047
このマンションには二階に、住居者専用ペースがある。
それは、多目的ホールのような部屋だ。
住民ならば二十四時間、三百六十五日使用できる。
深夜の二階の部屋に、俺と若葉の二人がいた。
丸いテーブルが置いてあって、俺と若葉が向かい合って座っていた。
「それで、再葉は眠っているのでしょ」
「ええ、この弓で寝かせました」
「随分と弓がうまいのね」
「練習しました。弓矢に詳しいやつが、知り合いにいので」
「それって、女の子?」
「ま、まあ」俺はそれを否定しない。
「ふーん、再葉のほかに付き合っている人はいないでしょうね」
「いないよ。多分」
「香音の話だと、ほかの女子から告白されたとか」
「香音のヤツ、余計なことを」
それは俺も覚えている。修学旅行の自由時間に、恵理那に告白されたことだ。
「若葉さんは、香音とも知り合いですか?」
「ええ、仕事でね。彼女の父親と私は、同じ職場だし」
「ふーん、そうなんだ」
あれ、何かもっと聞かなければいけないことがあるような。
だけど、その言葉が俺から出てこなかった。
少しの違和感を残したまま、俺は別の疑問を口にする。
「あの弓で、どうして再葉が治るんだ?」
「まあ、前にも話したと思うけど再葉の病は特殊なの」
「特殊?矢で治る病気って」
「まあ、いわゆるショック療法ね。深いことは考えなくていいわ」
「でもこの弓って、念じるというか弓を構えるだけで矢が出てくるし」
「人を殺す力はないわ、癒す力だけ」
「まるでゲームの中に出てくる弓みたいだ」
現実離れしたその弓を、俺は手に取っていた。
「でも、この弓は再葉にだけは扱えない。
彼女と付き合うには、この弓を使えなければならないから」
「大変な障害だな」
「難しく考えなくても、簡単に使えるでしょ。誰でもできるから」
「誰でもできる……ねえ」
「再葉に対する愛があれば」なぜか、若葉が恥ずかしげもなく言っていた。
「その若葉さんは、愛する人はいますか?」
「ば、バカ言わないで。いるに決まっているでしょ、多分……」
それはいないようだ。反応が雪乃と一緒だ。
「まあ、私の話は置いといて……とりあえず彤弓を返して」
「その前に、もう一つだけ」
「なに?」
「修学旅行から帰ったあの日、若葉さんはいましたよね?」
俺の言葉に、若葉は険しい顔に変わる。
じっと俺を、眼鏡越しから見ていた。
「そうね、いたわ」
「あの日、何があったんですか?
一緒にいた響は、何も覚えていないし、香音も再葉もお土産を渡したということだけしか教えない。
でも、そこに若葉さんがいるのはおかしくないですか?」
「そうねぇ、そうかもしれないわね」
とぼけた様子を見せる若葉だ。やはり何かおかしい。
だけど、俺はその時の記憶がすっぽりと抜けていた。完全な空白。
思い出すときも、その瞬間だけでは苦しくなる。
「あなたは、何を隠している?
いや、俺を何かから遠ざけようとしている。再葉も、香音も」
「あなたのいる世界が、突然壊れたら嫌でしょ」
「は?意味が分からないけど」
「あなたが、私たちのいる世界を知ったらあなたの身の回りの人間が死ぬかもしれない。
あなたが知ったことで、世界が壊れてしまう。
そんな運命が嫌だから……私たちはあなたを保護している」
「俺の保護?」
「そう、あなたは私たちの世界では脆いから」
若葉がうつ向く俺に、手を差し伸ばした。
「大丈夫、一年彼女が終わったらあなたは元に戻れるから。
それまでだけでも、再葉に愛を傾けて」
そういいながら、若葉は俺の腕にある彤弓を取り返していた。




