5話
「ニーーコラーーーースっ」
相変わらずのお父様の絶叫だ。今日はかなりやらかしちゃったんだから疲れてんのよ。
「お父様、私はニコルです。ニコラスはフィオナちゃんとこでしょ?」
「ああ、そうだった……って違ーーうっ。お前だお前、ニコラス役のニコル。お前、今日備品倉庫から私の名前で持ち出ししただろ」
何だそんなことか、こっちは明日っからのこと思うと憂鬱だってーのに。
「ああ、執務室が足の踏み場もなかったので、掃除のために必要だったのです。管理システムがよく解らなかったので、お父様の個人払いでお願いすることにしときました」
「何だとーーっ、そんなことをすれば私が目立つではないか! 芋づる式にお前やニコラスに縁談話しが舞い込んでくるのだぞ。ニコラスなど近衛なんかに入るからバカ王女に目をつけられる始末だし」
は? お父様が目立てば私に縁談?
何だその、風が吹けばどこぞの店が儲かる的なワケのわからん論理は。
不思議顔をしてたら、しっかりと説明された。
私とニコラスは、この国の貴族の中ではかなり美形な部類に入るのだそうだ。加えて家柄。今は伯爵の地位にいるが、お祖父様から既に侯爵家を継ぐように言われているので、それが公になった場合、当家から婿や嫁を貰うことを画策する者たちも多く出てくるのだと言う。
釣り合う相手が見つかるまでは目立たず騒がずで自分の存在を消し、私とニコラスを見合い相手から隠してきたんだそうだ。それもお母様の指示で。
私たちの相手になる人は、お母様がゴーサインを出した人に限られるんだそうだ。それがお母様がお父様と結婚する際の条件だったようで、守られなければ離婚の危機が訪れるらしい。自分を空気にすることで、有力貴族からのゴリ押しも回避できたのだと言う。
お父様もお父様なりに知恵を絞って離婚危機を逃れていたのね、そりゃ頭も寂しくなるわな。
お母様が気に入った人柄でなければ、パーティーやお茶会もダメ。
だから貴族の男性がいるとこには、ほぼ出してもらえなかったんだ。
なるほど、と思ったところでふと疑問が出る。ニコラスにはフィオナちゃんが既に婚約者としているじゃないか。たまらず聞いてみた。だって不公平じゃん?
「ああ、あの子たちが産まれる前からミレーユと親友の間で交わされた約束でな、性別が違ったら結婚するようになってたんだ」
あらら、なら向こうに男の子が産まれてたら私には既に婚約者がいたってことか。ふうん。って、今だに私に婚約者がいないってことは、お母様が納得した人がいないってことよね。そこから導き出される答えは……
「お父様、私っていつになったら結婚できるんでしょうか?」
「ははは、それはミレーユの気分次第だなあ、私に権限はないよ」
なぜそこで爽やかな笑顔ができる?
途轍もない脱力感を感じ、部屋に戻ることにした。待ってるだけじゃ絶対に恋なんて訪れない。これだけはハッキリした。そしてかつてない程、神に祈った。
「お願い、どっかにいい男、転がしてくれ」
切実な願いが届いたかどうか分からないが、今朝も清々しい朝が来てしまった。
ああ、今日からパシりだっけ……一体何やらされるんだか。
だいたい第六騎士団なんて、街の警備しか仕事ないはずなんだから、大して忙しくないと思うな。
……と思った私の考えが甘かった。
何と執務室にある書類を全て整理して、最終的には団長のハンコ一つで周りが機能するようにしろ、という指示だった。
おいおい、昨日床に山と散らばってた書類を整理しろと? 一体どんだけ時間がかかるんだよ。全部に目を通して重要度や優先順位を決めなきゃいけないだろ? しかも関連付けしなきゃ不備がでても分からない状態になるし。
「あのー、これをいつまでに整理しろと?」
「三日だ」
ん? なんかあり得ない言葉が耳に届いたが?
理解できずに小首を傾げて、もう一度団長を見た。
「三日間で仕上げろ、お前得意だろ?」
「三日なんて無理に決まってるじゃないですか! この量ですよ? 処理能力にも限界がありますって!」
引きつった顔をしながら、手でバッテンを組んで拒否する。が、団長は切ない顔をしながら、トドメの言葉を吐く。
「うう……殴られた腹がシクシク痛むなあ、これって王に報告あげたら、お前死ぬよ?」
鬼ーー! 悪魔ーー! 魔王ーー!
拳を握りしめ、一番手前の書類から目を通し始めた。作成日と期限の有る無しなど、ザックリと分けながら、徐々に細分化していこう。
残業が無い仕事だあ? ウソつけっ、完全にブラックやないかーーいっ!
泊まり込んでも終わるかどうか……でも、一度は家に帰らないと。変装がバレたらそれこそ死んでしまう。
一週間のうちの半分は書類とのお付き合いだから、周りの団員たちとの接触はない。ある意味ラッキーだ。とりあえず三日間乗り切るぞ。
******
「ニコルお嬢様、何か目だけギラギラしてるんですけど、大丈夫ですか? 確か書類整理の最終日ですよね?」
「平気、神は乗り越えられない試練は与えないの。この試練という山を登り切った先には、きっといい男が転がっているはずだから」
よろめく私だったが、ミイラボディという気合いの塊を注入したサーラによって、無理やり馬車に押し込められ、今日も戦場へと向かった。
「お、終わった……」
「くくく、ホントにやるとはな。お前最高だよ」
期限の三日目、日付けがもう少しで変わるかもって時間。
最後の書類を未決済の箱に入れ、私に与えられた無茶振り仕事は完了した。
この三日間で私はたぶん、速読スキルがレベルマックスまで上がったように思う。
机に突っ伏して、これ以上文字と数字を見なくてもいい安心感に笑顔が溢れてきた。
「なあ、三日間なんて無茶言って悪かったな。途中で放ってここにこないとか、お前の親父さんに泣きついて、裏から手を回して軽減してもらうとか、楽する方法はいくらでもあったんだぞ?」
おんやぁ? この人結構心配してくれてたんだ。根は悪いワケじゃなかったのね。
「そういう前向きな意見は最初の頃に教えて欲しかったです。まあ、聞いたとしても意地で最後までやったと思いますけどね」
そう言い返したら、団長はハトが豆鉄砲喰らったような顔してこちらを凝視していた。
ん? 私何か変なこと言ったかな?
ハッと頭を押さえたが、別にカツラがズレてるワケでもなさそうだ。あんまり見られると、心なしか照れるんですけどー。
「な、何ですか? 私何か変でした?」
「あ……いや、今まで俺の言うことにマトモに返すヤツなんぞほとんど居なかったから……少し驚いただけだ」
「ふうん、そうなんですか? でもここの書類任せてくれる程度には私を信用してくれたんですよね。ならそれに応えるのが部下なんじゃないですか? こちらの団員は皆さんそうなんでしょ?」
私としては当たり前のことを言ったつもりだった。なのに、団長が少しだけあたふたしている。顔の下半分を右手で隠し、左手で私をシッシッと追い払うような仕草をする。
全く、私ゃ犬猫かいっ! ちょっとムカついたけど挨拶だけは礼儀だからきちんとして帰るよ。
明日、といっても日付けが変わっちゃったから、今日になるんだけど、出勤は夕方でいいと言われた。
街の巡回をしに行くお仕事をするんだって。ただ、制服を着ないで街の人たちに紛れ込むらしいから、普段着を指定された。
んー、ニコラスのデート用の服を借りればいいのかな? 男の子の服って今ひとつピンとこないのよね。ここはまたサーラの出番かしら。きっと小鼻が膨らむんだろうなぁ。
そこらへんは全てサーラに丸投げってことで。
私は襲ってくる睡魔の波を何度かやり過ごして、へろへろになりながら家路についた。