3話
「ニコーーーールっ!」
今朝はお父様の絶叫から始まった。
眠い目を擦り、夜着のままで部屋から顔だけだしてみた。何やら夫婦の部屋で一悶着あったようで、上に一枚羽織ってそちらに向かった。
「朝っぱらから何騒いでるんですか、絶叫するにも時間と名前が違うでしょ」
「な、何を言っとるかっ。それよりお前、ニコラスの代わりに騎士団に行くだと? よくもまあ、テイラード家を危機に晒すようなことを考えおって!」
「なぁに言っちゃってるんですか、考えたのはお母様ですよ? 私は渋ったんです」
「え? そうなの?」
衝撃事実を知ったお父様は、最初の怒りが急速に萎んで、首をギギギとお母様の方に巡らす。
天使のような微笑みの中、目だけが笑っていない、という修羅の顔との対面を果たしたのだった。
私はこの後の展開に巻き込まれないように静かにその部屋を後にした。
「す、すまん、全然危機だなんて思っても……ぎょえーーーー……」
扉の向こうから言い訳するお父様の悲鳴を背中に聞き「愛されてるねぇ」と呟いた。
さて、と身支度を済ませてから今日一日でやることを頭で整理する。
私は明日からニコラスになる訳だから、ニコルの日常とはしばらくお別れ。
二日に一度は顔を出している街の道場には一週間いけないことを伝えに行かないと。
******
威勢のいい挨拶が路地まで響いてきた。
朝の稽古はもうすぐ終わりかな?
この道場は剣術と勉強を子供たちに教える場所として、パンドリーさんという方が開放してくれている。朝と夕方の剣術稽古は仕事合間の大人たちが運動しにくることもある。
これから仕事に行く若い人たちを手を振って見送ったら、子供たちにお勉強を教える時間だ。
ここで私はボランティアでお勉強を教えつつ、夕方の子供相手の剣術稽古をつけている。
なぜか貴族の方々のパーティーやお茶会には滅多に呼ばれない私にとって、この道場は趣味と暇つぶしを兼ねて、自分を解放できる憩いの場所なのだ。
「パンドリーさん、申し訳ありませんが明日から少しおやすみさせてください」
「何かあった?」
「一週間ほどですが、別のボランティアに顔を出すことになりまして」
「そう、こっちは平気。ただし若い男性諸君がガッカリするだろうねぇ、もちろん若くないけれど、私も」
ん? 男性がガッカリ? 私にゃ関係ないじゃん?
小首を傾げてパンドリーさんに尋ねれば、私が来る日は若い男性の利用率が異常に多いらしい。朝の見送りと夕方の稽古姿が人気なんですよ、とニコニコスマイルで説明されちゃった。
へ? 気づかなかったよ、私ってモテる要素はあったんだ。こんなとこに出会いの場があったなんて。
ちょっとは男性との色恋の一つもお試ししてみたいと思うのは世間の女子の統一見解だからねっ!
最終的には貴族の誰かに嫁ぐとしても、淡い初恋ってヤツは体験しないと人生もったいない。
くーっ、もっと早く気付けよ私!
しかーもー、もっとグイグイ来いよ男たち、ヘタレばっかじゃないか……
こうなったら、一週間後からは毎日道場に通おう。カッコいい男性見つけるんだっ。
自分の幸せは自分でゲットしにいかないとね。出会いが少ないなら作ればいいのよっ!
そう心に誓って道場を後にした。
陽の傾きが夕方を示すようになった頃、ふと、花屋さんに寄って帰ろうか、と考えた。
道場にしばらく顔を出さない代わりに、小さな花束を飾ると癒しになるだろうと思って。この花を私だと思ってね、何てどーよ。
んー、グッジョブ私。ここで女子力の高さをアピールしておけば、次に顔出した時に話しのネタにもなるだろーて。
『ニコルさんって剣術とかしてる割に可愛いとこもあるんですね』とか言われちゃった日にゃ、アカーン、ソッコー惚れるやろってー。
妄想で頭がパンパンになった頃、花屋に到着、朝の見送りするくらいの時間に花束を届けてもらうように手配して屋敷に戻ろうとした。
ドンッ
っとっと……フラつく態勢を立て直してハッと気がついた。財布をスられてる!
今ぶつかったヤツだ。ザッと見回すと居た、足早に去って行きそうな胡散臭い男。
咄嗟に腰に付けていた護身用の小さなナイフを投げて足留めした。向こうも捕まるまいと逃げ始める。
道ばたの石をヤツに当てると、逃げるのをやめて私に向かってきた。怒らせちゃったのかな? でも私の財布がかかってるんだ。
後方からお財布がないー、と叫んでる女性もいることから、被害者は私だけではないらしい。
何か武器……剣を、と思ったがそこら辺に転がってるワケがない。ヤバーーい、ピンチじゃん、どうする私!
あ、いいこと思いついた!
肩からストールを外し、握り拳大の石を包むと、あらビックリ、武器の完成でーす。
ハンマーのようにブンブン振り回し、ヤツを威嚇する。
しばらく睨み合いになったが、私の腕がそろそろヤバい。二の腕プルプルからの……あ、すっぽ抜けた……
えー、勘弁してー。ヤツが私の投げたナイフよか立派なナイフを懐からスチャっとだしてくる。これ見よがしにチラつかせ、厭らしい嗤いで迫ってきた。
ひっ、顔はやめて! せめてボディでお願い!
腕を顔前でクロスさせ、痛みを覚悟する。
が、いつまで経っても痛みがこない。
片目ずつ薄っすら開けると、制服着た男が二人、ヤツをボコボコにしていた。
助かったかも、と思ったら気が抜けてその場にヘタリ込んでしまった。
「大丈夫ですか、お嬢さん?」
少し着崩した制服に爽やかな笑顔、しゃがんで私に手を差し伸べながら、気遣ってくれてる。降って湧いたイケメン君にドキリと胸がときめいた。
どうする私。こんな場面は滅多にないぞ?
ただでさえ少ない出会いのチャンス、ここで食いつかなきゃ女が廃る。
ラブが始まる予感じゃない?
そうだよ、ここで軽く気を失ったり、足挫いてたりしたら、ガッツリ始まるわよっ!
どういう態度と仕草が正解だ? 経験なしの私にゃ想像できんがな。
「やはりどこか怪我でも?」
はっ……出会いのシチュエーション考え過ぎて固まってたし。今回はパス、お母様に対処法聞いてからにしよっと。次回に持ち越しで。すぐに対応できない悔しさに歯噛みしたくなるが仕方ない。
「……あー、たぶん大丈夫でしょ。立てれば平気ですけど」
せっかくなんで手を借りて立ち上がる。軽く屈伸して緊張をほぐす……あ、失敗。
なぜよろめかんのだ、私。女子はその場で屈伸なんぞせんのだぞ、たぶん。ちょっとだけヨロけとくかな。
「あれぇ……」
「大丈夫ですか? やはりお宅までお送りしましょう」
フラつく体を支えてもらってそう言ってもらえた。
ぅおっしゃあー、馬車? 肩並べて歩いて帰る? 抱っこ? ウェルカムオッケーよぉっ。
神妙な顔つきは崩さず、心の中ではガッツポーズ。移動中に親しくなればデートの約束だって夢じゃない。やればできる子じゃん、頑張れ私、女子力アピールだ!
で、現れたのは……馬、ね。
えっと、ご婦人乗りって覚えてないんだけど。二人乗りも自信ないわぁ。馬の前で固まってたら、もう一人もやってきて、二人掛かりでご婦人乗りさせられた。のえ〜っ、怖い〜。不安定なまま、必死にしがみついてたら家に着いた。
ヘロヘロになりながらお礼を言い、サーラに支えてもらって部屋へ直行した。
心配そうにしてくれてるが、悪いけど声出すのも辛いから。
格闘の疲れや恐怖でグッタリだったらわかるけど、馬の乗り方に慣れなくて足が筋肉痛って情け無い。
せっかくのラブの時間が足のガクブルだけで終わるってどーいうこったい。
一言も会話できないままに出会いのチャンスを無駄にして、情けないやら辛いやら……何か期待した分疲れた。
ごめーん、少し寝る……