第5話(2)
何やら、別段『決定的な瞬間』を見られたと言うわけでもなさそうで、いくらでも誤魔化せそうな気もしなくはないが、そうまでして誤魔化す理由がない。……そもそも『決定的瞬間』など存在してないが。
「隠してたりすんの?」
「いや……」
答えながらふと見回すと、瀬名はいつの間にか撤収を終えていたらしい。帰り支度を整えて、PA席でぼーっと煙草を吸っている。
「そういうわけじゃ、ないけど。『GIO』のスタッフとかバンドの奴らに、変な気とか使われても嫌だし」
俺が彷徨わせた視線の意味に、気がついたらしい。壁から背中を起こした加藤は「なるほどね〜」と呟いて、ポケットに両手を突っ込んだ。
「ま、誰にも言わんよ」
「さんきゅ。……どうせ、バレてくんだろうけどさ」
「ははッ。まぁねぃ〜」
そんじゃまた来てねーとひらひらと片手を振って加藤がスタッフルームの方へ消えていくと、俺も火をつけたままの煙草を灰皿に放り込んだ。出口の方へ足を向ける。
「それじゃあ、お邪魔」
「ありぁとーっしたあッ」
もはや何語なんだかわからない山崎の礼の言葉を背中に受けて、階段を上る。表に出たところで、追いかけて来たらしい瀬名が、追いついた。
「置いてくしッ」
「お疲れ」
くすくす笑って振り返る。ちょっとふてくされたような瀬名の表情が、可愛らしく思える。
「こうさ、アイコンタクト取ってみるとか、一声かけるとか」
まだ店の前にたむろっている人の間を抜けて、瀬名と並ぶ。しきりとクレームを口にした瀬名は、それから「あ」と目を丸くした。
「そういうつれない態度が手なんだ」
「何の」
「不安感を煽る」
「……安心させるならともかく、瀬名を不安にさせてどーすんの」
あっさり聞き返すと、瀬名は唇を尖らせてむうっと俺を睨み上げた。まったくな……ライブ中はあれだけかっこ良いくせして、何でそれ以外ではこんなに無邪気になれるんだろう。凄いな……凄ぇよ。
「どうしよっか」
「飲んでばっかりいるのも芸がない。たまにはデートらしく……」
「らしく?」
「……ゲーセンでも行く?」
笑いながら言うと、瀬名も吹き出しながら背中を叩いた。
「いて」
「どこがデートらしくぅ?ロマンティックなところに連れてってくれるのかなって期待しちゃったじゃないのー」
「ロマンティックなところをそもそも知らない。連れてって」
「もー。ムードないなあ」
ムードを盛り上げて良いのか?
けたけたと笑っている瀬名を、ちらっと見下ろす。その横顔に、一瞬よぎった邪な考えに……それだけで鼓動が速くなる。……俺って手軽な奴。
考えただけでこんなにどきどきしてりゃ、世話ない。いつからそんな純情くんになったんだ?俺は。そんなんじゃなかったはずなんだが。だけど。
だから、つまり。
(瀬名だからなんだよな〜……)
相手が。
隣にいるだけで、笑顔を眺めているだけで、少なくとも今の俺は満たされてしまって、いやそれは嘘も混じっているんだろうが、嫌われそうで怖いとか、「瀬名にそんなこと、していーのか?」と言うか……。
……要は、びびってる。好きすぎて。どこまでだせぇんだ、俺……。
下らないの一言に尽きる俺の苦悩は解決を見ることなく、本当にそのままゲーセンに向かう。瀬名もノる奴だな……。
「あ、わたしこれ、超得意だよ。やろうよ」
「ほー。スキーで俺に勝てると思う?」
「えッ……。如月くん、スキー、やるの?リアル?」
「リアル」
「上手いの?」
「別に。普通」
「……何なのそれ。よし、いーもん、じゃあやる。負けない」
何だかんだ言って、瀬名は『ロマンティックとは到底無縁なゲーセンデート』を楽しんでいるらしい。俺自身、そうゲーセンに来るかと言えば来ないので、素直に楽しかった。
勝ったり負けたり、その度に瀬名がはしゃぐ。笑った顔も、拗ねた顔も、胸に刻み込まれていく。
「如月くん、明日はどーしてんの?」
さりげに燃えまくったゲーセンデートから、ようやく終電で瀬名の住む新大久保まで帰ってきて、歩く道すがら、瀬名が俺を見上げた。
「明日、は……昼が16時半上がり。その後夜のバイト」
「そっかあ」
少し残念そうな口振りが、笑いを誘った。
「瀬名は、何バンド?」
尋ねながら、どうしようか少し迷う。――伸ばしかけて、引っ込めて、また、伸ばす左手。
「明日は、えぇと……6かな。確か」
「結構多いな」
「ん。リハ後にも会えないかぁ……。残念だな」
少し寂しそうな瀬名の言葉に背中を押されて、迷っていた手を伸ばした。そっと絡めた左手に、瀬名が俺を見上げた。
「明後日はわたし、休みなんだ」
繋いだ手に、きゅっと力を入れて、少しはにかんだように俺を見上げる。初めて繋いだ手を自然に受け入れてくれていると感じられて、けれどはにかんだ表情が、瀬名もどきどきしているように思えて、少しだけ、照れた。
「へえ?休みなんだ?」
「うん。如月くんは?」
「俺は昼のバイトはあるけど夜はなくて……夕方までだからさ」
やった。仕事終わりの僅かな時間じゃなく……夕方からだったら、それなりにまとまった時間会うことが出来る。
「本当?じゃあちょっとは長い時間会えるね。じゃあ明日は我慢してあげよう」
「偉そう」
笑いながら評する俺に、瀬名も笑う。柔らかそうな髪がその肩でふわふわ揺れるのを眺めながら、俺は目を細めて瀬名を見下ろした。
「じゃあさ」
「うん」
「たまには、映画とか買い物とか、普通のことしてみる?」
「あはは。何、『普通のこと』って」
「俺、デートっぽいデートってのを、瀬名としたことがないような気がする」
「映画かあ。良いね。最近見てないしなあ」
「ダーツとかボーリングとか?それか、どっか行きたいところとかある?したいこととか」
「うーん。あると思うけど、しばらく男の子と出かけることに縁がなかったから、わかんなくなってる」
もうすぐ、瀬名の住むアパートが見えてくる。
別れの時間を感じて僅かに寂しさを感じながら、それでも足を止めてしまうわけにもいかず、やがて瀬名のアパートが見えて来た。いつも別れる角で足を止めて、繋いだ手を離したくない思いを飲み込んで、瀬名の右手を解放した。
「じゃ、宿題。明後日までに、お互い新ネタを考えよう」
「うん。わかった。じゃあ、明後日、バイトが終わる頃に、新宿に行くね」
「了解。……おやすみ」
俺の言葉に、瀬名が家の方へと一歩、下がった。
俺に笑顔を向けて、片手を振る。
「うん。おやすみ。ありがとね。……じゃあ、明後日」
◆ ◇ ◆
『EXIT』のバイトは、基本、暇だ――と言っても、ランチタイムはそれなりに混んだりする。
そうして14時、15時と客が姿を消していき、16時頃になると閑散とし過ぎてくる。このタイミングを見計らって、15時を越えた辺りから時折、マスターが買出しと言う名のパチンコへと姿を消す。
最後の客が精算を終えて出て行ってしまうと、俺は完全に暇になった。テーブルを片付けて空いたグラスを流しに置いていると、そんな俺を見透かしたかのようにドアが開いた。
「いら……」
かららん、と言うドアベルに蛇口にかけた手を止めて顔を上げる。と、そこに立っていたのは我らがドラマー、藤谷だった。
「ああ。どうし……」
「彗介さんッ」
何やら軽く顔がテンパっている。
俺の言葉を遮るようにしてずかずかと乗り込んできた藤谷は、こちらに身を乗り出すようにカウンターに両手をばんっとついた。何だ何だ。
「何……」
「頼みがありますッ」
「はい……」
そんなに勢い込んで言われると、腰が引けるんだが。
その通り思わず身を引きながら答えると、藤谷は必死の様子でカウンターにかじりつくように続けた。
「助けて下さいッ」
「だから、何だよ」
話が進んでない。それじゃあ全然わからない。
「ヘルプして下さいッ」
英語に変えただけじゃないか……って、そうじゃないな。
この場合の『ヘルプ』は、バンドの助っ人のことだろう。Blowin'のヘルプを俺がするのは有り得ないわけだから、藤谷がヘルプをしているField Areaのことか?
「Field Area?」
引いていた体を流しに戻し、蛇口を捻りながら確認する。藤谷はこくこくとあほのようにひたすら首肯した。
「ギター、やって下さいッ」
「そりゃあ構わないけど……いつだよ。Field Areaってギター、ちゃんといたろ?確か」
「いますけど。左手の人差し指を骨折したとか言って」
そりゃあ致命的だ。
同じギタリストとしてつい同情的になって、顔を顰める。
「何だってそんなとこ。突き指くらいにしとけば良いのに」
「選べるならそうしてたでしょうけど。単車で事故ったらしんですよ」
「……そのくらいで済んで良かったな」
「それもまたそうなんですが。彗介さん、明日って夜のバイト、ないって言ってましたよねッ!?」
何?
思わず無言で顔を上げる。黙る俺に、藤谷が縋るような視線を注いだ。ステレオから流れる小さなBGMの合間に、出しっ放しの水の音だけが響く。先日スタジオにいつ入るかと言う話をしていた時に言った俺の予定を、しっかり覚えていたらしい。
「明日?」
聞き返すと、藤谷は敏感に俺の嫌そうな気配を察知して、がしっと更に身をこちらに乗り出した。このまま行くと、カウンターを乗り越えてきそうだ。
「明日!!」
「明日は、俺……」
「お願いしますよ!!」
「用事が……」
「せめて話だけでも聞いて下さいッ」
瀬名とのデートの約束が。
……とは言えずに言葉を飲み込むと、同時に水を止めてため息をついた。かくんとうなだれて、片手で藤谷の話を促す。
「どうぞ……」
「だからですね、明日、Field Areaのライブが六本木『セオリー』であるんですよ」
「へえ。そりゃまた良いハコ……」
「Bad Mountain Crownが誘ってくれたんです」
「誰それ」
「バンドですよ。そこそこファン持ってて……ま、バッドマウンテンはどーでも良いんですが、そんなでそれなりに客入りそうなイベントなんですよ」
「はあ」
「Field Areaとしては、結構楽しみにしてたイベントで、だけど岸原がギター、弾けないじゃないですかッ」
「はあ」
「明日ですよ?あしたッ」
「……」
今ひとつ藤谷の説明も収拾はついていないが、伝えたいことはわからないでもない。
ともかくも、楽しみにしていて気合も入っていて、ドタキャンは有り得ないと言うことだろう。
「で」
「今日の明日で、いきなり弾けるギタリストなんか、他にいますかッ」
いるだろう。
「セレストの川崎とか……」
「元々の音楽性が違うでしょうッ。大体俺、そんな無茶を急に頼めるほど川崎さんのこと知らないっすよッ」
「……」
「彗介さんだったら、何とかしちゃうでしょう!?いきなりぶっつけ本番になったとしても」
馬鹿言え。
「曲も知らないもんを、ぶっつけで出来るかよ」
「曲は今日渡しますッ。俺、今音源持ってますッ。他に頼れる人がいないんですよ、お願いしますよおおおお」
「……」
「まるごとコピんなくて良いって言われてます、曲だけわかってりゃ、彗介さんだったら適当に自分でフレーズ作って弾いちゃうでしょ!?そんなん全然アリでしょ!?他の人にそんなこと出来ると思いますか!?少なくとも俺の知っている範囲ではそんな助かる人、思いつきませんッ。ここで彗介さんに見捨てられたら、Field Areaはリタイアを余儀なくされる以外に選択肢なんか何ひとつ残されちゃあいないんですッ」
「……わかったよ」
こうまで言われて「彼女とデート」を理由に拒絶出来るほど薄情じゃない。
改めてため息をつきながら藤谷の懇願を受け入れると、藤谷が縋りついていたカウンターから跳ね起きた。
「本当ですかッ!?」
「いいよ。わかったよ、やるよ。音源貸せよ。持ってるんだろ」
瀬名……。
一昨日の笑顔が脳裏を掠める。がっかりするだろうか。せっかく、初めてまともにデートらしいデートが出来そうだったんだが。
でも、これほど困っている様子のものを、人生に関わる用事だの身内に何かあっただのってわけでもなく、ただのデートで断るのはやはり鬼畜だろう。
(ごめん、瀬名)
いつ連絡出来るだろう。この後はバイトだし、そもそも瀬名の家に電話をしたところで、瀬名がいない。瀬名がいる時間には、俺は電話がかけられない。
(明日の朝しかないか……?)
明日は瀬名はオフだから、1日いるはずだ。朝家に帰って、再び『EXIT』に出かけてしまう前に電話をすれば、何とか掴まるはずだろう。そのタイミングしか思いつかない。
怒るだろうか。
怒るよな、普通。
だけどちょっと藤谷を見捨てることは、出来ないだろう……。
「ありますありますッ。ちょっっっと待って下さいねッ。すぐ出しますッ」
「だけど俺、今日はこの後もう一件バイト入っててメンバーと顔合わせてらんないし、明日も16時半までバイトだから、リハも行けないぞ」
「おっけーですッ」
俺を買い被ってないか?
「ともかく、明日バイトが終わったらダッシュでコヤに行くから、本番前に打ち合わせと、可能だったらちょっとでも音合わせくらいはさせろよ」
「もちろんですッ」
「知らないからな、俺」
「だあいじょうぶですよおッ。あ、あったッ」
ごそごそとリュックの中を漁り倒していた藤谷がようやく発掘した音源を、俺は三度目のため息混じりに、受け取った。
◆ ◇ ◆
Field Areaのライブ当日のその日、明け方までバイトをして疲れて帰った俺は、あくび交じりに家に到着すると一度仮眠を取った。
それから『EXIT』に行く為に短い睡眠を経て起きると、ポータブルCDプレーヤーに入れて聴いていたField Areaの音源を取り出して、コンポに入れる。再生ボタンを押してしつこく聞きながら電話の前にあぐらをかいて、受話器を取り上げ……で。
躊躇う。
さわやかなオフの1日を、朝っぱらから愉快ではない用件で最愛の彼女に電話をかけなければならないと思えば、ため息も止まらないと言うものだ。いや、俺自身ががっかりだ。
ともかく、受話器を握ってため息をついていても無駄にバイトに遅刻するだけなので、ようやく瀬名の番号をプッシュする。僅かな呼び出し音の後に、受話器を外す音が聞こえた。
「はい」
「瀬名?俺……如月、だけど」
「如月くん?おはよぉ」
「おはよ……」
俺とわかった瞬間に、瀬名の声が嬉しそうなものに変わった。それを聞けば可愛く思うし、告げなければならない用件に罪悪感が増す。
「どうしたの?あ、今日?」
「いや、その、うん……まあ、そうなんだけど」
「宿題、決めた?」
「あの……」
ああ、言いにくい。
明るい声で尋ねて来た瀬名は、俺がどこか歯切れが悪いことに気がついたらしく、一瞬黙った。それからやや声のトーンを落として、質問を変える。
「どうしたの?」
「いや、それがさ……」
と、もごもごしていたって仕方があるまい。さっさと言え、俺。
「……ごめんッ」
気持ちが籠もり過ぎて、見えもしないのに思い切り頭を下げる。瀬名が受話器の向こうで言葉に詰まる気配があった。
「え?何?何か、用事でも出来た?」
「……うん。それが、ヘルプに入らなきゃならなくなった」
「バイト?」
「じゃなくて」
「……バンド?」
「……そう」
「……」
怒っているだろうか。
バイトならば、一応は金を稼いでいるものだからそういうことも許されるかもしれないが、バンドのヘルプだったら「そんなのあんたの意志で断れば済む話でしょ!?」の一言に尽きる。
言い訳のようなものも咄嗟に用意出来るタチではない俺は、つい一緒になってそのまま無言になった。やがて瀬名が「そっかあ」と小さく言うのが聞こえる。
「PRICELESS AMUSE?」
「いや……それだったら、断ってるんだけど。絶対」
そんなぎりぎりで頼んで来るんじゃねー、で終わる。PRICELESS AMUSEは、俺以外にもヘルプで入っているギターが何人かいるはずだ。他を当たれ。
だけど、Field Areaは少し状況が違う。それに、楽しみにしていたイベントをパスらなければならないのは、俺も可哀想だと思うんだ。気持ちはわかる。
「じゃあ、違うバンド?」
とりあえず、いきなり瀬名がキレなかったことに安堵しつつ、俺は頷いた。
「そう。藤谷が普段ヘルプやってるトコで……今日、そこそこでかいハコのイベントに出る予定だったらしいんだけど」
「うん」
「昨日、ギタリストが指を骨折したらしくて」
「えええ?」
俺の言葉に、瀬名が頓狂な声を上げた。
「そうなの?大丈夫なの?」
「知らない。俺はそのギタリスト、会ったことないし。だけどバンドとしては、ギタリストがいないとリタイアするしかなくなるから」
「そう、だろうね」
「昨日の今日で、ステージで合わせられるギタリストが他に見つけられないらしくて……俺も、可哀想だとは、思うし……」
「……うん」
「断れなくて」
「そっかあ」
もう一度瀬名は、さっきと同じように呟いた。それから、小さく笑うのが聞こえた。
「頼られてるじゃん」
「……うーん」