第6話(4)
何をどこからどう尋ねて、どう弁明するべきなのかが良くわからずにそこで言葉を切ると、瀬名はしばし無言で俺を見詰めて、こちらに歩いて来た。
俺が先ほど凭れ掛かっていた壁に背中を預け、隣に並ぶ。
「蓮池とは別に、何もないし……当たり前だけど彼女じゃないし」
とりあえず言葉を紡いでみるが、今ひとつ見当違いなんだろうか。瀬名の横顔には、何の変化もなかった。
「瀬名?」
「怒ってるし、あきれてる」
ようやく瀬名が、先ほどの俺の問いに答えた。その言葉に口を噤んで、瀬名の硬い横顔を見る。
そのまま黙ってしまった俺に、ため息をつきながら瀬名が、どこか咎めるように俺を見上げた。
「じゃあとりあえず聞くんだけど、あの人……蓮池さんだっけ? 彼女は、何なの?」
「えぇと……俺の母親が家で花屋をやってて、そこで働いている人、なんだけど……」
「それがどうしてあの日、ライブに来てたの?」
「……」
どこから説明したものだろう。
朝、俺の家の前から『EXIT』までついて来てその成り行きで……と言うのは、誤解を後押しする気がしないか?
「俺のバイト先に来てて……」
「じゃあどうして如月くんのバイト先に来てたの?」
「……」
「藤谷くん曰く、ずっといたんだよね? 如月くんの実家の方の人じゃなかったの?」
「あの……遊びに来てて」
「ふうん? 如月くんに会いに来たんだ?」
「……」
そういうわけじゃない。けれど否定をすると、どうして俺のバイト先に来たのかとか突っ込まれそうな気がして、つい、言葉に詰まる。今度は瀬名も黙って、俺の言葉の続きを待っていた。
……とにかく、省こうとするからただでさえ下手な説明が一層迷路に迷い込むんだ。全部言ってしまえ。
そう開き直ることにして、顔を上げる。
「最初から話すと……」
「うん」
「実家に帰ったんだよ、俺。瀬名と付き合い出す少し前……Blowin'が、活動休止して」
「……うん」
「そん時に、実家続きの母親の店を手伝ってて……一緒に働いてたのが、蓮池なんだ」
「……」
「それ以上でも以下でもなく、友達とさえ言えない。その程度の間に過ぎない。今後会うことがあるかどうかさえ怪しいような、そんな認識しかしてなかった」
「……それで?」
一瞬何かを言いたそうに口を開きかけた瀬名は、俺の言葉をとりあえず聞くことにしたのか言葉を飲み込んで、促した。
「それっきりで俺は東京に戻って来てるし、正直忘れかけてたんだけど……あの日、瀬名との電話を切った後に、母親から電話があったんだよ」
「……ふうん」
「だけど俺はバイトに遅刻しそうで焦ってて、用件を聞かずに電話を切った。で、家を飛び出した」
「うん」
「そしたらそこに……蓮池が……いて……」
「……」
変だろうか。
いやでも、事実だ。事実である以上、不審に思われたところでどうにもならない。
尻すぼみになる俺の言葉に、瀬名は何も言わずに聞いていた。とりあえず、話を続けることにする。
「後で聞いたら、母親の用件はその……蓮池が東京に遊びに行くから相手にしてやれってそういうことだったみたいなんだけど……俺は夜、家にいないことも多いし、なかなか捕まらなかったみたいで、母親から俺の家と電話番号を聞いた蓮池が……押しかけて来てて……」
「……」
「俺はバイトに遅刻しそうだったし、面倒臭かったからそのまま放ってバイトに向かったら勝手について来ちゃって」
「何で如月くんについてくの?」
そこを俺に聞かれても。
「……さあ」
「単に東京に遊びに来たんだったら、如月くんのバイト先について行くこと、ないんじゃないの?」
だからそれは俺は知らないって。
「それはそうかもしれないけど……」
「如月くんのこと、好きなんじゃないの?」
「……」
そんなことは言われていないからわからない。
「それで、如月くんのバイト先にずっといたんだ」
「……まあ」
「そこから、ライブハウスまでくっついて来たの?」
「そう」
「それで、どうして藤谷くんが如月くんの彼女だと思ってたの?」
「……」
また、無言に陥る。
蓮池が『EXIT』からずっと俺にくっついて来ていたからだろうとは思うんだけど……あいつも人の話を聞かない奴だし、俺も面倒で放置……。
……。
「如月くん、藤谷くんの誤解を解こうとしなかったんじゃないの?」
返す言葉がない。
押し黙る俺に、瀬名は再び深いため息をついた。それから、視線を逸らして、改めて口を開く。
「本当言うと、如月くんが浮気したとか二股かけたとか、そういうのは最初から思ってないの」
え。
「誤解だろうなっていうのは、わかってたの」
「じゃあ……」
「何で、じゃないでしょ」
目を丸くした俺に、瀬名が咎めるような視線を向けた。言葉を飲み込む俺に、畳み掛けるように続ける。
「わたしがどう思ったかは別問題で、そんなのただの結果でしょ。それ以前に、如月くんがどう行動したかの問題なの、わたしにとっては」
い、言っていることが難しい。
眉間に皺を寄せて言葉の意味を考える俺に、瀬名は噛み砕くように言葉を変えて繰り返した。
「わたしが、蓮池さんと如月くんは何でもないだろうなって思ってたって言うのは……今、わかったことでしょ?」
「ああ、うん……」
「今の今までは、わたしが誤解してると思ってたんだろうし、だったら如月くん、どうして今日まで何もしなかったの?」
「……」
電話は何度かしたんだけど……と言う精一杯の抵抗は、胸の内だけで終わった。
「誤解させたままでも、良かったの?」
「それは違……」
「あの時もそうでしょ? そりゃあ確かに如月くんは人の話を遮って話すのとか苦手だってわかってるけど……だけど、どうしてあの場で『違う』ってはっきり言えなかったの? それに怒ってるの」
「それは……」
「藤谷くんにだって、如月くんとしては何の意図もないのかもしんないけど、誤解を解いてないんでしょ? それって『好きに解釈して』ってことだよね? だったら藤谷くんが好きに解釈しちゃったって、仕方がないんじゃない?」
「……」
「そこにあきれてるの」
そこまで言って、瀬名は俺の腕を軽く掴んだ。真っ直ぐな目で、俺を見上げる。
「如月くん」
「……」
「わたしって、言えない彼女?」
「……え?」
「わたしと付き合ってること、隠してるの?」
「違う!!」
反射的に否定をする。今度は瀬名が黙って、俺を見つめた。
「隠そうと思ってるわけじゃない。俺に隠す理由なんてあるわけじゃないし、そもそも俺が瀬名のことが好きで……」
「……」
「だけど……」
俺の腕を掴んでいる瀬名の肩に軽く手を掛けながら、俯いて言葉を探す。
「も、元々……『GIO』の奴らは知ってて、Blowin'の連中だって瀬名のことを知ってて、学生とかそう言うのとは少し違う……瀬名にとっては必死で頑張ってる仕事場だし、俺にとっても譲れない場所にいる奴らで……」
「……」
「変な気を使われたりするのも嫌だろうと思ったし、それは俺もそうだし、どうせいずればれてくんだろうからそれでいーんじゃないかって気がしてて……」
「……」
「ごめん。あんまりその辺、深く、考えてなかった……」
「……」
「それで瀬名がそんなふうに感じるなんて、考えたことがなかった……」
「……」
「……ごめん」
「如月くん」
顔を俯けたままで謝罪をする俺に、瀬名は少し寂しそうな声で俺を呼んだ。
「わたしのこと、好き?」
え?
「そりゃ……」
「わたしは、恥ずかしい彼女じゃない?」
「そんなこと、考えたこともない」
逆に、好き過ぎて。
「好き過ぎて、怖くなる……」
もう瀬名が怒ってはいないように感じられて、そのままそっと瀬名を腕に抱き締める。
「何をしてても、瀬名のことが頭から離れない」
「……ライブの時以外?」
少し意地悪く問う瀬名に、俺は僅かに吹き出した。
「そうだな……ごめん。ライブの時は吹っ飛んでるかも」
「知ってる」
「でも、それ以外は、本当。……瀬名のことが、頭から離れない」
「……本当?」
「本当」
答えながら、ますます瀬名を強く抱き締める。
……今なら、聞けそうだ。俺に、見えていない、瀬名の気持ち。
瀬名は、俺のことを、どう思ってる……?
「瀬名の気持ちも、教えてよ」
「え」
「瀬名が、どうして俺と付き合ってくれたのか、わからない」
「……」
「瀬名の気持ちが知りたい。……好きなのは、俺だけのような気がする」
どこか儚くなった声で、しがみつくように抱き締める俺を、瀬名が腕を伸ばして抱き締め返した。
「如月くんに、サプライズ」
「え?」
「わたしは、ずっと……如月くんのことが好きだった……」
「……ずっと?」
意味を捉えかねてそのまま目を瞬いていると、腕の中で瀬名が笑った。
「そう。ずっと……もう、2年くらい、如月くんが好きだった」
2年……?
抱き締めていた腕を緩め、瀬名の顔を見下ろす。俺を見上げる瀬名が、少し恥ずかしそうに、いたずらっぽい笑みを覗かせる。
「嘘……」
「本当。……ずっとずっと、片想い、してたの」
想像を絶する瀬名の『気持ち』に言葉が見つからない。
ずっと……?
片想いって……俺に……?
「気がつかなかった……」
「気づかれないようにしてたんだもん」
「どうして」
「だって」
言葉を途切れさせて、瀬名が俺の胸に顔を埋める。
続きを黙って待ったが、瀬名はそれ以上話してはくれそうになかった。
混乱してどきどきしたまま、瀬名をもう一度抱き締める。
「俺なんか、どこが良かったの?」
俺だけが、好きなのかもしれないと思っていた。
瀬名に、これから俺の方を向いてもらわなきゃならないんだと。
既に……それも、俺より以前から俺の方を見てくれていたなんて、実感はないけれど……嬉しい。
「如月くんが、わたしの背中を押してくれたからだよ」
「え?」
背中を押した?
心当たりがなくて完全にぽかんとした俺に、胸から顔を上げた瀬名が吹き出す。
「わたしが初めてPAをやった日に、Blowin'がいたの」
「……ごめん。覚えてない」
「ううん。……あの時、凄く怖かった。凄く凄く怖かった」
「俺?」
「じゃなくて。仕事が。……きっと中音とかもひどかったんじゃないかと思う。何とかトラブルなしに終わることが出来たけど、怖くて、自分を駄目だと感じて落ち込んで……」
泣きたかった、と、瀬名は泣き笑いのような表情を見せた。
「Blowin'なんか、上手いし凄く怖くて、その中でも如月くんなんてにこりともしないし、使えない奴だと思われたのかなって思った」
……好きになってくれる要素が出て来ないんだが。
困った顔をする俺に笑いながら、瀬名が続ける。
「だけど、如月くんが言ってくれたの。一番最初に」
「何……」
「『ありがとう』って」
俺が?
言われても尚思い出せない俺に笑いを浮かべたままで、瀬名はまた胸に、頬を寄せた。
「嬉しかった」
「……」
「『やりやすかったから、これからも大丈夫だよ。お疲れさま』って。亮くんから聞いてたはずなの、如月くん。……わたしが、初仕事なんだってこと」
「……そう?」
「うん。小林さんが亮くんに頼んでたんだもの。何かあったら助けてやってって」
「ふうん……?」
覚えていない。……いや、確かにあったな、そんなこと。
そうか……あれ、瀬名の初仕事だったのか……。
俺の表情を読んで、瀬名が微かに目を細める。
「思い出した?」
「うん、まあ……」
「あの時の如月くんの言葉に押されて、わたしはこの仕事で一人立ちが出来たの」
「……」
「あの時、如月くんがいなかったら、わたしはプレッシャーに負けて、やめていたかもしれない」
あんな頃から……。
愛おしさがこみ上げて、もう一度強く瀬名を抱き締めた。
瀬名の気持ちを知って、腕の中の瀬名が、今まで以上に可愛く見える。
どうしてもそれを伝えたくて、髪に口付けた。それから、前髪の間に覗くおでこに。
「俺、瀬名のことが、めちゃくちゃ好きだよ」
「如月くん……」
「変な誤解とか、心配とか……させてごめん」
「ううん……」
「蓮池が俺をどう思ってるのかは知らない。だけど俺には関係ない。……瀬名しか、見えてない」
キスしたい。
髪じゃなく。
額でもなく。
誘うように瀬名を見つめたまま、親指で軽く頬に触れる。柔らかい頬を指先でなぞる俺を見返す瀬名も、躊躇いがちな様子を見せた。それから甘えるように上目遣いに俺を見上げ、そのまま目を閉じる。
唇を近付け、触れる寸前で一度止めた。心臓が口から出そうとはこのことだ。
……好きになり過ぎてて、キスするのにさえ勇気がいるなんて。
ようやく重ねた唇が、また俺の視野を狭くする。一度口付ければ歯止めがなくなり、抑圧されていた瀬名への愛欲が高まる。
キスを繰り返すほどに泣きたいほど瀬名が愛しくて、瀬名の姿だけが今の全てになる。
「足りない」
「え?」
短い言葉を交わして、その度に唇で唇を塞ぐ。
「何が……?」
「何度キスしても」
このまま、連れて帰りたい。
「意外に情熱的」
キスの合間に瀬名が笑う。俺も笑った。
「何それ」
「もっと淡泊な人かと思ってた」
「まさか。……ウチ、行かない?」
途切れたキスに、瀬名が戸惑ったような顔をする。
「え……」
「淡泊じゃないって証明が出来るんだけど……」
歪曲したセリフに、瀬名が照れを含んだ顔でくすくすと笑った。ちょっとあざとかっただろうか。
「キスだけじゃ、足りない。……連れて、帰りたい」
「……」
「き、汚いとこだし、無理にとは、言わないけど……」
調子に乗りすぎだろうか。
不安になってぼそぼそと付け足す俺に、瀬名が動揺を残した目つきのままで、目を細めた。
それから、少し背伸びをして、自分から唇を重ねる。
「瀬名……」
「いいよ」
どきッ……。
「本当?」
「うん……」
嬉しくて、瀬名を思い切り抱き締める。
募る想いに、呼吸さえ詰まりそうだ。
誰よりそばにいたい。誰よりそばにいて欲しい。
……他の誰も、欲しくない。