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エッセイ

エドガー・アラン・ポーの詩作の哲学

作者: 夢のもつれ

 エドガー・アラン・ポーにはいろんな面があって、アメリカを代表する詩人としても評価されています。その彼に“The Philosophy of Composition”という文章があって、ふつうは「詩作の哲学」と訳されているんだろうと思います。


 内容は、自分の代表作である「The Raven 大鴉」という詩をいかなるインスピレーションにも頼ることなく、論理的に構成(compose)したことを明らかにしようとしたもので、推理小説の創始者である彼らしい文章です。 わたしは中学生の頃、この文章があることを知って、どうしても読みたくなって探し回って買ったことがあります。


 その内容ですが、まず詩にはリフレインが大事だとして、最も音の響きが印象的な言葉を求めて、“never more”が選ばれます。まあ、粘っとして、もあっとしてると印象に残るのかなというくらいしか日本人にはわかりません。


 次にこの言葉が何度も出てくるための必然性として、オウムとかそういった人間の言葉を繰り返す鳥に言わせるのがいいとポーは考えます。で、そういう鳥の中でも音の響きで選ばれたのが“raven”というわけです。これまた日本人には苦手な発音がてんこ盛りですね。Never MoreもRavenも最近いろいろ耳にしますが、元々はたぶんポーの影響でしょう。


 こういう調子でかなり長い詩がどうやってできたか、逐一説明されていきます。とても純情だった中学生のわたしは「すごいなあ。カッコいいな」と思う反面、「ホンマかいな。後づけの説明ちゃうんか」という気もしていました。


 で、幾星霜流れて、ポーの文章のことを思い出します。感情や感覚ではなく、論理的に書くという姿勢はとても大事で、実際上役立ちます。言葉の響きを大切にするというのも全くそのとおりで、それを無視したものは詩ではないでしょう。いえ、誰かのがそうだというつもりはないんですが。何よりインスピレーションがなくても詩は書けるんだというのは、わたしのような人間にはとても勇気をくれます。


 それはそうとして、ポーの主張は、詩は音楽だと言ったボードレールやマラルメらのフランス象徴派の詩人たちに大きな影響を与えたそうです。でも、わたしはポーの文章はホントは高級な冗談だったような気がしています。少なくとも大上段に「詩の原理」を開陳したものではないように思います。


 証拠があるわけではないですし、中学生のとき以来ずうっと読んでないんですが、彼は「家具の哲学」"The Philosophy of Furniture"というのも書いていて、それはどうも勿体ぶったギャグのように読めますから。


 つまり“Philosophy”なんて大げさで気取ったタイトルを掲げて、論理的な説明を一見マジメにやってはいるものの、にやにや笑っている顔が見えそうな気がするんです。詩を作るってそんなに神秘的なものじゃないよと。


 わたしはポーをジャーナリストとして見るとわかりやすいと思っています。実際、彼は敏腕の雑誌編集者であり、辛口の批評家だったそうです。彼は小説の多くを一般の新聞や雑誌に載せ、2つの“Philosophy”も雑誌に掲載されたものです。彼のミステリーやゴシックホラーはとてもサービス精神が豊かです。

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