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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
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第4話(1)

 東京に帰ってきて、またバイト三昧の日々が始まった。

 バンドが休止中だから、尚のことバイトしかすることが特にない。一応、復活に備えて曲を書こうとは思っているけど……何かな。テンションが上がらない。

 サイクロンの話は、休止するに当たってなし崩しに消えることになりそうだ。一応レーベルの担当者が喰らいついてくれていて、復活する時にはぜひとも連絡をくれと言ってくれているらしいが、あんまりアテにしては後で馬鹿を見るだろう。

 こっちに戻って来たら、『GIO』に顔を出してみようかと思ったりもしていたんだが、実際戻ってみるとなかなか足が向かなかった。行きたくないとか面倒だとか言うわけじゃない。何となく……何だろうな。何となくなんだよ。

 ただ、瀬名に何か避けられるようなことがあったのかなと言う考えが完全に消えたわけじゃないので……だったら、会って確認した方が早いのもまた、わかってはいるんだが。

(眠ぃ〜……)

 昨夜、以前会社に勤めていた時の同僚と朝まで飲んでしまったので、死ぬほど眠い。家についたのが、7時。今、9時半。死ぬ。

 小さく欠伸をしながら『EXIT』に向かって歩いていると、後ろから「すみませぇん」と追いかけてくる声があった。足を止めて振り返ると、知らない女の子が立っていた。

「Blowin'のギターさん、じゃないですか?」

「は?はあ」

 そんなふうに声を街中でかけられるとは、稀有な事態だ。良くご存知だと驚く。

 眠い目を瞬いていると、女の子は俺の周囲をきょときょとと見遣ってから、再び俺に視線を戻しておずおずと口を開いた。

「あの……今日は遠野さんはいないんですか?」

「……」

 だから俺は遠野のマネージャーじゃない。

「別にいつも一緒にいるわけじゃないし……。それに今、バンド自体活動休止中で」

「そっかぁ、そうですよねぇ……」

 それから彼女は、ちょっともじもじして俺を上目遣いに見た。

「遠野さんの連絡先とか、聞いたらまずいですよねえ……」

「聞いてもいいけど、教えてあげられない」

 本人から聞いてくれ。

「ですよねぇ……」

 当然だ。淡々と断ると、彼女は更に食い下がって、肩にかけたバッグの中から今度は封筒を取り出した。

「じゃあ、これ、遠野さんに渡して欲しいんです」

「いいけど……いつになるかわかんないよ。しばらく会う予定ないし」

「いいんです、お願いします」

 仕方なく受け取ると、彼女はにこっと嬉しそうに微笑んで、ぺこっと頭を下げると踵を返した。……一体。

 酒のまだ残る頭で何となくその後姿をぼーっと見送ってから、再びバイト先へ向かうべく、俺も踵を返し……。

 ……と。

「見ちゃったー」

「うわ」

 向き直った瞬間、そこに人がいてぼそりとそんなふうに言われ、ぎょっとして思わず俺は身を引いた。

 それから、それが誰かを認識した途端、心臓が跳ね上がった。

「瀬名……」

「おっはよー。朝からもてもてじゃーん」

 完全に予想外の遭遇で、時折、会いたいと言う想いが過ぎっていただけに、鼓動が過剰に加速する。

「べべ、別に……そういうわけじゃ……」

「隠すことないのに」

 瀬名は、いつも通りTシャツにジーパンだ。相変わらずのラフなスタイルのまま、肩までのウェーブの髪を後ろで無造作に束ねている。

「せ、瀬名はどうしたの。こんな時間からライブハウス?」

 何動揺してんだよ、俺……。

 思わず噛んだ口元を片手でそっと覆っていると、瀬名はきょろんっと目を上げて笑った。

「まさか。今日は『GIO』はお休みなんだー」

「そうなの?何で?」

「レコーディングに使うから、1日ライブハウス貸切なの。……で、せっかくオフだから」

 買い物にでも行くのかと思ったら、続いた瀬名のセリフにぶったまげた。

「小林さんのイベントの音響手伝わせてもらおうと思って」

 ……。

「オフなのに、仕事してんの?」

「うん。せっかくだから、いろいろやりたいじゃない。『GIO』がオフなら1日手が空くし、『何か手伝えることあります?』って電話したら、ちょうどデパートの前のスペースで新車のキャンペーンやってるって言うから。……ま、音響って言ってもナレーションのおねーさんのマイクとBGMやSEのポン出ししかないんだけど、それはそれで面白くて、わたし結構好きなんだ。大道具さんとかコンパニオンのおねーさんとかと、一緒にイベント作ってるって感じがして」

「デパート?」

「うん。あのね」

 本当に楽しくて仕方がないという顔で、瀬名が俺を見上げて某有名デパートの名前を告げる。

 全く、見上げた根性だ。呆れるやら、敬服するやら。

 こんな彼女に追いつこうと言うのが、無謀のような気さえする。……Blowin'が活動休止中の、今。

 それから瀬名は、ちょこんと首を傾げた。

「如月くんは?」

「俺はこれからバイト」

「そっか。……めげてない?」

「え?」

「なんとなく……。直接聞いてないけど、Blowin'って休止してんだって?」

 ああ……。

 そうだよな。瀬名はあの日休んでたんだし、あれ以来会う機会があるわけでもないから、直接言うチャンスには恵まれなかった。

「うん……まあ」

「だからね、めげてないといいなぁって思ったんだ」

 心配、してくれたんだろうか。そう思えば、嬉しい。瀬名が可愛く感じられて、思わず俺は瀬名の頭をぽんぽんと軽く撫ぜた。

「さんきゅ。別に大丈夫だよ」

「……そう?」

「うん。……瀬名さ」

「ん?」

 また、ゆっくり話とかしたいな。

 何てほど俺は大して面白い話が出来るわけではないけれど、だけど瀬名と話がしたい。そばにいたい。短い時間でも、一緒に、過ごせたら……。

「仕事の後とか、忙しいの?」

「え?今日?」

「……うん。まあ」

 良くわかっていないような顔で、目をぱちぱちさせてから、瀬名がまた小さく首を傾げた。

「今日はー……そんなでもないと思うけど。終わってすぐに帰れるだろうし」

「そうなの?撤収とかないんだ?」

「明日もあるから、今日は完全に撤収するわけじゃないんだって聞いてるよ。……何で?」

「だったらさ……良かったら、たまにはメシでも行かない?」

 誘う言葉に、自分でどきどきする。

 あんまりこういうことに慣れていないので、妙にしどろもどろな言い方になったような気がした。……あー、苦手だ、こういうの。だけど、こっちが瀬名を好きなんであって、瀬名がどう思っているわけじゃないだろうから、俺が何かしなきゃ瀬名といられる時間を確保することは不可能だろう。

 だったら、俺が動くしかない。

「ごはん?」

 瀬名が目を瞬いて、俺を覗き込むみたいに問い返した。

「ま、良かったらだけど……」

 嫌だって言われたら、かなりへこむな……。

 などと思いつつ瀬名の回答を待っていると、きょとんとしたままの顔をしていた瀬名は、不意ににこっと笑った。その笑顔に、どきっとした。

「行く」

「あ、ほんと?」

「うん」

 ……すっげー嬉しい。何か。別にメシ食いに行くだけだけど、でも、ライブとかバンドとか関係なしに瀬名と会えるってことだ。

(やった……)

 偶然ここで会えた幸運に、死ぬほど感謝。

 思わず笑みが零れる俺に、瀬名は腕時計を見遣ってから「うーん」と小さく唇を尖らせた。

「えっとね。イベントが5時に終了で、撤収なしだからー……6時には、多分ハケられると思うんだ」

「結構早いんだね」

「うん。屋外のキャンペーンだから、あんまり暗くなったりするとやってる意味なくなったりするし、結構5時6時には終わっちゃうんだよね。だから……」

「じゃあ俺、迎えに行くよ」

「そう?じゃあ、そうしてもらおうかな」

 そう言ってもう一度にこっと笑った瀬名は、ふと思いついたようにぽんと手を叩いた。

「あ、そうだ。仕事終わりだから、きっとわたし汗臭いよ。それでもいい?」

 言いながら、肩口の匂いをくんくんかぐ。……別に、今汗臭いわけじゃないだろう。

「いーよそんなの。……じゃ、後で、行くから。仕事、頑張って」

「うん、ありがと。如月くんもバイト頑張ってね。じゃ、またね」

 言って、瀬名が先ほどの女の子と同じ方向へ、小走りに駆け出す。その後ろ姿を見送りながら、心の中で繰り返した。

(やったー……)

 短い時間でも、十分だ。

 既にバイト終了後に頭の中がすっ飛びながら、俺も、にやつきそうな顔を抑えながら早足で『EXIT』へと向かった。


        ◆ ◇ ◆


 こういう日に限って、客が多い。

 普段はどこまでも閑散としているくせに、暑かったせいなのかひっきりなしに客が訪れ、この状態が続くと時間通り4時半にバイトを上がってしまうとマスターにえらい申し訳ないような気がするので軽く焦っていたんだが、4時を過ぎた頃になってようやく、客足が途絶えた。心臓に悪い。

 上がり時間になってバイトを終えると、『EXIT』から飛び出す。イベントは5時までだと言っていた。瀬名が『GIO』以外でしている仕事と言うのをどうしても少しでも見てみたくて、俺は人込みの新宿を東南口まで駆け抜けた。

 階段を足早に上がりながら耳を済ませると、マイクを通した女性の声が風に乗って聞こえてくる。セーフだ、まだやってるらしい。

「本日は、一足先に、ここに来てくださった皆様にだけ特別この冬発売のLECIOに試乗していただくことができます。LECIOは扱いやすいコンパクトなボディの中に、あらゆるコミュニケーションを楽しむことが出来るスリーバイツーを実現し、ご家族でもお友達でもゆったりと楽しむことが出来る新型のミニバンです。色はサテンシルバーメタリック、ミラノレッド……」

 そうか。新車のキャンペーンとか言ってたな。

 デパート前のレンタルスペースに近づくに連れて、ナレーションマイクの声が大きくなってくる。前方を見れば結構な人だかりが出来ていて、コンパニオンが数人、ピタピタのミニスカートで風船だとかパンフレットだとかを配っていた。よく覚えたもんだと感心するくらい長いセリフがひと段落すると、BGMがクロスフェードで切り替わって大きくなる。

 その頃になって会場正面まで俺がたどりつくと、コンパニオンのお姉さんのひとりが俺に風船を差し出してきた。

 ……いや……もらっても……。

 困惑しつつ勢いでつい受け取ってしまったら、まさか返すわけにもいかず、仕方なくそれを右手で持ったまま会場正面にあたる少し離れた場所で柱に背を預けてよりかかる。今この会場で流れている音――ナレーションのマイク、BGMが、瀬名の仕事だ。姿は見えなくても、これが彼女の仕事なんだな。

 ナレーションの女の子は役目が終わったらしく、車の周りにはコンパニオンの女の子と客、それから多分車のメーカーの社員らしきスーツ姿の男性が2名ほどだけだった。車が設置されたその奥に簡易テントが張ってあって、コンパニオンの女の子が時々そこへ消えていく。多分控え室代わりなんだろう。

 ……瀬名も、あそこにいるのかな。

 そう思ったところで、テントからパタパタと瀬名が駆け出てきた。俺には気がつかず、設置された2基のスピーカーの出音が交差するあたりに立つ。どうやら音のバランスを聞いているようだ。BGMに流している音を都度変えたりするから、多分その度に大きすぎないかどうか確認しているんだろう。小走りにテントへ戻ると、またパタパタと戻ってきてスピーカーを見つめる。それから、ふっと何かに気づいたように顔を上げてこっちを見た。俺に気がついて目を丸くする。

「如月くんッ」

「おつかれ」

 俺の側までやってくると、瀬名は苦笑しながら俺を見上げた。

「早いねー。まだ終わんないよ」

「うん、わかってるよ。どんな仕事してんのかなと思って、見物に来た」

「見物って……嫌な言い方〜。しかも風船もらってるし」

 軽く吹き出し、それから俺の腕を引っ張った。

「おいでよ、せっかくだから。小林さんにも会ってけば?」

「え、仕事の邪魔だよ」

「そんなことないよ、大丈夫。もう今日はナレーター終わりで、時間までBGM流したら後片付けするだけだから」

「そうなの?」

「うん」

 強引に瀬名に押し切られ、車の周りの人だかりを抜けるとテントに連れて行かれる。中では久しぶりに見る小林さんが、小さな卓の前のパイプ椅子に座って、何かのCDのジャケットをパラパラと見ていた。

「おかえり……あれ?君……」

 俺の顔を見て、小林さんは一瞬きょとんとした顔をした。

「こんにちは」

「『GIO』でよく演ってたバンドのコだよね。ええと、Blowin’のギタリストくんだ」

「はい。……その節はお世話になりました」

「うまいバンドは覚えてるんだよ、僕。瀬名ちゃんと仲いいの?」

 後半は俺にではなく瀬名に向けて言いながら、椅子をひとつ分ずれて俺の分を空けてくれた。

「あ、すみません……」

「この後、ご飯食べに行く約束してて。で、そこに来てたから引っ張ってきちゃったんです。小林さんも知らない人じゃないし」

 屈託なく瀬名が説明しながら、散乱したCDをケースに戻していく。

「あ、そうなんだ。いいねえ、若い人は」

 若い人って言われても……。

「はあ……」

 他に答えようがなく、それだけ言ってあとは黙って椅子に座っていると、テントの入り口が開いて女の子達がぞろぞろと入ってきた。コンパニオンをやっていたコたちらしい。不思議そうな顔で俺を見ながら、口々に「こんにちわー」「おつかれさまー」と声をかけてくれる。どうやら関係者と勘違いされているようだ。……それはそうだよな。偉そうにテントの中の椅子に座り込んでるんだから。

 仕方ないので、「お疲れ様です……」とか意味不明に頭を下げてると、女の子たちが奥のカーテンで仕切った向こう側にいなくなるのを見計らって瀬名が俺を肘でつついた。

「そっち、コンパニオンの着替え場所だからね。覗いちゃダメだよ」

「じゃあ教えるなよ、そんなこと」

「瀬名ちゃん、ちょっと外の客の様子見てきてくれる?」

 小林さんに声をかけられて、瀬名が立ち上がる。そうか、コンパニオンが捌けてきたってことは、イベントらしいイベントはもう終わりってことだもんな。あとは多分、だらだら残っているお客さんが終わりの空気を察知して適当にバラけるまでBGMってところか。

「あの」

 勝手にそんなふうに考えていると、背後から突然声がした。振り返るとさっきぞろぞろと入っていった女の子のひとりが、カーテンの隙間から顔だけちょこんと出している。

「はい」

「音響の方ですか?」

「え?いや……」

 無関係の者ですというは、やっぱり変だろうか。……変だよな。かと言って俺、関係者じゃないんだが、何と答えたものだろう。返答に思い悩んで沈黙をしていると、彼女は何をどう受け取ったのか、勝手に続けた。

「この後みんなで一緒に打ち上げとか、行きませんか?」

「は?」

 そこへ、瀬名が飛び込んできた。

「もうほとんど客はけてきたみたいですよ。スピーカー、少し高さ下げてきました」

「ああ、ありがとう。じゃああと2曲回したら終わっちゃおうか。寺田さん、ドコ行った?」






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