第4話(3)
瀬名と過ごせる時間は、短いな。
短くても良いとは思ったけど、いざ終わろうとしているとなると未練が残る。
まだ、一緒にいたい。
けれどこれ以上、誘う理由が思いつけない。
こんなふうに、ふたりで会ってくれるなんて、もうないかもしれないのに。
俺と瀬名は別に何の関係があるわけじゃないし、せめてものつながりである『GIO』だって、Blowin’が活動していない今行く理由も特にない。大体『GIO』に行ったって、瀬名は仕事中だ。そこで会うことも話をすることも出来るだろうけど、こんなふうには過ごせない。
次が、欲しい。
またこうして、会って欲しい。
メシに行くだけでも、それでも良いから、瀬名と……。
「なーんかわたし、如月くんが彼女いないわけが、わかる気がしちゃったなー」
どうしようかと密かに頭を悩ませていると、隣を歩く瀬名が不意に俺を仰いでいたずらっぽく笑った。
「俺がモテないのは当然って話?深い傷を負わせようとしてる?」
きょとんとする俺の言葉に、瀬名が盛大に吹き出す。そんなに笑うなよ。
「ちっがーうよ。『彼女が出来ない理由』って言った」
「違いがわからないんだけど」
「だって如月くんって、不器用なんだもん」
黙って足を止めると、瀬名が俺を置いて少し進んで、それから足を止めた。ふわりと振り返る。
「如月くんのコト好きな女の子とかいたとしても、如月くんが寄せ付けないんじゃないかなあって気がした。千夏さんみたいなコって絶対特殊だし。きっとチャンスいっぱい逃してるよ。ざんね〜ん」
「寄せ付けないって……そうか?」
「わかんないけど」
「……瀬名は?」
寄せ付けない――近寄りにくいってことだろうか。
女の子にとって、俺が、近寄りにくいのだとしたら。
瀬名にとっても、もし俺が近寄りにくいのだとしたら……それ以上になりたいとは、どう頑張っても思ってくれないんじゃないだろうか。
「え?」
歩こうとした足を再び止めて、瀬名は、今度はもう少し体ごと俺に向き直った。
「瀬名も、そう思う?」
「そうって……?」
「俺みたいなやつじゃあ……恋愛対象には、向いてない?」
言葉の意味を問うように、瀬名が体をこちらに向けた。真っ直ぐ、俺を見つめる眼差し。
鼓動が速い。
伝えたい。次の約束をする為に。また、瀬名のそばで時間を過ごせるように。
だけど――俺じゃあ、駄目だろうか。
「俺……」
一度、言葉を選ぶように切る。少し、躊躇った。それから、瀬名を見詰めたままで、一気に言った。
「俺、瀬名のこと、好きかもしれない」
「……。好き『かもしれない』?」
あ。
いくらなんでも告白してんのに『かもしれない』はないだろう、俺……。こういうところが決して器用とは言われない所以だろうか。俺の馬鹿。
「あ、いや、あの……好きだと……思って……」
慌ててフォローしながら、しかし全然フォローになっていないというか、しどろもどろな俺に瀬名は小さく吹き出した。
「わたし、今告白されてんのかしら?」
「……瀬名と、付き合いたいと思ってるよ」
憮然としてそっぽを向きながらそう言うと、瀬名は笑いを収めて、俺を静かに見返した。
その顔を見て、もう一度、言い聞かせるように繰り返す。
「瀬名と付き合いたい。また、こうやってふたりで会いたい。……好きだ」
答えない瀬名が、怖い。
緊張して瀬名の回答を待つ俺に、瀬名がふっと目を伏せた。
「本当?」
「……本当」
瀬名は、そのまましばらく、答えなかった。……駄目、ってことなんだろうか。今、瀬名は、断る言葉を考えているんだろうか。
そう思わずにいられなくて、胸が痛む。
やがて瀬名が、ぽつっと儚い声で、言葉を紡いだ。
「けど、如月くんもいつかきっと、わたしから離れちゃうよ」
「え?何で」
意味がわからなくて、目を瞬く。瀬名はそんな俺に、小さく微笑みかけた。
「こんな仕事してると、男の人は家で帰り待ってくれるような女の子が欲しくなる」
「そんなこと、ないよ。それに俺、今、情けないけどフリーターだし……時間なら、俺が合わせられるから……」
「……」
瀬名が首を少し傾げたまま、俺に近付いてくる。そのまま手を伸ばして、俺の腕を取った。その温もりにどきりとする。初めて触れる、瀬名の手。それだけで、こんなにどきどきする。戸惑ったままで瀬名を見下ろすと、どこか切なさを秘めたような瞳が俺を見上げていた。風が、瀬名の髪を舞い上げる。
「いいよ」
――え?
目を見開いて瀬名を見下ろすと、瀬名は、どこか儚さを残したままの笑顔で、俺を見詰めた。
「付き合って、くれるの?」
「うん。だけどね。……だけど」
「……うん」
「約束して」
「? うん?」
「お互い、夢は諦めないって」
「……」
「お互いの夢を、尊重しようって」
「うん……」
俺には、その時、その言葉がどういう意味か、よくわからなかった。
だって俺には俺の夢を諦めることは絶対に出来ないし、夢を必死で追い続けている瀬名の姿が好きだから諦めて欲しくないのは、当然だった。
そう――わかって、いなかったんだ。
◆ ◇ ◆
「うっしゃあーッ。快調快調絶好調〜♪如月、調子いーじゃん、何かいーことあったの?」
ライブ前のリハで、ステージを下りながら肩をぐるぐると機嫌良さそうに回していた木村が、そのままのテンションで俺を振り返った。Blowin'のバンド活動ですることがないので、最近PRICELESS AMUSEのヘルプの依頼が頻繁に入ってくる。
「ま、ね……」
「ほー?バンド活動が休止中で、イイコト?ふふん、さてはオンナだな」
「……ご想像にお任せ」
何だよ教えろよと絡み付いてくる木村に、へろっと舌を出しながら「離せよ」と肘鉄を食らわしていると、ドラムの今井裕香がスティックをくるくると回しながら近付いてきた。俺より2つ年下の彼女は、赤茶けた背中までかかる髪の小柄な女の子なんだが、叩くドラムはパワーがあってリズムも正確だ。そして木村に手出しもされず、慄きもしない希少な女の子でもある。
「何?何?如月くん、いいことがあったの?」
「聞けよ裕香。こいつ、俺をさておいて……」
「俺は何も言ってない」
と、適当に誤魔化してはいるものの、俺のテンションが高いのは間違いなくそのせいだろう。
まさか、瀬名が本当に俺と付き合ってくれるとは思わなかった。一夜明けた今でも、まだどこか嘘みたいだ。
今日は、俺はPRICELESS AMUSEのヘルプでライブ、瀬名はもちろん『GIO』で仕事だが、この後、瀬名と会う約束をしている。と言っても時間も時間だし、そうそうゆっくりしていられるわけじゃないけれど、それでも良い。会えると思うだけで、幸せになれる。
ヒートアップしたテンションのままでPRICELESS AMUSEのライブ本番を終えると、俺は木村たちの飲みの誘いを断って、ライブハウスを飛び出した。全体が押し押しで、今の時間が10時半。
ライブハウスのあった吉祥寺からは、渋谷まで井の頭線で一本だ。移動時間がおよそ15分、そこから『GIO』までが……何だかんだで、つくのが11時だろうか。瀬名はどうしてるかな。終わっただろうか。
ギターを肩に引っ掛け、時折ずり落ちるそれを引き摺り上げながら、滑り込んできた電車に飛び乗る。飛び乗って窓の外の真っ暗な風景が流れるのに目を遣りながら、未だ、戸惑う。
本当なんだろうか。
瀬名って、本当に今、俺と付き合ってるんだろうか。
(……馬鹿だなー)
まじで。
自覚はあるが、結構まずいくらいに惚れそうだ。笑顔や仕草、声なんかを思い出すだけで、また勝手に好きになる。だからこそ、瀬名が付き合ってくれると言ったその出来事自体が、未だに現実のものとして認識し切れていない。夢や幻覚だったら、結構痛い。……いや、それはないだろう。少なくとも今日、ライブが終わったら『GIO』に顔を出すとは言っていて……それは確かなはずなんだ。
異様にのろく感じられた電車が、ようやく渋谷に到着する。『GIO』に向かって歩く間に、何だか緊張してきた。近付くにつれて、鼓動が速くなる。ライブ前でもこんなふうになることは、あんまりない。
通い慣れている『GIO』のある通りに差し掛かって目を向けると、『GIO』の前には人の姿が余りなかった。ライブ終わりだと結構人がたむろしているものなのだが、看板のライトが消えていることに気がついて、軽く焦る。
(もう終わってんのか)
じゃあ、結構早く終わったりしたんだろうか。待たせちゃったな。……これでいなかったら、俺はしばらく立ち直れない。
閉まってたらどうしようなどと思いながら、そっと『GIO』のドアに手を掛ける。一応ドアは開いていて、階段を降りて更にその奥にあるドアの隙間からは、明かりが漏れているのが見えた。とりあえず人がいるのは確かなようだ。
「……お疲れーっす……」
自分のライブじゃないのに営業終了後のライブハウスに侵入すると言うのは、何とも複雑な気持ちだ。スタッフでも何でもないのに「おつかれさま」と言うのも変な気はするが、まあスタッフと知らない仲じゃないんだし、良いだろう。
思いながら防音扉を開けて中を覗く。人の気配はなく、スピーカから静かに小さな音で音楽が流れているのが聞こえた。
そして。
「如月くん。お疲れ様ッ」
PA席から、瀬名が立ち上がるのが見えた。俺の姿を見て、ぱっと嬉しそうな顔をしてくれる。それを見て、ほっとした。どうやら瀬名と付き合っていると言うのは、俺の希望的妄想ではなさそうだ。
「お疲れ。……終わったの?」
「うん。すっごいよ。今日、9時半に終わって、しかも凄いスムーズに撤収してざーっといなくなったから、10時半にはスタッフまでいなかった」
「げ。……ごめん。じゃあ待たせたね」
「ううん。平気」
言いながら、瀬名がPA席から降りてくる。そちらへ近付く俺のそばまでやって来ると、瀬名は足を止めて俺を見上げた。
「如月くんが来てくれるんだなあって思ったら、待ってるだけでも何か、楽しかった」
「……」
ノックアウト。
この、幸福過ぎる感じをどう処理したら良いんだろうか。
「なんて、照れちゃうね。……如月くん?どうしたの?」
「何でもない……」
照れ臭そうに笑う瀬名が可愛くて、思わずそのまま腕の中に抱き締めると、瀬名がまた照れたように笑った。
「なな何?どうしたの?」
「……もう俺、何もいりません」
「はいぃ?」
「すげー嬉しい……」
瀬名だけいてくれればいい。他に何もいらない。……そんな気が、してしまう。
初めて抱き締めた腕の中、眩暈がしそうなほど鼓動が早くて、こうして触れているだけで幸せに思えた。……と、言うか、それ以上の何らかのことを、まだ瀬名に出来そうにない。こうして触れるだけで、精一杯だ。
「やだな、どきどきするな」
「俺だってそうだよ。……他のスタッフ、いないんだっけ」
「うん。もうみんな帰っちゃった」
「じゃあ、もう少しだけ」
ぎゅっと瀬名を抱き締めたまま、誰もいないライブハウスの中で、スピーカから遠慮がちに音楽が流れている。前の曲が途切れて、続いてかかった曲は、瀬名がいつも聴いているあの曲だった。
「瀬名って、本当にこの曲好きだね」
「うん。頑張る気が、満ち満ちてくる」
「……何か、まだ、夢みたいだ」
「え?何?」
「瀬名って、今、俺の彼女なんだよね」
瀬名が、腕の中で微かに首を傾げる。それを感じたまま、続けた。
「昨日からまだ、嘘みたいで……さっきまでまだ信じられてなくて……」
「……」
「とりあえず今、瀬名をこうして抱き締めてて殴られてないから、ようやく実感出来てきた」
俺の言葉に、瀬名が吹き出した。
「殴られるって」
「だってこれって付き合ってもない人にやったら、俺は今、間違いなく痴漢だと思う」
「そりゃそうだろうけどー」
くすくす笑いながら、瀬名が腕を伸ばした。今まで、ただ、俺にされるままでいた瀬名が、遠慮がちに俺の背中に腕を回す。
「大丈夫だよ」
「……うん」
「わたし、如月くんの、彼女だよ」
「うん……」
「何年ぶりの彼女?」
その突っ込みに、今度は俺が吹き出した。腕を少し緩めて、間近に見上げる瀬名の顔も、笑っている。
「内緒。……瀬名は、2年ぶりくらいなんだっけ」
「え、誰に聞いたの」
「自分で言ってたんじゃなかったっけ……。帰ろうか」
放っておくと、いつまでも瀬名を抱き締めていそうだ。ずっと触れていたい。ずっと、そばに感じていたい。
「うん。如月くん、ごはん、食べた?」
「本番前に軽く。瀬名は?」
「同じ」
「んじゃ、軽くメシでも」
「話の流れが何かおかしいよー」
「じゃあ軽く酒でも」
「おっけぃ」
俺の腕から逃れて、PA席に戻った瀬名が、音楽を止める。
手際良く片付けていく瀬名の姿に目を細めながら、腕に抱き締めたことでまた、瀬名への想いが増しているのを感じた。
少しずつ、好きになっていく。
笑ってくれるたびに、愛おしさが増していく。
「お待たせ♪じゃあ良いお店に連れてってあげよう」
もっと瀬名のことが、知りたいよ。
もっともっと、瀬名のことを知って……。
「瀬名が?じゃあ、お任せします」
そして、この先もきっとずっと、もっと、瀬名のことを好きに、なっていくんだろう。