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意を決して扉を押し開けた先には、煌びやかな青春のワンシーンがあった。
最初に聴こえてきたのは掻き鳴らされるギターの音。音の出どころを探っていると、視線は一番奥の舞台に行き着く。
ここから舞台を眺めると少し見下げる形になった。緩やかな段差が続いているからだ。どうやらここは舞台を中心角に見立てて扇状に広がってるらしい。
視聴覚室に入るのは今日が初めてだが、その広さに俺は圧倒されていた。百五十人ぐらいは入るんじゃなかろうか。いや、後ろにも長机があるしもっとか……。スゲーなこれ。ちょっとした映画館みたいだ。
しかもよく見たら既に半分近い席が埋まっている。
誰もが皆、食い入るようにして舞台で演奏しているバンドを見つめていた。
う、上手ぇ~。
ド素人の俺でも一目で分かる。しかも全員めちゃくちゃ楽しそう。
眩しいぐらいに爽やかな笑みを浮かべて演奏されているのは、誰しも一度は耳にしたことがある洋楽ナンバーだ。曲名を思い出すことはできないが、それでもこの特徴的なギターフレーズは耳が勝手に覚えている。おかげで今にも身体が動きだしそうだ。実際、席についている何人かはぐぐっと前のめりになっていた。
「…………」
ぶっちゃけ軽音楽部ってもっとふわっとした感じのぬるい部活だと思ってたんだけど。これ、さてはガチ勢だな。予想と違ったせいで少したじろいでしまった。
「ねえねえ、君ってひょっとして……新入部員?」
バカみたいにいつまでもそこで突っ立っていると、突然後ろから声を掛けられる。
慌てて振り返ると――そこには超が付くほどの美人が佇んでいた。
日差しと笑顔とワンピース(白)を組み合わせたらもれなく雑誌の表紙とか飾ってそうな感じのThe・清楚美人が。上靴の色から判断するに、三年生だ。
「は、はい! えっと……っす」
陰の者丸出しでどもる俺に対し、先輩は俺を浄化しそうなぐらい無邪気な笑みを浮かべて、
「あ、やっぱりそうなんだ。じゃあ初めましてっ! 私は大城夏帆。一応ここの部長をやらせてもらってます。これからよろしくね、えっと……」
「あ、あぁ、相沢です。相沢、透」
「よろしくね、相沢君っ」
テキストだったら語尾に音符とか付いてそうなトーンでそう言って、それから俺を舞台の傍まで案内してくれた。
「新入生は大体この辺りに集まってるから。適当に座ってて」
「っぁ、ざっす」
って、いくらなんでもどもり過ぎだろ……。
やむを得ず平身低頭をキープして意思表示。しばらくしてから改めて席を確認する。
そこには三十人近くの人だかりができていた。男女ごちゃまぜなのは勿論のこと、明らかにリア充っぽい奴からオタク指数高そうな奴までなんでもござれ。体育会系と文化系が凝縮した闇鍋みたいにカオスな空間だ。
おかげで席選びに熟考してしまう。……こういうのミスったら微妙に変な空気になるから嫌いなんだよな。なんでいつも俺が近くに座っただけで若干気まずい感じになるんだか。雑談が途絶えて口を真一文字にされる方の身にもなれっての。
などと愚痴交じりに吟味した結果、なるべく視界の邪魔にならないよう左端の席に座ることに。空気に徹した甲斐あってか、誰一人振り向くことはなかった。
にしてもまさか軽音部がこんな大所帯な部活だったとは……。正直言うと俺はもっとこう、こじんまりとした感じの部活を所望してたんだが。部員が三人ぐらいで廃部寸前! しかし俺が入ることで最後のピースがハマってバンドが結成される――的な奴を。
……ん、でもまあ、これはこれで素直に憧れてしまうな。
楽器すら決めずに勢い任せで入部してしまったが、いざこうして目の当たりにするとどれも魅力的に映って甲乙つけ難い。まあ迷ってる時間なんてないしさっさと決めなきゃなんないんだけど。時期も時期だし。んー。これ、ムズイな……。
なんて一人でブツブツ考え込んでいると、いつのまにか舞台から音が消え去っていた。どうやらさっきのバンドの練習が終わったらしい。
それと同時に何やら周囲がざわめきだしている。そいつに耳を傾けていると、突然それは黄色い歓声に変わった。
答え合わせをするべく舞台を一瞥すると、そこには大城先輩の姿があった。……あぁ、なるほど。満を持して部長のお出ましというわけか。
どうやら先輩はガールズスリーピースバンドのギターボーカルらしい。
彼女のイメージにぴったりなソニックブルーのエレキギターを吊るしながら、舞台中央に立てられたマイクスタンドの高さを調整していた。
大城先輩はさっきまで見せていた天真爛漫な表情から一変して、驚くほど真剣な表情を浮かべている。そしてその傍らで淡々と準備をしているベーシストやドラマーも、先輩同様何処か達観した雰囲気を醸し出していた。
……鋭い。
ただ三人の少女が前を見据えているだけなのに、何故かそんな言葉が脳裏に浮かぶ。得も言われぬ気迫を感じた。
どうやらそれは俺だけではないらしく、息を呑む音すら聞こえそうな静寂が訪れる。さっきまでの喧騒がまるで嘘みたいだ。
ドラマーが三回、スティックでリズムを取った直後、三人は一斉に腕を振り下ろした。
――言葉を失ってしまった。
何も考えられなくなってしまったんだ。見たこともない音楽を目の当たりにして。
あるはずもない風を感じて、目の前の景色が一遍に塗り替えられていく。瞬きすら忘れる瞬間があることを生まれて初めて知った。
ともすれば雑音とも思えるほどに歪んで、音の原形を留めていないギター。そんな感情を剥き出しにしたかのように轟く音を繋ぎ止め、けれど互いの存在を譲らずに激しく主張し合うドラムとベース。そしてその轟音に埋もれることなく、寧ろどの音よりもクリアに聴こえてくる影と美しさを併せ持ったボーカル。
まるで薄氷の上を歩いているように不安定で、けれど洗練された音が紡がれていく。
実弾だ。
感情を籠められた音の実弾が、鼓膜を、脳を、心臓を次々と撃ち抜いていく。撃ち抜かれる度に身体が熱を帯びるのを感じて、言葉にならない感情が沸々と湧き上がってくる。
なんだ、これ……。
気付いた時にはサビが終わっていて、幕引きを思わせる儚げなアウトロが繰り返されていた。
一つ、また一つと音が消えていく。
最後に大城先輩の右手がギターからそっと離れる。
余韻。
そして、静寂。
心臓の鼓動だけが、いつまでも激しく鳴り響いていた。