6話
「ニコーーーールっ!」
お昼もだいぶ過ぎたあたりで、お父様の絶叫が鳴り響く。ここんとこ、これが恒例行事のようになってるよね。
私はまだ疲れの残る頭をトントンと軽く叩きながら、お父様の元へ向かった。
「何ですか、お父様はまだお仕事の時間でしょ? 私は夕方でいいって言われてますから、サボりじゃないですよ」
若干蒼ざめた額に脂汗を滲ませて広間に立っている。ここ何日かで、だいぶやつれたように感じるのは気のせいかしら。
私に大事な話しがあるので、半日で帰ってきたって言ってるし、何だろ。
「ニコル、お前今度は何をやらかしたんだ? もしかして入れ替わりがバレたとかじゃないだろうな」
「絶対にバレてませんって。ただ……」
「ただ何だ?」
私は団長に一発拳を入れたことを報告すべきかどうか迷った。悩んだ結果、これ以上の心配事を増やさないようにと内緒にすることにした。お父様の髪の毛を死守するためにも、この事実は墓場まで持っていくわ。
「大したことじゃないので安心して。ところで何故今の時間に家にいるのかしら?」
「おお、それなんだが。第一騎士団の団長と外交担当次官からお前に関して質問があったのだ」
へ? そんなトップから何故私の話しがでるんだろ。
第一騎士団長はニコラスの元上司だな。外交担当次官って、ラングダウン公爵家だっけ?
確かスレイ君の家ってそこだっけか?
「テイラード家にはニコラスの他に年頃の娘がいるのか、ニコラスと似た顔をしてるのか。そして、娘には決まった相手がいるのか、だと。私は生きた心地がしなかったよ」
「スレイ・ラングダウン君には街のスリ捕まえた時送ってもらいましたよ? いい女だったって言ってたみたいだから見合いの申し込みかなぁ。第一騎士団長も独身? やっだ〜、私ってモテ期に入ったかしら?」
お父様はワナワナと震えながら私の両肩を強く揺さぶってきた。痛い、痛いから。
「お前わかってるのか? ミレーユが気に入らなければ、見合いの申し込み段階で潰しにかかる。それがどんなに上級貴族でもだ。ミレーユを侮るでない。私も知らない情報網と隠し玉をかなり持ってるからな。しかも私は離婚だ。相手を見極めないと、自分らの進退に関わるのだぞ」
ハッ……そうだった。私たちの運命はお母様に全て握られているのだ。冗談半分で聞いてた言葉が蘇る。
『私は本当は魔法使いなのよ……』
ブルッと身震いして私もお父様の肩に手をかける。ガシッと握って真剣な目で訴えた。
「お父様、お父様の持てるありったけの伝手を使って、見合いとかの話しになりそうな時は、全力で阻止してください。スレイ君が相手として充分かどうか、残りの日にちで観察してきますから。第一騎士団長の方は面識がありません。合間をみて誰かから情報をとってきます」
私とお父様はお互いに無言で頷き合い、固く握手してその場を後にした。
「よう、テイラード、昨日はすげえ頑張ったんだって? 部屋は綺麗だし片付けは上手いし、お前が女だったら俺、確実に惚れるわ」
ハハハ、スレイ君、それ笑えない冗談だわ。今の私には言い返す気力もない。頬を引きつらせ曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
今日は団の皆さんがほぼ顔を出しているようだ。しかも制服脱いで私服になってる。二十人にも満たない人たちの、敵意はないが好奇と猜疑の視線が全て私に向かってくる。
へえ、こうして見ると貴族の特権階級かざしてる人なんて一人もいない。むしろ、一般市民の団員から意見を聞いて動いてる感じなんだ。第六だからはみ出し貴族ばかりでトンがった人たちの集まりだと思いこんでた。皆さんに悪かったなと少し反省。
なんて考えているうちに、団長からの指示が飛ぶ。今日は市街地巡回、二人一組チームで情報収集と報告。報告は明日でも構わないって……どんだけザックリした仕事?
理解不能な顔してたら、スレイ君が説明してくれた。
仕事の内容は、市民や商人から、国内や諸外国の動きをそれとなく聞き出すことなんだそうだ。どこの国がどんな物資を必要としているかなどは交易をしている商人から、近くの市民からは地方での災害や貴族の動向など、あらゆる情報を集めて精査することになるらしい。
「特に外国と貴族の動向は把握しておく必要がある。癒着や不正、反乱などを未然に防げるからな」
「この騎士団って、一番重要なことしてるじゃないですか。何だって、対外的にはお守り騎士団とか、はみ出し者集団とか言われっぱなしにしてるんですか?」
疑問に思ったことを聞いただけなのに、小馬鹿にされたような目つきでため息混じりに言われた。
「あのなぁ、表立って情報収集するバカがどこにいる。俺たちは周りの貴族らには、何もやってないように見せかけてんだ。その方が不正の証拠を掴みやすいしな。第六騎士団ってとこは貴族と平民のごちゃ混ぜ団だから、市民から見れば誰が貴族とかも知らねえはずだ」
なるほど。いろいろ考えてたんだ。へえ、と感心してると更に詳しく教えてもらえた。
制服を着てる時の街の巡回で、ある程度のいざこざを収拾しておくと、私服の時には市民の方から声をかけてくれるのだそうだ。何回か話しているうちに、かなり詳しい情報のやりとりができるようになるらしい。
うわぁ、何かここってスパイ集団みたいじゃん? ちょっとカッコイイ仕事してるじゃないの。ニコラスってば、いい職場に来れたわね、ていうか、私がこの仕事したくなっちゃう。
一人ひとりをよくよく観察していると、みんな目が生き生きしてるし、冴えないなあ、と思ってた青年とかが、だんだんカッコよくみえてくるし。やりがいのある仕事をしてる男の人って素敵なんだよねぇ。
「という訳で、お前は団長と晩飯食いながら、仲間の報告待ってるんだな。俺は近くの知り合いに話し聞いてから合流するから」
じゃあ、という言葉に続き「団長のお守りよろしく」と頭をグリグリされて、ひえっと言ってる間にスレイ君はどっかに消えてった。
残されたのは私と団長のみ、食事とかって個人的な話しとか出ちゃうからなあ、話す内容に注意しなきゃ。そんな考え事をしつつ、俯きがちに団長の後ろを歩いてたので、不意に止まったのに気づかなかった。
思いっきり顔面で団長の背中にぶつかった。
「ったぁ……はにゃが折れるっすよ」
「ちゃんと前見ろよ、お前絶対エスコートとか下手だろ」
言われてちょっとカチンときた。何か小馬鹿にされてないかい? 私だってやるときゃやる女じゃい!
「い、今はちょっと考え事してただけですからっ。女性がいる時は気を抜きませんよ」
「ふうん、まあいいけど。で、今日の待機場所はここだ」
と紹介された場所は……
じゃーん、酒場ですよ、酒場。どっからどう見ても、ザ・酒場!
「う……わぁ……晩ご飯とかって話しでしたよねぇ」
「だから酒飲むんだろ? もしかしてお前、酒飲めないの?」
呆れ顔して聞かれたので、逆に強がってしまった。後から激しく後悔するだろう予感はしたが、この場は引くワケにはいかない。
「そ、そんなことないですって! あまり強くないので、ご迷惑をかけないように、と自分なりに気遣っていただけですからっ。こんなとこは行き慣れてますし、全然平気ですって」
「へえ、来慣れてるんだ。少しずつ飲むんだったらそこまで悪酔いもしないだろうし、ここは良い酒しか置いてない、安心しろ」
私は酒場の看板を見ながら、ゴクリと生唾を飲み込んだ。何でかって?
そう、私は夜の街に出た事がないのだ。
この歳になるまで、夜出歩くといえば、レストランで早い時間に食事とか、観劇のみですぐ帰宅。
街の夜、しかも酒が絡むことなんて一度も経験したことがない。お酒は飲んでもワインをお代わりする程度しか飲んでないし……
今日生きて帰れる自信がない。
ヒクつく顔だけ団長に向け、一応家に連絡する旨伝えた。
団長は快く連絡させてくれたが、泊まりになる可能性が高いことは必ずするように、と念押しされた。
急いで家に連絡を取り始めたのだが、隣で団長が黒い笑みを覗かせてたなんて、そんなことには気づきもしなかった。
そしてワナにハマる獲物のように、背中を押されて店の中にゆっくりと足を踏み入れた。