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Distance〜夢までの距離〜  作者: 市尾弘那
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第2話(5)

「そうなのか?」

「うん。噂だから本当かは知らないけど。『サイクロン』の店員がそんなこと言ってたって話。でもだから、最終選考まで残れれば、『サイクロン』駄目でももっとでかいレコード会社、引っかけられるかもしれない」

 そんな夢のような。

 あっけに取られる俺と北条に、木村はにこっと笑いかけて続けた。

「俺、Blowin'ならどっか食いつくと思うな。頑張ってよ」

「……うん。さんきゅ」

「んじゃなー。スタジオ頑張れよ。あ、亮にも飲みに行くぞつっといてー」

 そんじゃらりほー、などとわけのわからん挨拶をして歩いていく木村を見送り、沈黙のまま北条と顔を見合わせた。それからお互いに小さく吹き出す。

「……変な奴」

「うん。だけど……」

 嬉しいよな……。

 同じ、バンドをやっている奴に言われるなら、一層。

「……何とか今日中に仕上がると良いな」

「そうだね」

 今日中に仕上げて、投函できるところまで持っていければいいな。

(でかいレコード会社か……)

 いきなりそんな大きなことを目指して応募を決めたわけではないけれど、ひとつのチャンスには違いない。

 どういう結果になったとしても、何かの経験値のひとつにはきっと……なってくれるだろう。


        ◆ ◇ ◆


 『サイクロン』への選考用音源を提出し、返事を待ちながら日常を送ること10日、まだ募集期間にも関わらずエクストリームからの色良い返答が返ってきた。

 それも書面通知ではなく、遠野のところに担当者から直接だ。

 いわく、本来ならば応募を締め切ってからまとめて第一選考通過の通知をする予定だったのだが、大変気に入ったのでぜひとも次の選考に参加して欲しいとの熱烈プッシュだったと言う。

 ようやく、風が上向きになってきたのかもしれない。

 まだ、確定じゃない。だけど、ライブを見てもらった方が気に入ってもらえる自信がある。

――そんなふうに思っていた、その矢先のことだった。


「……彗介?」

 PRICELESS AMUSEのライブのヘルプが今月の15日……明々後日。その翌日に『GIO』でのBlowin'のライブ。来月には『サイクロン』の二次選考。

 マスターが無事沖縄から帰ってきてくれたので、俺はようやくキャベツから脱出し、賄いのありがたさを噛みしめている。

 今日の夜にPRICELESS AMUSEとスタジオに入ることになっている俺が、『EXIT』での仕事を終え、スタジオまでの数時間を家で潰そうと部屋に到着した途端、見計らったように電話が鳴った。

「ああ……遠野」

 受話器を片手に窓を開ける。閉め切っていたせいで、日中の籠もった空気が部屋を蒸し風呂のようにしていた。9月じゃあまだ日が高いうちは暑さも厳しいが、夕方になれば時折涼しい風も入ってくる。

「どうした?」

 風通しを良くする為に、ドアまで開け放つとようやく清浄な空気が部屋の中を通った。風の流れが俺の髪を僅かに揺らす。そんなことに気を取られていたせいか、一瞬遠野の言葉を聞き逃した。

「……え?何?」

「今からそっち、行っていーか」

「いいけど……」

 遠野の声音に不審感を覚えながらも、頷く。いつもどこまでも軽いノリの男なのに、妙に硬い声をしているように聞こえたのだ。

「俺、8時からスタジオ行かなきゃなんないけど」

「スタジオ?」

「PRICELESS AMUSE」

「ああ……うん。平気。そんなに時間かからないと思う」

「……そうか?」

 ますます不審だ。

 じゃあ待ってるわ、と電話を切って、何となく俺はその場に突っ立ったまま切れた電話を見つめていた。

 別に遠野がウチに来るのは、変なことじゃない。唐突に「今から行く」と言うのも、しょっちゅうではないがないわけでもない。

 が、その場合、理由としてはBlowin'の件であったり、曲を詰めに来るんであったり、あるいは暇つぶしであったり……いずれにしても「そんなに時間がかからない」と言われるような内容ではなかったりする。

 何か、明確な用事があるような雰囲気じゃないか。

「……」

 どことなく嫌な気がしながら、シャツのポケットから煙草を引っ張り出した。立ったまま咥えて火をつけたところで、ドアのところに人影が射した。

「こんこーん……お前って意外と開放的な奴……」

「何だ。早いな」

「ああ、うん、まあ……」

 開け放したままのドアに呆れたように寄りかかりながら、遠野がそこに立っていた。俺が招じ入れるまでもなく勝手に中に入ってくる。

「で、このドアは開けとくべきものなの?」

「ああ……もういいや、しめても」

「何でこんな全開にしてんの?大掃除でもしてたんかい」

「や、今さっき帰ってきたら部屋の空気が淀んでたから」

 あ、そ……と短く答えながら、遠野は片手に持った缶コーヒーを俺に向けて放った。手土産らしい。それを受け止めている間に、遠野はドアを閉めて部屋に上がりこんだ。

「確かにあちぃな、この部屋」

「だろ。……扇風機ならあるけど」

 エアコンなどと言う高級品は持っていない。夏は暑く冬は寒いのが人間の生き様だ、と己に言い聞かせることにしている。

 一応来客の範疇に入るだろうと言うことで扇風機を回してやると、遠野は小さく笑いながら「さんきゅ」と呟いた。……やっぱり何か変だな。

「何だよ?」

 煙草を咥えたままで、もらった缶コーヒーのプルリングを引きながら床に座る。同じく床に座って自分の分の缶コーヒーのプルリングを指先で弾きながら、遠野は元気のない表情で「うん……」と頷いた。

 これは、どうやら相当のことのようだ。

 顔色を見て、そんなふうに少し構える。だてに中学から付き合いがあるわけじゃない。確かに俺は人の顔色だの様子だのには激しく疎い傾向にあるが、遠野のことまでわからないほど浅い付き合いじゃない。

「……」

「何か話、あるんだろ」

 俺の問いに、遠野はますます苦い表情で押し黙った。嫌な予感が胸に募る。これは……ちょっと……覚悟をした方が良いのかもしれない、何にだかわからないが。けど。

 ……遠野が俺にこんな表情を見せて口ごもるとしたら、Blowin'のことしか考えられないじゃないか。

「……」

 遠野はしばらく、言葉を探すように黙ったままだった。俺が煙草を灰皿に押し付けるのと入れ替わりに、煙草を咥えて火をつけながら口を開きかけては閉ざす。それを繰り返すその様子を、俺も黙って見ていた。

 遠野が口を開いてくれないことには話が進まない。これが逆の立場なら、遠野がうまいこと導いてくれるんだろうが俺にはそんな芸当は出来ないし、遠野もそんな技を俺に期待しているわけもない。

 黙って、コーヒーを口に運ぶ。扇風機が狭い部屋の生ぬるい空気をかき回しては、遠野の前髪を巻き上げるのをぼんやりと見ていた。

「あのさ」

 煙草を1本吸いきってからしばらくの時間を置いて、遠野がようやく重い口を開いた。

「何から話せばいいのか、良くわからないんだけどさ」

「うん」

「……」

「……」

「……尚香が、妊娠、した」

 がたんッ。

「あ、悪い」

 驚いて、テーブルの下に潜り込んでいた膝がテーブルの天井に激突した。凄い音を立ててローテーブルが揺れ、その上に乗っていた灰皿が飛び跳ねて金属的な悲鳴を上げる。

「何……?」

 目を見開いたままあっけにとられて問い返す俺に、遠野は顔を伏せた。……尚香ちゃんが、妊娠?

「……」

「結婚、しようかと思ってる」

「……」

 結婚……。

 余りに考えてもいなかったことを次々と言われて、俺はそれを自分がどう受け止めるべきなのかがわからなかった。「おめでとう」とでも言うべきことなのか?これは。尚香ちゃんが妊娠して……結婚して……。

――Blowin'は?

 ようやく、遠野が硬い表情をしていた理由に思い当たる。遠野が言おうとしているのは、それだ。本題は尚香ちゃんの妊娠でも遠野の結婚でもなく、この先。これから語られる話の内容……そっちが、本題だ。

「……で?」

 嫌な予感に、背筋が緊張した。そんな様子を見せまいと、煙草に伸ばした手が微かに揺れる。

 ……嘘だろ?

 まさか。

 よぎった予感は確信に近く、そこから目を逸らして俺は遠野の言葉を待った。

「俺、しばらくバンド活動から離れようかと思ってる」

「……」

「……」

 予想通りの言葉に、無意識に顔を顰めたのがわかった。それを見せたくなくて、煙草に火をつけるふりで顔を伏せる。

 遠野が、Blowin'から、いなくなるのか?

 その言葉の意味が頭の中で形をとるのに、少し時間がかかった。今までもいろんなバンドを見てきたし、メンバーがころころ変わるバンドや、果ては解散するバンドもいくらでも見ている。

 けれど、それを俺自身に置き換えることは出来なかった。かつて経験したからこそ、もう二度と想像さえしたくないことだった。俺と歩調を合わせて音楽を作っていける奴は、遠野以外にいないんだと身に染みて知っている。

 しばらく返す言葉を思いつけなくて黙っている俺に、遠野も黙っていた。

 何か、言わなければ。

「それは、どういう意味?」

 言葉を選び、ようやく口に出す。『しばらく離れる』と言ったその意味を正確に掴まなければ、俺自身返す言葉も判断もつけようがない。

 先ほどの遠野のように煙草を1本吸いきってから尋ねた俺に、遠野はテーブルに肘をついた片手を赤い前髪に突っ込みながらため息混じりに答えた。

「どうって……」

「……」

「……そのままだよ」

「それじゃあわからないだろ」

「……」

「やめるのか?」

「……」

 真っ向から尋ねた言葉に、遠野はまた答えに詰まるように缶コーヒーを手に取り、あぐらをかいたその両膝に両肘を乗せた。手の中で缶コーヒーを弄ぶ。

「俺はさ……尚香のことを凄く大事に思っててさ……責任とかそういうのじゃない、俺自身の気持ちとして、結婚するって決めたんだ」

「……」

「そりゃあ時期ってのがあって、本当はそれが今じゃないべきなんだとは思うけど、妊娠って言う選びようのない……選ぶしかない状況になっちゃったから……俺は、尚香を失えないし」

「……」

 やや遠回りな回答を口にする遠野の声を、俺も黙って聞いていた。落ち着かなくてまた煙草に手を伸ばす。

「だから、結婚する。って言っても籍入れるだけだけど。とりあえずは」

「……うん」

「けどさ。……出産って金かかるんだよ」

「……」

 それは、知っている。

 ……いや、俺は出産などしたことがないので知っていると言ってしまえば語弊はあるだろうが、まあ何となくそうだろうということくらいはわかる。

「俺は親アテに出来ないし、尚香の親アテにするのも、嫌だし。そのくらいは……尚香に何もしてやってないけど、俺の子供なんだし、その費用くらいは俺が出す。……けど、知っての通り、俺に余分な金なんて、今はまったく、ない」

「……うん」

「だから、1年。生まれるまでの1年。働くことにだけ集中しようかと思ってるんだ。バンドも遊びも何もなく」

 ……1年。

 その言葉に、俺は顔を上げた。じゃあ……。

「1年、なんだな?」

「うん」

「……」

「……」

「……」

「彗介は、続けろよ。Blowin'」

「……え?」

 その言葉に、眉を顰めた。……どういう……。

「『サイクロン』の担当者が買ってくれてる。固定ファンがついてきてる。今ここでBlowin'そのものが活動停止なんかしたら、大打撃だ」

「……」

「ごめんな。お前と続けたかったんだけど」

「……ばーか」

 明確に「やめる」と言わなかったわけを理解して、苦い思いの反面ほっとした。

 遠野は音楽を諦めるつもりも、Blowin'を抜けたい気持ちもあるわけじゃない。

 ただ、『1年休止する』ことを自分だけじゃなくBlowin'に強要することで生じるデメリットを考えて、Blowin'から手を引こうと考えているのだろう。それが、決して本音でも望みでもないにしても。

「何だよそれ……」

「1年待てばいいんだろ」

 出来るだけ何でもないことのように淡々と言いながら、さっき手にした煙草のパッケージから新しい煙草をまた1本抜き出した。視界の隅で、遠野が無言で顔を上げて俺を凝視しているのがわかる。

「何、勝手に過去形にしてるんだよ。俺と続けたいんだったら、俺と続ければいいんじゃないか」

「……けど」

 わかっている。遠野の考えは決して間違いじゃない。アマチュアバンドのファンなんか、いていないようなものだ。風に吹かれれば飛ばされるような儚いもの。時流の中に、留まることがいかに難しいか。

 『サイクロン』のようなチャンスだって、そうそう何度も訪れるわけがないことも、何年もこの東京でバンド活動をしている俺にだって痛いほどわかっている。これを逃せば、もしかすると次はもうないのかもしれない。

 けれど。

「俺が聞きたかったのは、遠野があきらめて、尚香ちゃんと子供の為に定職を探すのか、それともこれからもまだあきらめるつもりはないのか、それだけだ」

「……」

「お前があきらめないでまた戻ってくるなら、俺は待つよ。お前の後ろ以外でギターを弾くつもりはない」

 俺は、そう決めてしまっている。

 音楽をやりたいと、この先もずっと夢で食っていきたいと、そう願ってやってきた。それはどういうことなのかと言えば、自分の好きなことを楽しいと思える環境で続けていきたいと言うことだ。

 遠野の声の後ろ以外で弾くギターは、俺にとっては苦痛でしかないことはもう……十分知っている。

 今のBlowin'でなければ、俺にとって夢を追い続ける価値がなくなる。

「彗介……」

 遠野が目を見開いて、呆然としたような表情で顔を横に振った。

「馬鹿、お前……俺に付き合ってどうするんだよ。Blowin'をこのまま維持した方が、お前の為だろ。他のヴォーカル、入れればいい……」

「お前が歌う意志があるなら、俺は他の奴の後ろで弾くつもりはないって言っただろ」

 上手いヴォーカルならいくらでもいるだろうさ。それはその通りだろう。だけど、『俺にとって』は遠野以外に代わりがいないんだから、仕方ないじゃないか。

 遠野が、もう歌わないのなら仕方がない。それならそれはそれで、俺は何か考えなければならないだろう。

 だけど遠野はもう歌わないと言っているわけじゃない。いつか、また歌う。その時には、俺は誰の後ろで弾いていたとしても、きっと遠野の後ろに戻ってしまうだろう。

「別に、お前に付き合うわけじゃない。俺がそうしたいのにお前が歌わないんじゃ、俺は待つしかないじゃないか」

 そっぽを向いて敢えてそっけなく言うと、遠野は缶を握り締めたまま呟いた。

「……ありがとう」

「その代わり、藤谷と北条は知らねぇぞ。いなくなるかもしんないし、それはあいつらの考えがどうだか知らないから。けどまあそしたら……」

 俺が続けるセリフが読めたのだろう。遠野が目だけ上げて、小さく笑った。今日、初めての笑顔だ。

「……リスタート」

「だろ?」

「今更……か。元々2人で始めたんだもんな。……彗介がいてくれれば、とりあえずどこからでも始められるか」

 窓の外、夕闇に染まっていく空に細めた目を向けながら呟くように言って、遠野は俺に視線を戻した。

「ごめんな。俺、尚香だけは、ちゃんと大事にしたいんだ」

「……知ってるよ」

「うん……。だから……」

 ありがとう、と、遠野はもう一度、俺に向かって頭を下げた。











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