strange
「なあ、君。遠くない先に此処で帽子をかぶった熊が見つかるかもしれないよ。それまで生きていられないのが少しだけ残念になってくるじゃないか」
出会って間も無くのその言葉が余りに奇異なものであった為、私は暗闇の中で輝く両眸をただ眺める事になった。
伯爵との会見が終わると休憩の部屋に通される事もなく、再び馬車に乗り込むこととなった。
ロンドンに夕暮れが降りてきて、ほんの少し感じるほどであった寒さも厳しいものになっていく。
馬車の中でアリックスを外に出してやると珍しく膝の上に乗ったまま横になってしまった。
此処は前の場所より暖かいからだろうか。
それとも、気儘な猫にも住み慣れた場所というものがあって、そこから離れさせられるのは寂しいものなのか。
伯爵の私邸のある横町から大通りに入る以外に道を折れることもなく、ゆっくりと町並みを見物する事ができた。
さすがに今の時代のロンドンに版築はもう存在していないようで、大通りに面した建物は軒並み小奇麗であった。
もっとも安い鉄屑や軟な木材で組まれている家をこの通りからは見ることができなかっただろうけれども。
1年前のコレラによってこの都市のボロ屋に住む人が1万人以上も死んだらしい。
ハイドパークを左手に見ながらしばらく進み、やがて右に曲がる。
さらに揺られていると、曲がってそれほども経たない内に馬車が止まった。
扉が開けられ執事にお降りくださいと促されるままに歩道に足を下ろす。
そこは交差点の手前で、すぐ側には通りでよく見かけた一色でベタ塗りをしたような味気ないものではない、煉瓦でしっかりと組まれた家が構えていた。
「少しお待ちいただけますでしょうか?もう少しで戻られるはずですので」
そう言ったものの、老執事はそこから動く事もなく、かといって何を言うでもなく立ち尽くしていた。
この老執事の特徴は自分で言う事を決めたら、それ以外の言葉を口にしないというものであるかもしれない。
なので、誰が戻るのかを聞くこともなくアリックスを脇に抱えたまま冷え冷えとする夜に立ち尽くすことになった。
欠伸のような声をアリックスが何度か漏らす頃に、やっと家の中から物音が聞こえた。
規則的な足音だけが聞こえる中で、目の前の扉がそっと開き、男性らしき影が現れてこちらに一瞥をくれつつ、後ろ手で扉を閉める。
ちらと横を見やっても、老執事には何の動きも見られない。
きっと暗くなるであろう夜にきな臭い人物が目の前に近づいてくる、この状況に彼は慣れ切っているというのだろうか。
足音高く近づいてくる人物の風貌は、髪が長く、手足が細く、肌が異様に白かった。
その血色の悪さは貧民を思わせ、また、唇の形が高貴さを思い出させる。
貴人であれば失礼だが、この人物は途轍もなく変な雰囲気を持っている。
正しく異邦人である。