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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
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第7話(3)

          ◆ ◇ ◆


 ドラムセットが、店の中に運ばれていく。

 それを眺めながら、俺はスーツの肩に背負ったギターケースを下ろして、カウンターに立てかけた。

 ややして北条が到着する。珍しくワンピースなんか着ちゃって女っぽいが、しかしその肩にはベースがしっかり担がれていた。その姿を見て思わず吹き出す。

「それで電車に乗ってきたのか?」

「飛んでくるわけにいかないじゃないよッ」

 そりゃあごもっとも。

 北条は、いつもは下ろしっ放しの髪をきちんと結い上げていた。元々が美人だから、きちんと正装すると稀に見る美女に変身している。馬子にも衣装とは、こういうことを言うのだろうか。

「おはよー」

 中に入ってきて他の人に挨拶をする北条と入れ違いに、俺は『EXIT』の出口へ向かった。

 外の空気を吸いながら、ビルの合間に見える空を見上げて目を細める。

 10月吉日――天気は、快晴。

 まだ昼前の澄んだ空は目に染みるような綺麗なスカイブルーで、どこか冷たくなり始めた空気がセンチメンタルな気分にさせる。

 打ち合わせに打ち合わせを重ね、時に遠野も交えて何とか企画を整え、無事今日を迎えることが出来た。……遠野が、家庭を持つ、その日を。

(変な感じだよなー……)

 別に俺は遠野の親じゃないんだが、「大人になるもんなんだな」などと言うわけのわからない感想が胸の内に浮かんだりする。

 中1の時からあいつを知っている俺にしてみると、何とも言えない複雑な気分でもある。

 多分それは、あいつと同い年である自分をまたかんがみていると言うことでもあるのだろう。

 遠野がそういう境遇に追い込まれるまで、考えたことさえなかった『結婚』と言う二文字。

 どうして考えなかったのかと言えば、要は俺がガキだと言うことに他ならないんだろうし、『結婚』と言うのは親や自分の育った家庭を連想させて遠い出来事……『大人になったらするもの』と言うような漠然としたものと言う認識だったんだろう。

 けれどそれが身近なものとして現実に降りかかって来て、自分と同類だと思っていた隣の奴が、ボーダーをひとつ先に越えてしまったような気がする。

 知らない間にあのクソガキが大人になっているものだと思い、果たして自分がそこまで大人になれているか疑問に思う。

(俺はこの先、どうするんだろうな……)

 動かせない決断。

 それをする度胸は、重たいものを背負う覚悟は、俺はいつになったら出来るんだろうか。出来る日が、来るんだろうか。

「如月くんッ。遅くなっちゃったッ!?」

 ぼーっと空を仰いでいる俺の耳に、瀬名の華やかな声が飛び込んでくる。

 顔をそちらに向けると、これまた見慣れない正装の瀬名がこちらに駆け寄ってくるところだった。

「へーき。まだ全然揃ってない。……はよ」

 だけど、最近、思わないわけじゃない。

 瀬名のそばにだったら、ずっといたい。

 彼女の隣を、一生歩くことが出来るのなら――それが、結婚すると言うことなのなら、俺はそれを選択するかもしれない。

 今は、まだとても無理だけれど。

 実行に移すだけの力も、彼女を幸せにしてやれる自信もないけれど。

 けれどいつか……それが、一生彼女の横にいられると言う約束になるのなら。

「おっとぉ。如月くんがスーツ着てるなんて。持ってたんだね」

「そりゃ持ってるよ……。昔、会社員やってたって言わなかったっけ」

 可愛い憎まれ口を叩く瀬名の頭を、軽く小突く。

 淡い水色のドレスに、長い髪を高い位置に綺麗にまとめて化粧をした瀬名は、先日ライブハウスで見た時よりも一層女の子っぽさがあって、どきどきした。妙に、照れる。

「あ、そうだ。今度の金曜日、休みだって言ってたじゃん?」

 まとめた髪のしっぽがふわふわと揺れるのを眺めながら、昼のバイトに休みを取ったことを言いそびれていたのを思い出した。店の中へ足を向けかけていた瀬名が、俺の言葉に振り返る。

「うん? ああ。いいの、ごめんね、気にしないで」

「や、その日……」

「仕事、入れちゃった」

「え?」

 言いかけた言葉を飲み込んで、瀬名の顔を見返す。瀬名は何も気づいていないように目を瞬きながら、俺を見上げて笑った。

「仕事?」

「うん。如月くんバイトだって言ってたし。ひとりで暇しててもしょうがないから、小林さんに『手伝うことありますかー?』って。そしたらね、そう、凄いの。聞いて!!」

 肩透かしをくらった俺の表情には気がつかずに、瀬名は思い出したように元気一杯に顔を跳ね上げた。勢い何も言えないまま、瀬名の言葉を待つ。

「加藤さやか、知ってる?」

「誰だっけ」

「最近ね、デビューしたばっかりのシンガーなんだけど。若いんだけど、歌がホントすっごい上手くて」

「へえ……」

「そのモニターエンジニアを小林さんがやってるって言うから。手伝わせてもらうことになったの!!」

「……」

 その嬉しそうな顔を見れば、休みを入れたなどと言えるわけもなかった。

 曖昧に笑みを浮かべて、問い返す。

「へえ? それが、今度の金曜日?」

「うんッ。まあ、大したことはさせてもらえないけど、機材の搬入搬出のお手伝いだって興奮しちゃうよ〜。すっごい、楽しみッ」

 本当に楽しみにしているようなその様子に、ふと、馬鹿な考えが過ぎった。

 金曜日にもしも俺と会う約束をしていたとしたら……これほど嬉しそうな表情を見せてくれただろうか。

 これほど、楽しみにしてくれただろうか。

(馬鹿だな……)

 何、無駄なことを考えてるんだよ……。

「……そっか」

 過ぎった考えを片隅に追いやって、笑顔を作る。

 瀬名が、仕事が大好きなことくらい最初から知っている。

 それとこれとは別問題だ。

 俺のことをちゃんと好きでいてくれていると、わかっているつもりだ。

「やったじゃん。頑張れよ」

「うんッ。……お〜。やってるね〜」

 何も気づかれないように笑顔のままでポンと瀬名の肩を促して、ようやく店に入る。先ほど運ばれていったドラムセットは、俺がぼーっと手伝いもしないでいる間に無事セッティングがされていた。

 ドラムセットに座っているのは、高村俊哉と言う男性だ。キックを鳴らす、ドン、ドン、と言う低音がこちらに向かって飛んでくる。

 高村は、Blowin'が結成される前に遠野が一緒にバンドを組んでいたドラマーで、今でも仲が良いらしい。

 我らがBlowin'のドラマーである藤谷は何をしているのかと言えば、司会と言う大役を押し付けられてカウンターで進行用紙と睨めっこをしている。

「んじゃあいっちょ、セッティングを手伝いましょうか」

 瀬名は、衣装に似合わない大きな荷物を手近な椅子の上に置くと、中を漁って仕事仕様の皮手袋を取り出した。ひらひらドレスを身につけて、意気揚々と黒い皮手袋を嵌める姿は、ミスマッチ過ぎておかしい。先ほどの不安定な感情を飲み込んだまま笑う俺を、瀬名が唇を尖らせて見上げた。

「何ー」

「いや……宜しくお願いします」

「任せて」

 はりきってドラムがセットされている方へ小走りに向かう背中を眺め、ふと時計に視線を移した。

 パーティの開始まで、あと3時間。

 いろいろとスタンバイがあるので早めに集まっているのはもちろんのことだが、遠野や尚香ちゃんにも時間を少しずらして伝えてある。

 主役が登場するまでには、まだあと1時間ほど余裕があるだろう。

 なぜかと言えば、ここにこうして楽器を運び込んでいるのは、遠野たちにさえ内緒にしてあるサプライズだからだ。

 せっかくバンド小僧ばかりが集まると言うのに、演奏をしないテはない。

 とは言えBlowin'から遠野はもちろん藤谷も抜けるので、その穴埋めとしてドラムに高村、そしてヴォーカルにはナノハナの千夏、ついでにナノハナのキーボーディスト岡井に手を借りて、即席バンドが結成されている。

 通常、演奏が可能な形態にない『EXIT』で演奏をしようと言うのだから簡易PAシステムを組める人間として、瀬名にも手を借りると言うわけだ。機材類は昨夜、閉店後に瀬名と俺とで搬入済みだ。……頼りになる彼女だよ、本当。

(どうすっかな……。金曜日)

 マスターに言って、働くかな……。休む理由が、なくなったわけだから。

「彗介ー。ベーアン、ここで良い? カーテンの邪魔になる?」

「平気」

 カウンターの方に立てかけたままだったギターを取り出して、俺も『仮設ステージ』の方へ足を向けた。いつもとは違う、やけに可愛らしいギターアンプに近付きながらチューナーを取り出す。立ち位置と思われる辺りでチューニングをしていると、カウンターの方から藤谷の爆笑が聞こえてきた。つられて顔を上げると、変なおっさん……ではなく、神父の衣装を身につけたマスターが入ってくるところだった。

「マスターーーーーッ!! 何そのカッコーーーーッ」

 北条が爆笑をする声が聞こえる。マスターには、洒落の一環としてエセ神父になってもらうことになっているのだ。

 提案は藤谷。

「さっすが、俺が見込んだだけありますねー。衣装もばっちりでしょ?」

 衣装の選定も、藤谷。

「我々は皆、神に生かされているのです。神に感謝をしましょう。さあ皆様、共に、祈りを……」

 教義なんてわかっちゃいないくせに適当なことを厳かに言う。そういう気はしていたが、マスターのノリの良さには感服だ。感謝の印に、今後も真面目に働こう。

 笑いを噛み殺しながらチューニングを続けていると、やがて騒々しく千夏と岡井が到着した。マスターを見て爆笑し、北条を見て爆笑する。

 それを見ながら、先日の千夏との会話を思い出した。

 千夏が、俺と瀬名が付き合っていることを知っていて、尚且つ好意的に受け止めていなさそうなことは、もちろん瀬名には言っていない。元々、俺とは無関係の知人であるだけに気分も良くはないだろう。

「おおお。彗介、スーツ!! ウケるーーーーッ」

 一通り北条のそばではしゃぎ回っていた千夏は、今度は俺のそばに飛んできて騒ぎながら飛び跳ねた。同じバンドの岡井は、黙々と自分のキーボードを運び込んできてセッティングに入っている。

「金髪でスーツって、キャッチのおにーさんみたいだよね。いや〜ん、千夏、働くぅ〜♪」

「キャッチはやってない。お断りだ」

 俺の夜の仕事はウェイター止まりだ。

「何をう? ちなっちゃん、良い仕事しまっせー?」

「自分で言うなよ。やりたいなら紹介してやるよ」

「千夏がお客さんにべたべたされてるのを見たらヤキモチ妬いちゃうくせに」

「妬く理由がない」

「素直じゃないなあー。お、瀬名さん、おはよおー。おおおお、瀬名さんもレディだねえッ!?」

 うるさい。

 とりあえず、主役にバレてはならないバンド関係のセッティングだけを迅速に済ませ、多少の音合わせを終えてから、バンドセッティングを隠す為の仕切りを作る。

 それが済んだら今度は、会場の設営だ。

 千夏が作ってくれたウェルカムボードは、大谷が太鼓判を押しただけあって、実に立派な出来だった。人間ひとつ、ふたつは取り柄があるものだと、素直に感心する。

 テーブルを運び、出入り口付近のウェルカムボードだの受付だのを設置している間に遠野と尚香ちゃんが到着し、やや置いてから今度はそれぞれの家族が到着した。

 最後まで、仕切りの内側でマイクのケアや機材のチェックをしていた瀬名が、そろそろ準備も完了と言うところで俺の方に向かって歩いてくる。

「喜んで、くれるかな?」

 自分にとっての、大切な友人。

 そいつにとって、人生の大きな転機であるこういう場を、一緒に作り上げることが出来る……そして、真剣に取り組んでくれる人だと言うことが、嬉しかった。

「喜んでもらえるように、頑張るよ」

 人生の中でも、きっと数えられるような幸せの記憶――それが、少しでも、豊かな記憶となるように。

 それに、少しでも力を貸してやれるように。

「彗介さーん。人、入れちゃいますよーッ」

 出入り口のところから藤谷の声が聞こえ、それを振り返って笑顔で答えた。

「おう」

 パーティの、始まりだ。


          ◆ ◇ ◆


 規模自体は、『EXIT』でやっているくらいだから大した規模ではない。

 神父に扮したマスターが洒落として新郎新婦に愛を誓わせた後、立食形式での会食に移る。

 元々ここの店員である俺はもちろん、招待客の中でも極めて身内と言える藤谷や北条、瀬名や千夏なんかもサーブ役を買ってくれて、神父から料理人に早代わりをしたマスターの料理を運んだり、空いた皿を下げたりしていた。

 司会役の藤谷が、意外に上手く場を盛り上げる。

 主役である遠野も、大人しく座っている奴じゃないから、茶々を入れては招待客を笑わせる。

 俺と藤谷で考案した、場を和ませるゲームや小イベントなども効果的だったらしく、パーティも中盤を過ぎた辺りには会場全体が良い雰囲気にまとまっているように見えた。

 この後もいくつか、しょうもないゲームを控えている。……もちろん、特別編成バンドでの演奏も。

 料理運びの小休止の間、俺がカウンターに寄りかかって休憩がてら煙草を咥えていると、招待客のバンド連中なんかと話していた瀬名が、俺に気がついてこっちに歩いて来た。

「マスター、オレンジジュース、下さい」

「はいよー」

 カウンターでドリンクをもらって、俺の隣に並ぶ。

「お疲れ。瀬名のポジションて、結構疲れるだろ」

 瀬名の役割は、バンド演奏までないと言うわけじゃない。

 藤谷が司会に使っているマイクだったり、SEやBGMに使っている音楽を適当なタイミングで調整しては流しているのも瀬名だ。

 タダ働きで大役を押し付けてしまったことを申し訳なく思いながら言うと、瀬名は目を細めて笑った。

「ううん。適当に話したり、食べたりしてるから大丈夫。それにわたし、ポン出しって好きなんだ」

 ポン出しと言うのは、イベントの進行に合わせたタイミングで音楽を流したり止めたりするPA業務のことを指す。

 らしいと言えばらしい回答に笑って、招待客の中で馬鹿笑いをしている遠野と尚香ちゃんの寄り添う姿に、目を細める。

「俺と遠野ってさ」

「うん?」

「一時期、連絡取ってなかったんだ」

「え?」

 ぼそっと言った俺の言葉に、瀬名が驚いたように顔を上げた。

「中学からの付き合いじゃないの?」

「そうだよ。高校卒業して、一緒に上京してきた。……だけど、いろいろあってさ」

「いろいろ?」

「……うん」

 時々歩いてみる新橋の街並みを思い浮かべる。

 会社を辞めて、遠野とさえ一緒に音楽をやらなくなって、2年。

 遠野と再会したのは、新宿の雑踏の中で、偶然だった。

 その間に、遠野がどうしていたのかは知らない。

 その間に、俺に何があったのかも、遠野には話していない。

 お互い、別段知ろうとはしなかった。

「俺とまたバンドを組むようになった頃には、あいつ、もう、人生決まっちゃってたんだな」

「え? どういうこと?」

「もう、出会っちゃってたんだな。彼女に」

 新宿の人込みの中、俺の姿を見つけて駆け寄ってきた遠野は、あの時既に尚香ちゃんと付き合いだして半年くらい経っていた。

 既にあいつはあの時、そばにいるべき人を見つけてたんだ。

「……3年前の話」

 そう言って微かに笑う俺に、瀬名は少し困惑したような顔で沈黙をすると、こてんと俺の肩に軽く頭をもたせかけた。

「どんな気持ち?」

「さあ……。お幸せに、ってところかな」

「如月くんの未来は?」

「え? 俺?」

 まさかそう返されるとは思っていなくて、返答に悩んだ俺は言葉に詰まった。

 見えない未来は、何もかもが、不確定だ。

「……瀬名は?」

 答えに詰まったまま、問い返す。瀬名が目を瞬いて、首を傾げた。

「わたし? わたしは……そうだなあ……」

「……」

「うーん。やっぱり、とりあえずは仕事かなあ。小林さんの保護の下を、抜け出せるようにならなくちゃね」

 ――音楽だな。

 そう答えることは、今の俺には出来なかった。

 Blowin'には、遠野がいない。

 遠野がいない今のBlowin'は、Blowin'じゃない。

「こらーッ!! そこーッ!!」

 ぼんやりとトリップしている俺の意識を、突然割り込んだマイク越しの大声が引き戻した。

 マイクを握っているのは、あろうことか主役の新郎だ。

「主役を置いてスタッフがいちゃつくとは何ごとかッ」

 いつか殺す。

 遠野の言葉に、招待客から笑いと冷やかしが飛んだ。注目されるのが好きじゃないと知っての所業につき、情状酌量の余地はない。

 遠慮なく反撃してやろうと口を開きかけた俺に、遠野がにやっと笑って人差し指を突きつけた。

「この礼は、お前の番が回って来た時にゆっくりしてやるから、覚えとけよ」

 その、余りに徹底して素直じゃない言い様に、思わず吹き出してしまった。瀬名も隣で声を殺して笑っている。

 俺の番、か。

 そんなもん、いつ来るんだろうな。

「せいぜい、期待して待ってるよ」

 その時、隣に瀬名は、いるだろうか。











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