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予備校があるらしい黒木場先輩と別れる。
視聴覚室は相変わらず楽器講座で賑わっていた。参加すべきか迷ったけど、俺は鞄を背負って部室を後にする。
この決意と勢いに任せてやってみたいことがあった。
きっと――いや、間違いなく俺はこうでもしないと変われないから。自分が一番よく知ってるんだ。いつだってできない理由を探し始めてしまう俺は、自分から追い詰めてかないと前に進めないって。
早足で廊下を抜けて、階段を二段飛ばしで下りていく。
校舎裏の駐輪場にたどり着く頃には走り始めていて、自転車に跨るとそれは猛スピードに変わっていた。怒鳴って注意してくる教師の声はもう随分と遠い。
ワクワクしていた。
こんな気持ちになったのはいつ振りか分からない。合格発表の瞬間でさえ他人事のように眺めていた俺だってのに。
駅まで一直線で続く滑走路みたいに長い上り坂を立ち漕ぎで突っ走る。
楽しそうに肩を並べて歩いている連中を車道からびゅんびゅん追い抜いていく。
坂を登り切った先にあるコンビニで全財産を下した。握りしめた万札は全部で十枚。ずっと欲しいものが見つからなかった俺が、いつかの為に貯め続けてきた大切なお年玉だ。
「婆ちゃん、ありがとう」
呟いた独り言は誰かに聞かれただろうか。構わない。それより今は――
再び自転車に跨る。
向かう先は駅前の商店街。
確かあそこに一軒、閉まってないことが不思議なぐらい人が寄り付かない錆び付いた楽器屋があったはずだ。もっと店を吟味した方がいいのかも知れない。頭で理解していても、今はその判断に身を任せたくなかった。
ワクワクしていた。
もう、自分が自分じゃないみたいに。
だから俺は、カウンターで眠たそうにラジオを聴いている店員に、開口一番大声で叫んでやったんだ。
「すみません、キーボードください!」
△
「買ってしまった……」
自室で異様な存在感を放つそれをまじまじと見る。衝動買いなんて生まれて初めてだ。
だからかは分からないけど、未だに心臓がバクついている。
落ち着かない手つきでそっと財布の中身を確認する。
……何度見ても万札は一枚もない。
まさか十万きっかり使うことになるとは思いもしなかった。キーボードってスゲー高いのな。何ならアンプとかスタンドとかその他諸々含めると少しオーバーしていた。おっさん(店員)が負けてくれたのだ。
ありがとうおっさん。……俺、この買い物一生忘れねーから。
「まっ、何はともあれ」
今日はもうやることやってさっさと寝るとしよう。
色んな意味で刺激的すぎる一日だったからか恐ろしく瞼が重い。そのはずなのに、それでも寝付けないんじゃなかろうかと内心不安になっている俺がいる。
そしたらそれは間違いなく黒木場先輩のせいだ……。