厳かな打ち明け話
アリックスを収めるにはたった一語で足りた。
完全に大人しくなるのを見届けて、老執事にトランクを降ろしてくれるように頼み、そうしてやっと振り返って伯爵の姿をしっかりと認めることが出来た。
私の母は濡れ羽色の髪で黒い目の健康な細身の殿方が好きであったと記憶しているが、そうなると眼前の伯爵の容姿に疑問を感じてしまう。
ジェームズ・キール伯爵は灰色がかった金髪に碧眼、体格はお世辞にも細身とは言えない方であった。
母が冗談で言っていたのを思い出す。
私の父は黒猫で、母の愛人は紳士だと。
眼前の貴族はどちらにもあてはまりそうにない。
「失礼をお許し下さい、伯爵。私はネッド・ラッドと申します。ご拝謁の栄に浴すことが叶い恐悦至極にございます」
伯爵の足元にほんの少し跪きつつゆっくりと言葉を出す。
貴族に対する礼儀は全く教えてもらえなかったことが、少しだけ悔やまれる。
「構わんよ。それに私室ではあまり固くならないでいただきたいものだ。」
貴族らしい態度が鼻につかないというのは、生まれによるものなのかそれとも衣服がそうさせるのかは分かりかねるが、私は伯爵の鷹揚な態度に納得してしまった。
「私にお話ということでしたが、伯爵はもちろん、伯爵の眷族方にご友人をもっと憶えはございません。どうか、私の不安をお取り除きくださいませんか?」
相手を貴族であると認めた以上、それなりの態度で接する。
さて、足りないよりも芝居ががっていようとも多少大袈裟なほうが大概の相手は満足するはずだが。
すると、ずっと跪いていた事に今更気づいたように伯爵が椅子を勧める。
ゆっくりと見てみると、その椅子の真紅色の革張りがされ、黒炭色の木で組まれたセンスも悪いものではない。
「まずは、そちらに君の母親に要求された額の小切手は置いておく」
窓際におかれた机を指しながら伯爵が告げる。
「こちらが本題だが、今からする話を受けるかどうかは任意だ。ただ、継続的な報酬を軽視する年齢ではもう、ないだろう?」
伯爵がちらりとこちらを窺いつつも、話を続けていく。
このような話は聞いてしまって良い事がないと決まっているようなものだ。
なので、早めに小切手に書かれた金額を確認して去ってしまいたいものだが、それは余りにも無礼な行為ではある。
「君の母親が我が家に連れ込んだ娘の付き人になってもらう。そもそも君はキール伯爵家に感謝を捧げる義務があるのだ。君の妹にこれまでも、気分の悪い事にこれからも世話をしていくのだからね」
思いもしなかった言葉が出たものだ。
そうか、母にはいつの間にやら娘がいたのか。
女の子が欲しいという母のかつての口癖が6年前にぱったりと消えた理由を他人に聞かされるとは思ってもみなかった。
「勿論、報酬は払う、エミリーは立派なキール家の一員なのでね。君の母親からも頼まれた、君を形ばかりでも我が家の一員にして欲しいのだと」
今までついぞ知る事のなかった妹の存在、キール伯爵家の一員というブランド、それに未だ知らざる母親の秘密に近づけることに、魅力を感じない事はない。
しかし、その前に今は先立つものをいただいておかないといけない。
立ち上がり、窓際の机の上の紙をじっと見つめる。
この額ならば5年はそれなりに生きていけるといった辺りであろうか。
贅沢に暮らしたとすれば1年でなくなる事も否定は出来ない。
伯爵の眼前に立ち、落ち着いた声を意識する。
「喜んでお請け致します。数々のご無礼をお許しください、伯爵」
言葉の間、深く腰を曲げてはいたが、跪くことはしなかった。