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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
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第3話(3)

「亮くんはどんな状況になったって、彗介くんのことをとても一生懸命考えてくれるはずだし、それから出た結果は、彗介くんもきちんと亮くんの人生として受け止めることが出来ると思うし、逆もきっとそうだと思います。……お互いが、お互いの選択を、きちんと受け止められる関係を築いていると信じていますよ」

「……」

「それは現実に負けると言うことではないんです。……現実を受け止めると言うことなんです。そして彗介くんが今しなければならないことは、現実に負けて逃げることじゃない、納得のいく現実を作り上げていく為に出来ることを考える、ということなんだと思いますよ」

 答えない俺に、親父が立ち上がった。立ち上がってそのまま、俺の肩をばしっと叩いた。

「悩むのは良いことです。悩んで下さい。大人になった証拠です」

「あのなぁ……」

「他人に迷惑さえかけなければ、僕は彗介くんを信じてます。まだ若いんですから。自分の人生、納得行くように生きて下さい」

「……うん」

 自分の人生……。

 ……納得、いくように……。


        ◆ ◇ ◆


 次の日、目が覚めると親父は既に仕事に行っていて、幸太は幼稚園へと行っていた。キッチンに弘美さんが用意してくれていた朝食を食べて後片付けをすると、店の方へ降りていく。

「あ、おはよう。彗介くん。起きたの?」

「うん。ごちそうさまでした。……何か、手伝うよ」

「そう?」

 店は、キッチンの隣の小さな土足のスペースからそのまま繋がっている。サンダルを引っ掛けて顔を覗かせた俺に、店にちょうど来ていたらしいオバサンの客が顔を向けた。

「あらあら。彗介くんなの?」

 誰だ。

「大きくなったわねえ。しばらく見かけないうちに」

「本当にもう、出てったと思ったら成人して帰ってくるんだもの。薄情なもんよー」

「あらそう。そうよねえ、彗介くんももういくつ?21?22?」

「23よ。……おリボン、どうします?」

「あら、このピンクの可愛いのが良いわねぇ……」

「……」

 だから誰なんだよ。

 居心地が悪いまま逃げるわけにも行かず、そのままそこに立ちすくんでいると、やがてオバサンは弘美さんからラッピングした花束を受け取って出て行った。憮然としたままの俺を振り返って、弘美さんが笑う。

「どうしたの?」

「誰」

「畑崎さんとこのおかーさんよ」

「誰だっけ、畑崎って」

 店に客がいなくなったのを見て中に入っていくと、弘美さんはラッピングに使用したリボンの残りを巻き取りながら答えた。

「彗介くんの2コ下くらいだったっけ?愛子ちゃんて、ほら……」

 知らん。いや、聞き覚えはあるから知っていたんだろうが、もう覚えてない。

「手伝ってくれるの?」

「何もしないわけにはいかないだろ。することがあるわけじゃないし。手伝うよ」

「じゃあ覚悟した方が良いわねー。お客さんはみんなご近所さんだもの。しばらく珍獣扱いされるわよ」

「……俺、やっぱり……」

「手伝ってくれるのよねぇー」

「……」

 やめときゃ良かった。

 弘美さんの店は駅前にあるわけじゃないから大繁盛とはいかないが、それでもぽつぽつと近所の人間が遊びがてら顔を覗かせる。おかげで弘美さんの宣言通り、俺は半ば珍獣のように「あらぁ」「大きくなったわねぇ」「今どこにいるの?」「お仕事は?」「ご結婚は?」などと、そんな情報得たところであんたの人生にメリットはないだろうとしか思えない情報を搾り取られる羽目になった。居心地が悪い。

「疲れたでしょ?休憩していいわよ。棚にサンドウィッチ作ってあるから」

 花屋の仕事と言うのは、結構重労働である。しかも花の仕入れなんかは朝が早い。毎日やっている弘美さんを尊敬する。

 ショーウィンドウの中の水の入れ替えをしていた俺は、弘美さんの言葉に立ち上がった。思い切り伸びをして、レジの方へ足を向ける。いっつも休憩なんかはどうしているんだろう。俺が家にいた頃は、バイトをしているコがいたが、今もいるんだろうか。

 手を洗ってキッチンを覗く。言われてみれば、棚の中にラップのかかったサンドウィッチの皿が入っていた。働き者の母親だ。

「弘美さん、今は店、ひとりでやってんの?」

「今は?」

「前は何か女の子いたじゃん。何だっけ、名前忘れたけど」

 顔も忘れたけど。

「ああ。あのコはもうやめちゃったけどね。今はまた別のコがひとり手伝ってくれてるわよ。そんなに忙しい店でもないし。……もう少しで来るかな」

 皿ごと持って齧りつきながら店を覗く俺に、弘美さんはレジのレシートを入れ替えながら答えた。

「全部食べちゃっていいからね」

「弘美さんは食べないの?」

「わたしは別に作ってあるから。それは彗介くん用。足りる?」

「うん。ありがとう」

 素直にありがたく綺麗に食べ終えると、後片付けをしてまた店に戻った。と、ほぼ同じタイミングで店に若い女の子が入ってきた。

「おはよぉございまぁ〜す」

 俺と年は余り変わらなさそうだ。紺のキャミソールにピンクのシースルーを着て、お洒落にジーパンをはきこなしている。ゆるくウェーブのかかった栗色の長い髪を後ろでひとつにまとめていて、今風の化粧をほどこしたなかなか可愛らしい感じの美人だ。それに、体の起伏がかなりはっきりしている……グラビアアイドルばりのスタイルだ。目が行く。目の保養を通り越して、目の毒だ。

 くだらない俺の動揺に気づくはずもなく、弘美さんが彼女に笑顔を向けた。

「おはよぉ」

 どうやら彼女がバイトの女の子らしい。彼女は家の方から姿を現した俺に目を留めて首を傾げた。

「弘美さん……いくらなんでも年下の彼氏、家続きの店舗に連れ込んじゃまずいですよ」

「……」

 そういう判断をされるとは予想外だ。

 彼女の言葉に、弘美さんがレジカウンターに突っ伏して笑い転げた。

「素敵な彼氏でしょ」

 乗るな。

「えぇ〜。ホントに〜?やるぅ、弘美さん」

「真に受けないでよ。ウチのもうひとりの息子の彗介くんよ。普段は東京にいるの」

「え、息子!?」

 ああ、居心地が悪い……。

 無言で会釈をする俺に、彼女が目を大きく見開く。それからこっちに向かって歩いてくると、カウンターの裏に回って荷物を置いた。無造作に前屈みになられると大きく開いたキャミソールの首周りが緩んで、目のやり場に困る。少しは気を使ってくれ。

「だって弘美さん、今31でしょ?いくつん時の息子よ?それとも、フケて見えるけど実はまだ中学生くらいだったりすんのかしら」

「23だよ」

「じゃあ弘美さん、8歳の時に生んだの?凄いのね」

「やるでしょ?彗介くん。ウチのバイトの麗名ちゃんよ。蓮池麗名ちゃん」

「初めまして……」

 改めて紹介をされてしまったのでもう一度、今度は短い言葉とともに会釈をする。蓮池は無遠慮にじろじろと俺を覗き込むように見た。ここでも俺はまた珍獣だ。

「へえー。んじゃあ、義理の息子ってこと?旦那さん心配しない?」

 義理とはいえ息子相手に親父が何を心配すると言うんだ。俺は母親に手を出すほど節操なくはないつもりだが。

 反論する気もなくして、俺がため息をついていると、弘美さんがちょっとにやにやとしながら蓮池に言った。

「ウチのコ、かっこいーでしょ」

「うんうん、かっこいー。タイプタイプ」

 軽いなー……。

 それ以上付き合っていられずに、俺はショーウィンドウの中の水遣りを再開することにした。肩を竦めて店に下りる。

「麗名ちゃん、裏から鉢を持ってきてくれる?今日新しいの仕入れてきてるから」

「はぁーい」

「彗介くんはちょっと頼まれてくれるかな」

「いーよ。何」

 ウチは、家の裏側のほうに花屋の倉庫になっている場所がある。蓮池が店を出て行くと、弘美さんが俺にも声を掛けた。

「ちょっと買い物と配達をお願いしたいの」

「ああ。いいよ」

「場所はわかるわよね」

「うん」

 ショーウィンドウに手を掛けかけた俺は、そのまま振り返って弘美さんがこちらに放った車のキーを受け止めた。それを片手で鳴らしながら、弘美さんの差し出すメモを受け取る。

「これ買ってくればいいの?」

「そう。ちょっと重いかも」

「別に手で運んでくるわけじゃないから関係ない。トラック、裏?」

「うん。お願いね。……あ、ついでに麗名ちゃん、重そうだったら手伝ってあげて」

「はいはい」

 メモをポケットに突っ込んで店を出る。ぐるっと家を回って庭から家の裏手に回ると、小さなビニルハウスと物置小屋のような空間になっていてどこか雑然としている。その隅で蓮池がしゃがみこんでいるのが見えた。トラックがあるのはそのすぐ横だ。

「何してんの」

「虫がね、ついてるから」

「へえ。そういうの平気なんだ」

「ん……平気じゃなきゃ出来ないよ」

 それもそうだ。

 近付いて覗き込んでみると、いくつか並ぶ鉢にナメクジが見え隠れする。

「これ、みんな運ぶの?」

「うん。虫を取り終わったら」

 蓮池は、顔も上げずにナメクジと格闘している。何となくその横にしゃがみこんで、ついつい眺めてしまった。今風の若い女の子がナメクジと戦っている光景はなかなかない。

「それにさあ」

 隣にしゃがみこんだ俺に、蓮池は葉っぱをめくったりしながら続けた。

「虫って可愛いよね」

「……」

 取り立てて憎いとも嫌いだとも思ったことはないが、逆に愛情を注ぐ機会もなかったので答えようがない。

「そうか?」

「そりゃあ大事なお花、食い荒らされたりすると困るんだけどさ……一生懸命生きてる感じするじゃない。こんなちっちゃいのに」

「大きさは関係ないだろうけど」

「そう?こんなちっちゃいのに、ちゃんと生き物として成り立ってんだよ?」

「はあ」

 それきり蓮池は、次々と鉢植えのナメクジを取り除いていく。こうして見てみると、きっちりお洒落しているくせに爪とか短くてマニキュアも塗っていなかった。そりゃあこういうバイトしてるんだから、そんなことしてらんないだろうけど。

 見た目からすると、「武器か?」と聞きたくなるような魔女みたいな爪をしててもおかしくないので、そのギャップが妙に面白い。

「爪、短いんだね」

「だって伸ばしてもしょうがないでしょ。汚れるし折れるし植物に傷つけるし」

 それからふっと顔を上げる。

「やっぱり綺麗に伸ばしてるのとか、好きなタイプ?」

「俺?別に。伸ばしたきゃ伸ばせばいいけど、たまに異常なのいるじゃん。限度問題」

 しゃがんだ自分の膝に肘を乗せて、片手で顎を支えて答えた俺に、蓮池が笑った。

「そう?」

 笑う蓮池の指の上を、ナメクジが上る。あまり気持ちが良いものじゃない。が、蓮池はけろっとした顔でそれを摘むと捨てた。

「……可愛いとか言って捨てる女」

「育てるわけには行かないのよ。商品だもん」

「変わってんね」

「そう?」

「うん。……これ、店に運べばいいの」

 蓮池ひとりで運ぶには重そうだ。普段は俺がいないんだから別に今更なんだろうけど、立ち上がりながら尋ねると蓮池が頷いた。俺を見上げて嬉しそうに笑う。

「手伝ってくれるの?」

「うん」

「変わってるのは、駄目?」

 ナメクジ取りは終わったらしい。蓮池に示された鉢を持って歩き出した俺に、蓮池も鉢をひとつ持って続く。

「は?」

「変わってる女の子」

「……」

 店のほうに足を向けながら、答えに迷う。真剣に答える必要はないだろうが、だけど……。

 瀬名の姿が、過ぎった。

 思えば、瀬名も大概変わってるよな。普通の女の子が、ライブハウスでエンジニアをやりたいと思うとは考えにくい。化粧も出来ず、お洒落も出来ず、時にはスピーカなんか運んだりしながらジーンズにスニーカーで走り回って。

 ……だけど、真っ直ぐ前を見て、きらきらして。

 綺麗に着飾った女の子より、俺には数段……可愛く……見えて。

「そんなことないよ」

「そう?」

「少しくらい変わってる方が、刺激があるんじゃないの」

「刺激?」

「うん。行動的とか積極的とか、いろんなものに興味持ったりとか人と視点がちょっと違うとか。待ちの姿勢の人はあんまり面白くない」

 瀬名の姿を見ていると、触発される。俺も頑張らなきゃと思える。女の子らしく可愛くってのも悪かないけど、今はそういうのに目が行かない。

 そばにいると刺激を受ける、そういう瀬名のような女の子が『変わってる』のなら、俺は変わってるコの方が好きなのかもしれない。

「そっか」

 次に瀬名に会えるのは……いつになるんだろうな……。


        ◆ ◇ ◆


 実家に戻って3日目。

 今日の夕方に東京へ帰るつもりでいる俺は、その日も朝から弘美さんの店の手伝いに駆り出されていた。何でも今日は、注文がいくつか重なって忙しいらしい。

 せっかく数年ぶりに戻っているのだから、連絡を取ってみたい奴だっていないわけではないが、これも親孝行だろう。普段何をしてやるわけじゃないのだから、今回は手伝いに専念することに決めて、弘美さんにこき使われている。

「……で、裏にね、白いポリタンクがあるから、ちょっとそれを運んで来てくれる?」

「はいはい」

「麗名ちゃん、保水用のクロスって在庫あったっけ。切らしてた?」

「んー……あ、もう残り少ないみたい。後で買って来ますよ」

 いくつかまとまってあった花束と花籠の注文が昼過ぎに俺の配達によってはけていき、3時を過ぎてようやく一息つくことが出来た。後は近所の小口の注文が2、3あるだけらしく、今更にして昼食を取ることが許された。

「彗介くん、麗名ちゃんとお昼、行ってきていーわよ」

「ん……え?」

 ショーケースのガラス扉を閉めながら、思わず蓮池と顔を見合わせる。

「いーよ、俺。そこでカップラーメンでも食うから」

「何よ。せっかく母が気を利かせてあげてるのに。若い女の子と触れ合う良い機会じゃないの」

 キャバクラ通いにはまっている中年親父みたいに言わないでくれ。

「だって彗介くん、彼女いないんでしょー?英介さんに聞いたわよー」

「うるさいな」

「どうせ麗名ちゃんだってお昼食べるんだもの」

「あのー……でも2人で抜けちゃって、いーんですか?」

 蓮池が遠慮がちに言うが、弘美さんはひらひらと片手を振りながら足元のバケツから花を抜き出してカウンターに並べた。

「いーわよ。後は、戻って来たら長谷川さんトコの花束、作ってあげてくれる?6時頃取りに来るって言ってるから」

「はい。りょおかいです」

「彗介くん、男の子なんだから麗名ちゃんに奢ってあげるのよ」

 剪定鋏を取り上げながらにやにやと言ったお節介な母親は、片手で口元を隠すように付け足した。

「後でおかーさんが払ってあげるから」

「……」

 筒抜けだ。

 蓮池はけたけたと笑って、自分の太腿をばんばんと叩いている。

「……いーよ。わかったよ。奢ればいーんだろ。別にいらないよ」

「あとね、クロスとホイルと、フラワーケースを10個くらい買ってきてよ」

「10個お!?」

「だってせっかく彗介くんがいるんだもん。麗名ちゃんに見立ててもらって、買ってきて。よろしくね〜」

 俺と蓮池をセットで追い出す目的はそこだろう。

 じとっとした目で抗議してやるが、にこにこと笑顔で黙殺する弘美さんに、仕方なく俺は軽トラのキーを取り上げた。短く「行ってきます」と言いながらため息混じりに外へ出て行く俺に、水道で手を洗った蓮池が慌ててついて来る。

「とりあえず、浜松行けばいーんだろ」

「あ、八釖神社を越えた辺りにね、ガーデニングとかのお店があって。そっちが良いと思うよ」

「八釖神社?ああそう……あっちって何かメシ食えるところあったっけ」

「うーん、ファーストフード……あ、天王病院の方のイオンの中に何かあるんじゃないかなー。カフェとか」

「じゃあついでだから、そっちまで行くか……」

 それぞれ車に乗り込んでエンジンをかけると、蓮池が不意に吹き出した。

「何?」

「ううん。弘美さんって、おっかしーの」

「ああ……」

 ま、あの親父と結婚してるくらいだからな。ちょっと変なくらいでちょうどいいんだろう。

「彗介くんって、彼女いないんだー?」

 蓮池に言われるまま、八釖神社の方へ向けて車を走らせる俺に、助手席から蓮池がにやーっと笑って尋ねた。

「何か悪い」

「悪くない、悪くない。わたしだって彼氏がいるわけじゃないもん」

「あ、そう」






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