強きモノの世界
ハルは与えられた神の地位と体、そして自らに仕える過剰な力を持つ天使に戸惑い、立ち尽くしていた。
ウリエルの言葉は間違ってはいないが、正解でもないのではないだろうか。
あの時に後先も考えずに命令を下してしまった自分も同じだろう。
もし、あの破壊的な行為が下されなければ、互いに命を削りあい、奪い合い、失われていた可能性は元々あったのだ。それが早いか遅いかだけの話だったのかもしれないと。
ただ決断を生み出したのは己である。
今は神の肉体を手に入れて、立場としては世界の支配者とも言うべき存在になったとはいえ、心は人間の頃と変わった気はしない。いや、この体の元の持ち主も同じ感情があった可能性がないとは言えない。ウリエルは言っていたはずである。「神は人間を愛していた」と。
もしかすると……
しかし、考えが纏まるよりも先に別の事件が意識に流れ込んでくる。
「えっ……?」
これが正しい表現なのかどうかはわからないが、ハルにしてみれば視界の端に映ったというのが一番近い感覚。
見ようとしていたわけではないために一瞬だけのもの。
神の体が、その程度の情報でもハルに認識させようと伝達してくる。
事件の場所は先ほど戦場があった場所よりも更に離れている。
違うのは今回のは既に起こっている……いや、既に終わろうとしている事だろうか。
伝達された光景は赤、赤、赤。
命の炎が消えてしまい肉の塊となった数々の亡骸。
そして……それを行った者たちの姿。
「何が起こっているの?」
再確認するために意識を事件の地へと向ける。
そこは森に囲まれた小さな村。
規模から考えると、恐らく住民は100人程度と思われる。
だが、それは数時間、いや、数十分前の過去の世界。今の動いている村人は見られない。
代わりとばかりに村を堂々とした足取りで席巻しているのは、不揃いな武器を血で濡らした男達。
いくら平和な世界で生きてきたハルと言えども、さすがに状況は理解できる。
――盗賊――
「どうやら、同族同士の争いは他でも行われているようですね。どう致しますか? 今回も私が”治めて”まいりましょうか?」
何の感情も感じられない言葉が天使から発せられる。
先程の殺戮ともいえる状況を生み出した相手とは思えない言葉。
元の世界の神を信じる人間たちにはあり得ない光景。
「また……あの攻撃を振り下ろそうというのですか?」
「何か問題が?」
やはり、ウリエルから返ってくるのはアッサリとしたもの。
確かに、もう既に助けるべき人間もいないかもしれない。
あそこに残っているのは、ハルにしてみれば悪行の犯人でしかない。
ただ裁判というものが当たり前の意識として刷り込まれている自分には、過去に戻れない状況で更なる死を与える事に納得出来ないで居た。
しかし、次に視界に入った光景が判断を迫る。
「あれは!?」
1人の少女が家の陰から飛び出していた。
その後を追いかけるように少年も飛び出てくる。
盗賊達も認識した事を示すように走り出す。
「まだ生きている村人がいたんですか!?」
「どうやら子供を隠して、大人達は戦ったのかもしれませんね。他にも小さな生命を感じます。ですが、おそらくは殺戮者達も子供は殺さないでしょう。他の動物と違って、人間は生命すらも金銭に変えてしまう生き物ですから、もう争いはないと思います」
ウリエルは完全にハルを勘違いしていた。
己の新しい上司は争いが嫌いなタイプなのだと。
もちろん、そんなわけがない。
元の世界で培われた常識が判断を生み出している。
そして何よりも元々人間だったハルとしては同族同士の弱肉強食を他人事のように見過ごせない。
「子供達を助けてくれませんか?」
そこに盗賊の命への配慮はない。
おそらく目の前の天使は詳細な命令を下せば、それに近い行為を期待出来るだろう。
しかし、この異世界の常識を理解していない自分には解決方法の選択肢が少ない。
犯罪を取り締まる機関はあるのか、裁判はあるのか、彼らを構成させる機関はあるのか、そもそも犯罪の基準がどうなっているかもわからない。
例えば、ルールのわからない競技に参加させられた選手がいるとすれば、こんな感じなのかもしれない。
己の常識で動こうとしたところで無駄なのかもしれないと判断。より強者からの強引な解決しか、今の自分には残されていない。
ウリエルは覚悟を決めたような上司に対して、一瞬だけ瞳が細くなったような感情が漏れる。それは嘲りなのか、驚きなのか、もしかすると他の別の感情なのかもしれない。だが……
「子供達を助ければ良いのですね。畏まりました」
こちらの願いを命令として受け取ったように、言葉だけを残して姿を消した。
いや、神の器となったハルには認識できている。彼は、あの村に転移したのだ。
そして――圧倒的強者による断罪が始まったのだった。