7.黒猫、何も知らぬは自分ばかり
わたしは暗い暗い水の中にいた。ゆらゆら揺れては消える泡を眺めながら流れるままに流されていく。
「……て…」
ぱちん
(弾けて…)
「………けて…!」
ぱちん
(弾けて…)
「……たす…っ!」
ぱちん
(苦しそう…)
「……たすけて!!」
「あ…!」
ぱちん、と一際大きく弾けた音で目が醒める。
(わたし、今何か見てた気が…)
「起きたんですね。」
寝ぼけながら聞こえた声に顔を向ければルクスが立っていた。
あの日クロウに連れられ戻ってきたギルドにはすでに任務から帰ってきたアメルと双子、少し拗ねているコウの姿があった。ぐったりしているわたしに気づいたコウが近寄ってきて何かを言っていたがそのまま意識はブラックアウト。
わたしが覚えているのはここまでだ。
あれからわたしは何日眠っていたのだろうか、体が少しだけ重かった。
「起きてすぐですが何か食べますか?」
(うん、食べたい。)
喉もカラカラだしお腹も空いている。タイミング悪くお腹もぐーっと音がなり、ルクスが珍しくきょとんと驚いて続いてそのまま軽く微笑んだ。
(あ、そんな笑い方も出来るんだ…)
「さあ、行きましょうか。」
ルクスの後に続いて部屋を出ると近くに居たのか、抱きかかえられて食堂へ連れられる。外は夕暮れで時間にすれば夕食どきだったのか、着いた食堂には久しぶりにみんなが揃っていた。
「ルーナが目を覚ましましたよ。」
「「おはよールーナ!」」
(おはよう!リオ、リク!)
「思ったより元気そうね!何食べる?」
(アメル、わたし魚!魚がいい!)
「ルーナは魚が食べたいってよ。」
(え!?ソル、わたしの言葉わかるの…?)
「隊長、ルーナ…驚いてる…」
(え!?当てずっぽうだったの!?)
なんていい加減な隊長だ。少しだけ期待したわたしが馬鹿みたいじゃないか、とソルに恨みがましく視線を送ったが目は合わず、代わりに鼻をすする音が聞こえて視線をずらせば音の正体はコウだった。
「よかった…もう目を覚まさなかったどうしようかと…あの日オレが行かせなかったらこんなことには…っ!」
泣いているのだろうか、コウは机に顔を伏せて肩を震わしていた。まさかそこまで自分を責めさせてしまっていたのか、と少し焦る。
確かあの日はクロウに会って安心したからなのか原因は分からないが、急に体の力が抜けてふらふらになり自分の力で体を動かすことが全く出来なくなってしまったのだ。
心配して近寄ってきてくれたコウに大丈夫だと答えようにも意識がなくなって、たぶんそのまま眠り続けて今に至るわけなのだが、コウはその間ずっと自分を攻め続けていたのだろうか。
あの日、コウが外に出してくれてもくれなくても今回の件はいずれ起こったことだろうし、いつかわたしは隙を見て抜け出しただろう。その際に猫族は彼らにとっても得体のしれないわたしに必ず接触を測ってくるはず。
(違う。倒れたのはわたしが力を…)
「ごめん。本当にごめん…っ!」
今は他のことを考えている場合ではなかった。
コウが自分を責めて泣いているのだ。
(…わたしが倒れたのはコウのせいじゃないの…)
コウに違うと説明したくても人のように言葉は話せず、わたしはただ鳴くことしか出来ない。
言葉が駄目なら行動で、と足にすり寄ってみてもコウはごめん、と繰り返すばかりで、どうしても泣いているコウを止めたくて、机に飛び乗って顔を覗き込めば目尻に薄っすら溜まっている涙が見えた。
どうすればいいかなんて考える前にわたしの体は自然と動いてコウの目尻に溜まっている涙をそっと舐めた。
(泣かないで…)
「て、ちょ!」
(コウのせいじゃないの…)
「ちょ、ちょっとま!わわわ…いて!」
(だから、泣かないで…!)
「ル、ルーナ…わ、わかったから…やめっ!」
(…お願い!)
「その辺にしときましょうか。」
ガシッ、と掴まれて子猫のようにルクスに連行されるわたし。気がつけばいつの間にか椅子のまま後ろに倒れたコウを押し倒すように馬乗り?になっていたようで、コウはコウで顔を真っ赤にしたまますぐに立ち上がって体についた埃を落としていた。
「「コウってばやらしー」」
「なっ!ち、違うからな!顔が赤いのはルーナの力が思ったより強くて焦ったからで…べ、別にそういうんじゃ!!」
「そういうんじゃってー」
「どーいうことー??」
「「ボクらわかんないなー」」
「う、うるさいな!もう黙っててよ!!」
やり過ぎたらしい。
ごめんなさい。
コウの慌てぶりに双子はやはりからかって、いつものように言い合う3人。
しゅんと耳を下げるわたしを興味深そうな笑顔で見てくるソルと目が合う。ぞくり、と背筋が冷えるような嫌な予感がして慌てて目を晒せばルクスがわたしをソルの前に連行した。
(あ、なんかデジャヴ…)
「さて、コウはもう大丈夫そうだな。」
「え、あ、うん。心配かけてごめん。まさかルーナに励まされるとは思わなかったよ。」
頃合いを見て話し始めたソルにコウは少しどもりながら受け答えする。
(元気になってよかった…)
「やはり…あなたは…」
「にゃ?」
わたしに向けて呟いたであろうルクスに顔を向ければすでにソルと何やらアイコンタクトをしていて、頷くソル。
わたし何かしましたか。
「単刀直入に言います。あなたは何者ですか?」
(何者と言われても…)
「ルプスとウルススを倒した力、あれは普通の猫族が持ち得ない力です。それに他の種族だとしても持っている者は少ないでしょう。今回、ソルと2人で任務に出ていたのはそれを調べるため。コウに聞いて知ってるとは思いますが私たちはあなたを監視していました。」
「まあ、結局探し物は見つからなかったわけだが…」
ルクスに続いてソルがやれやれと首を振った。
(知ってたけど改めて言われるとな…)
みんなを見るのが怖い。先程までの雰囲気から一転、どん底に落とされたような気分だった。
出て行かなければいけないのかもしれない。
(ううん、寧ろ出て行くなんかじゃなくて…)
「落ち込んでいるとこ悪いですが、いくつか質問させていただきます。はい か いいえ でいいので答えてください。はい なら縦に いいえ なら横に首を動かしてください。分からない ことには首を傾げてください。」
「にゃー」
わかった、と首を縦に振る。
ルクスはわたしを見て頷くと眼鏡を押し上げた。
「確認です。ウルススとルプスを倒したのはあなたですか?」
(はい。)
「見たところまだ子猫のようですが、親はいるんですか?」
(わからない。)
「あなたのその力は生まれつきですか?」
(わからない。)
「あなたに本当の名前はありますか?」
(名前…やっぱり思い出せないや…)
「…では、あなたは何者ですか?」
(…わからない。)
人だった時の記憶も本当は長い夢を見ていただけで、魔力を持っているのも言葉が分かるのも猫族が言っていたわたしの姿も実はただの突然変異なだけだったらどんなによかったか。
(わたしが一番何も知らないんだ…)
「猫族は人の言葉をあなたのように理解してません。ただ凄く長命で、尾の数が2本に増えた猫族は人の言葉を理解すると言われています。まだ子猫であるあなたが何故言葉を理解しているのか疑問ではありますが…」
「まあ、そこんとこはこれから分かっていけばいい話だろーよ。」
ソルはこれから、と言っただろうか。
わたしは今まで監視されていたのだ。ここで数週間よくしてくれていたのはあくまで得体のしれない猫を観察するためで、得体のしれない猫が更に言葉まで理解すると知った今はただの処分の対象ではないだろうか。
悲しみから落ちていく意識はアメルに頭を撫でられたことによって浮上する。
「ルーナはこの数週間、あたしたちが監視してたとはいえ何で逃げる素ぶりすらしなかったのかしら?」
何故逃げようと考えなかったのか、とそう言われてみれば確かにそうだった。
目を覚ましたあの森で魔物がいてもある程度は戦える力を持っていることが分かり、それならと旅に出ようと決意した日に偶然にもソルたちに拾われて、このギルドで過ごしてた。
(忘れてた…)
真剣に見つめてくるアメルの瞳を見つめ返す。
わたしは自分探しのために森を出ようとしていたのに。
(自分の正体よりもわたしは…)
ただ寂しかったのだ。
凄く不安だったのだ。
目を覚ませば知らない場所で、人ではなくいつのまにか猫の姿になっていて、見たこともない生き物が沢山いて、使ったこともない不思議な力を持っていて、知っている人なんて誰もいなくて。
わたしはこの世界で1人だった。
「にゃー…っ!!」
頬を涙がつたう。
「にゃああぁああぁあぁぁぁ!!」
「え、ちょ、ルーナ!?」
「あらあら」
「「困ったちゃんだねー」」
「…」
「ははははは!」
「やれやれ」
突然泣き出したわたしに今度はコウが慌て出して、アメルは微笑んだまま頭を撫でてくれて、リオとリクは嬉しそうに笑っていて、クロウは無言のままハンカチで顔を拭いてくれて、それを見ていたソルが豪快に笑い出して、ルクスはいつものように眼鏡を押し上げた。