙草を取り落としそうになった。

「そう。如月のおかげで、だいぶ足場も固まって来たしさー。地方も、いろいろ首突っ込んでおきたいじゃん?」

 別にPRICELESS AMUSEの活動方針に口を突っ込める立場じゃないんで、それは別に構わないのだが。

「……俺も行くのか?」

「あんたが来なきゃ、ウチのギターパート、どーすんの」

 どーすんのって。

「そんなしょっちゅうしょっちゅうは、つき合えないぞ」

「いやん、ケチん」

「俺だってバイトがあるんだよ。食っていけなくなったらどーすんだよ」

「知らない」

 あっさり言って、木村がけたけたと笑った。しゃがみ込んだその足を、軽く足先でどついていると、ドラムの今井が俺を拝んだ。

「つき合えるとこだけで、いーからさ」

「あー……うんー……まあ……」

 今から、バイトのスケジュールって組み直せるだろうか。

 『EXIT』は融通が利くから良いとして、夜の『ELLE』の方だよな。

 頭の中に12月のスケジュールを呼び出しながら、俺は灰皿に煙草を放り込んだ。

「どんくらい?」

「13日」

「え? 12月13日だけ?」

「じゃなくて。13日。日数」

「……」

 馬鹿言えッ。

「却下」

 あっさり拒否すると、木村がすっくと立ち上がって、背後霊のように背中にかじりついてきた。

「きーさーらーぎぃー」

「無理だってば」

「たーのしーいぞーお?」

「来られるとこだけで、いーよ」

 成り行きを黙って見ていた、ヴォーカルの天野光一が、見かねたように口を挟む。

「連続じゃないから。東京には戻って来るし、都合つくとこだけ。……あ、でも、何日か希望は出したいんだけど」

 天野の方が木村なんかより、余程会話が成り立つ。

 背中に張り付いた木村を振り落とし、俺は天野に向き直った。

「いーけど……何? その、希望って」

「呼ばれたイベントとかさ、絶対しくりたくないってゆーか、ちょっとかっこつけときたいトコは、如月に手を貸して欲しい」

 そう言われれば、悪い気はしない。

 何となく微妙に照れて、俺は頬を軽く掻きながら頷いた。

「ん……まあ。そういうことなら……。何日くらいある」

「出演日は最低5日」

「ああ……そんなもんか。それならバイトも調整つけられるな。おっけ。いつ」

 ほっとしながら、ギターケースのポケットを漁る。

 手帳なんて上等なものをつける習慣はないので、書きかけのまま突っ込んであるコード譜とボールペンを取り出した。

「えーと、日にち、言うぞ」

「うん」

「10日、14日、25日、26日、31日。で、25日は大阪なんだけど、リハの時間が早いから、24日の夜にはこっちを出て27日に帰って来る感じ。で、出来ればこれは、絶対手伝って欲しいところ」

「10日と……14日と……って、はぁ?」

 そこまでメモって、思わず停止した。顔を上げる。

「俺のプライベートを奪い去る気かよ……」

 思いっきりクリスマスに年越しと被ってるじゃないか。

 心の底から嫌な顔をしてみせてやると、木村がにやっと笑った。

「何だよ。予定でもあるようなこと言って」

「馬鹿にすんなよな。俺にだって都合……」

 言いかけて、気がついた。

「いーじゃん。どうせクリスマスだの年末だのは、いっつもライブハウスで過ごしてんだろ」

 そうだよな……。

 どうせ瀬名だって、仕事だ。

 イベント予約が入ってエンジニアがいないわけに、いかない。

 クリスマスも瀬名は仕事なら、31日だって多分同様だ。クリスマスイベントや年越しイベントをやらないライブハウスは、まずない。イベントデーともなれば朝までコースだろうし、いずれにしても瀬名には会えないだろう。どうせひとりで暇しているかバイトしてるんだったら、出演してる方が余程、俺の為だ。

 何せ俺が今弾ける場所は、PRICELESS AMUSEしか、ないんだから。

「……いーよ」

 だったら、まあ、仕方がないか。

 小さく吐息混じりに意見を翻して、譜面に24日から27日そして31日を書き足す。

 急に大人しくなった俺に、木村が目を丸くした。

「何だよ、いーの?」

「いーよ。……いて欲しいんだろ」

 別に俺自身は、それほどクリスマスだの何だのに固執しているわけじゃない。単に女の子はそういうことにこだわるだろうと言う先入観が顔を出しただけで、良く考えれば瀬名がこだわるとも、そもそも休めるとも思えないのだから、気にする必要はないはずだ。

「で? 後は?」

「他の日も付き合ってくれんの?」

「わかんねーよ。バイトの調整つけられればの話だからな」

「んじゃあ今の5日間はとりあえず如月げーっと」

「まじ助かるよ。特にクリスマスのイベントは大阪で結構良いハコ呼んでもらってるからさ。絶対如月押さえなきゃって感じだったんだよ」

「押さえるなよ、人間を」

 苦笑しながら、天野が続けて口にした日付を、更に紙に書き込んでいった。

「じゃあご褒美に、良い情報を教えてあげよう」

「え? 何?」

「お前が欲しがってた27万のギター、閉店セールで23万まで落ちるよ」

「まじ!?」

 ……気がついていなかったんだ。

 女の子にとって『クリスマス』と言うイベントが、どれほど大切なものなのか。






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